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更に5人の法輪功学習者が迫害され死亡した

 【明慧ネット2004年6月26日】法輪大法情報センター---6月23日、明慧ネットは5人の法輪功学習者が迫害され死亡した情報を掲載しました。この5人の学習者たちの出身地区はすべて、全てが迫害され死亡するケースが多発している区域の学習者でした。その内の3人は6月に死亡し、2人は1月と3月に迫害され死亡しました。死亡した5人は遼寧省の王金鐘氏、河北省の王書軍氏、吉林省の張建華氏、山東省の畢国華氏、そして、黒竜江省の劉小東氏でした。

 *王金鐘氏は迫害され一ヶ月で死亡した

 情報によれば、48歳の王金鐘氏は中山公園の職員で、178センチの長身と約80キロの体重で、生前健康状態は非常に良好でした。5月23日、瀋陽市鉄西興順派出所の警察官がに地区を飛び越えて王金鐘氏を職場から強制的に連行しました。王氏に対して酷刑を強いたのち鉄西拘置所へ移送しました。王金鐘氏は6月14日の午後に迫害され死亡しました。王氏が死亡してから医大二院へ送りました。しかし、病院側の診断結果は王氏が病院に運ばれる前に既に死亡したと言います。

 情報によりますと、6月13日に中山公園は職場内で会議を開いた後に、王金鐘氏は絶食自殺したと発表しました。更に他の職員に王金鐘氏の自宅へ訪ねることを禁じました。職員達は皆はらわたが煮えくり返った様子でした。今になっても、裁判所、検察院及び公安による遺体解剖の検証は行っていません。

 * 王書軍氏は長期に亘る迫害により死亡した

 36歳の王書軍氏は河北省邯鄲地区城安県林里堡郷王彭留村の法輪功学習者です。王氏は以前陳情のために上京したことで3年間不法監禁されました。解放された後になっても地元の610事務局(法輪功を迫害する専門組織)に拉致され迫害され続けました。2004年6月20日迫害され死亡しました。

 情報によれば、2000年10月1日王書軍氏は陳情のために上京した際拉致され地元へ送還されてから不法に3年間の刑期を言い渡され、石家荘第4刑務所に監禁されました。王氏はそこで虐待の極みを受け、を嘗め尽くされました。2003年10月に解放されました。

 2004年旧正月6日、城安県公安局の者が王氏の自宅へ乱入し王氏を県の拘置所へ連行しました。当時、王書軍氏は刑務所から戻ったばかりで、身体が非常に衰弱していて、更に加えられた迫害よっては王氏の命が危険にさらされました。県政保股警察官の連日紅氏は初めから解放する気はなく、最初では王氏から2000元をゆすり取り、強請り取り更に2カ月余りを監禁してからやっと解放しました。

 2004年4月王書軍氏は再び拉致されました。邯鄲610事務局のスタッフである者曹志霞氏は王書軍氏が転向転化しないことを理由に、公安局の連日紅氏を指図して王氏を邯鄲市の洗脳班へ拉致しました。王書軍氏は二十数日間絶食をもって抗議しました。王氏は一ヶ月あまり洗脳班に監禁された後、虐待によって既に息も絶え絶え息奄々にとなっていました。解放されて2004年6月20日午前4時にこの世を去りました。

 * 張建華氏は旧正月の初日にひどく殴打され虐待によって死亡した

 50歳台の張建華氏は旧正月前に吉林刑務所へ送られました。旧正月前の30日に張建華氏は警察官の指図を受けた犯罪者に布団をで被されたままひどく殴打されました。その後、警察官に“厳管隊“へ連行され迫害を加えられたため、張氏の胸部と腹部がひどく腫れあがった状態となりました。警察官は張建華氏を病院へ運ばずに”固定ベッド“に放置し虐待し続けました。翌日の旧正月初日の午後3時に当直する犯罪者が張氏のことを思い出し、張氏を監禁する所を訪れたたずねた時、張建華氏は既に死亡して数時間も経っていましたます。張氏の遺体は硬直になっていました。

 * 畢国華氏は警察官にひどく殴られ死亡した

 64歳の畢国華氏は山東省栄成市石島鎮北車居委会に在住しています。2004年6月4日午前7時頃に栄成市610事務局の7名の警察官が畢氏を拉致しようと彼の自宅を乱入しました。畢国華氏は警察官達にお構いなくひどく殴られ死亡しました。

 内部情報によりますと、当時、畢氏の自宅には彼一人しかいませんでした。事件発生後警察は外部に対して畢国華氏は心臓発作で気を失いによって強く転んで死亡したと報じました。畢国華氏を知っている人の話では、彼は極めて健康で、心臓病の持ち病はないとのことです。親族の者が畢国華氏の遺体を見た時に、彼の頭部頂きの右側に拳のように腫れあがっていて、左側の腕の関節部分に擦り傷が残っていると話しました語りました。

 * 劉小東氏は黒龍江省北安市刑務所に迫害され死亡した

 元黒龍江省海倫市信用組合の職員の劉小東氏は99年7.20以降、法輪大法の修煉を堅持することで2度警察に海倫市拘置所へ連行され監禁されました。2003年10月、身体が極度に衰弱している劉小東氏は海倫市裁判所に不法に2年の刑期を言い渡され、北安市刑務所へ送られ監禁されました。2004年3月8日、劉小東氏は刑務所内で迫害され死亡しました。年は僅か32歳でした。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/26/78006.html