一つの国家を守るということ
文/ドイツの学習者リナート
【明慧ネット2004年6月26日】
師父、皆様、こんにちは。
私はリナートと申します。1998年に法を得て修煉をはじめました。この場におきまして、私が経験した幾つかの相互に関連性のある事件、及びその中で会得したものについて述べたいと思います。
ある時、中国人の学習者から、「あなたは、とてもドイツ的ですね」と言われました。むろん、私はドイツ人ですから、否定はしませんでした。しかし、時間が経つにつれ、この意味を理解するようになったのです。
2002年には多くの出来事がありました。その年の4月に、圧力を加えられたドイツ政府及び警察は、中国官僚の訪独の際、学習者たちに対してドイツの法律に違反した行為を数回行いました。これらの行為はベルリン、ポツダム、ゴスラーなどの都市で行われました。これらのことに、どのように対処すべきか、当時皆はすぐに認識することは出来ませんでした。
内に向かって探すことで、皆は自分の誤った認識に気が付きました。例えば、争う心や恣意的心無く、融和して事に当たるということなどがあると思います。自分の修煉の中に、まだ漏れがあるということを知ってはいるのですが、江沢民氏の訪独により、もたらされた妨害が、これほどまでに大きいものであり、その中のほとんどの人を惑わすことになりました。この中には警察もあれば、ドイツの官僚、学生、そして、私たちも含まれていました。
非常に明確な妨害としては、江沢民氏の飛行機がドイツに着陸してからというもの、肌に心地よかった涼しい風が、突然身を切られるほどに冷たくなったのです。文字通り骨を刺すほどに冷え切っていました。ベルリンでは、このような刃物が振ってくるような冷たい風は、今までになかったように感じます。この冷たい風は数日間も続きました。キャンドル追悼会に対し、大きな困難をもたらしましたが、皆あまり気にしなかったのです。
ところが、その後事態が拡大するようになりました。警察は、突然ベルリン・アトロンホテルに立ち入り、そこに宿泊していた学習者を追い出しました。直ぐに幾つかのメディアに対し、このことを通知しましたが、このような事態に対する経験が無いが故に、明確な判断を下すことが出来ませんでした。
数週間後、ベルリンでの活動中、直接警察からの妨害を受けた学習者に関する資料を、急いで整理収集しました。数人の学習者は、この事件を処理しなければならないと考え、必要な行動を取ることを検討していると聞きました。一方では、そうは思わない学習者もいました。では、どのように対処すべきであるのか、皆明確な判断を下すことが出来ませんでした。また、私は、警察の尋問や妨害、暴力による威嚇なども受けておらず、直接の当事者ではありませんでしたから、この事件は自分とは無関係であると考えていました。そればかりではなく、心の奥深くでは怒りを覚えていたのです。学習者らのやり方に対し、色々な評価を下し、賛成したり反対したりし、結局はこのことを置き去りにしたのです。とは言いながらも、このことを思い出すたびに、心の中は落ち着かないのです。明らかに、これ以降ドイツに悪いレッテルが貼られことを懸念していました。その一方では、かすかな希望を抱いており、その不安感が消え失せることを願っていました。当時は、それが自分の執着心であるということに気が付きませんでした。
その後の数ヶ月の間、常に心が刺される様な痛みを感じていました。ドイツで発生した事件が、度々ネット上で言及されていました。上手く対応が出来ず、皆は法律的手段により、この問題を処理すべきかということについて、悩んでいました。そして、アイスランド、バルト諸国及びロシアでも現れてきました。しかし、過ぎたことは元には戻りません。前を向くしかないのです。弁護士に依頼すべきであるのかどうかと、学習者の内部でも数回の討論を行いました。
数ヶ月後、二人の中国人学習者が、この事件を通して、弁護士に真相を伝えているのを見ました。そして、同時にドイツ政府を起訴できる可能性について尋ねていました。私は突然自分の執着心が見えて驚きました。この事件は自分とは無関係と思い、ドイツはこの事件の過ちを、隠し通すことが出来るものとばかり思っていました。発覚しない等と思い込み、自分の執着心を、なぜこんなにも長い間留保したのでしょうか…この点に気づき、自分の考えを改めました。
他の学習者と共に、ある弁護士を訪れました。そして、弁護士と共に、ある試みをすることを決めました。私たちは、今回の事件と関連のある政府部門宛に手紙を書くことにしたのです。この事件について、彼らと対話する機会を求めようとしました。この考えは大法に基づくものであり、彼らが事実を知ることを助けたいと思いました。これは、一つの判決自体よりももっと重要なことでした。この考え方は、今日に至っても私たちを指導しているのです。なぜなら、まだ幾つかの司法手続きが終わってはいないからです。一部については、明慧ネットで見ることができますので、ここでは述べません。最も重要なことは、師父がおっしゃる通りに行うということです。どこかに困難が生じるということは、それに対して、より真相を深めるべきところであると思います。
学習者らの協力があって、はじめてこれを成し遂げたのです。警察やベルリン州の議員及びその秘書らに、真相を伝えるために、ある学習者などは出向いてきました。他の学習者らは、市役所付近で正念を発していました。数週間の調査を経た後、ベルリン州は、2002年4月における警察の行為が違法であることを認め、書面における詫び状を提出しました。
2003年4月、他の州においても、中国官僚の訪独時に、地元警察による違法な行為があったかどうかの調査を要望する申請書を提出しました。この機会を利用して、力をもっと入れて、広い範囲で真相を伝えました。この事件における注目度は明らかに増しています。担当部門は私たちの話を真摯に聞いてくれました。一部の書類から、中国国家安全局による学習者に暴力の傾向があるというでっち上げが分かり、政府関係部門もこの説を信じたため、江沢民氏が訪独する際に警備を強化したというのです。裁判では、法輪功学習者らが一度も暴力を行使したことがないということを認めざるを得ませんでした。方や警察側には違憲があると認めました。
今年の5月、温家宝首相が薄熙来とベルリンを訪問する前に、私たちは警察の上層部及び連邦刑事局の局員らと長時間に渡り会談を行いました。今回の会談の中で、私たちの意志を、より明確に表示しました。中国の代表団が訪問する期間、常に政治的圧力及びでっち上げの手段などを通して、突発性の事件を作り出していたのです。私たちも警察側も終始対話を維持し、冷静を保っていました。
最初に発生した事件の発端は座禅にありました。警察は座禅をすることを許可しませんでした。座禅の姿勢が、中国側への侮辱を示しているのだと言いました。これについては、誤解を解くべく直ちに説明をしました。代表団が警察の座禅に関する認識の曖昧さを利用し、騙していたことが明らかになりました。
次に、薄熙来に関する横断幕が問題となりました。中国側は横断幕には侮辱的意味合いがあると述べていました。しかし、数日が経つと、この問題も自然と消え去ったのです。その時、我々の弁護士に依頼するつもりでいましたが、しかし連絡が取れませんでした。数台のパトカーが集結し、学習者や横断幕を遮ろうとしました。一部の学習者は不安になりましたが、一部は無視していました。私も平静を保ち正念を発し続けました。
その後、中国代表団のものが、また悶着を起こしにやってきました。“江沢民を法に依って処罰する”という横断幕を外せと強いたのです。というのは、この中国語は“江沢民を死刑にする”という意味も含まれる、と理解されうると言いました。三人のドイツ語通訳に真相を説明させると、警察は中国代表団に騙されたということが分かったのでした。それからは、全て平静に戻ったのでした。
このような情況にいかに対処すべきなのでしょうか?私には、はっきりとした結論は出せませんが、しかし法に対する理解の中で、確信したことがあります。正念を堅持し、活動を続けていくことにより、弁護士の必要もなくなるでしょう。事実上、薄熙来の随伴者の振る舞いが、あまりにも軽率であったため、結果的には、私たちの平和的請願を警察が当然の様に保護してくれました。私たちが容認しなかったため、邪悪は一瞬のうちに過ぎ去っていきました。むろん、これらの存在を何とも思ってはいませんでしたが。
代表団が帰国してから二日目に、連邦刑事局から連絡があり、私たちが事前の決めごとを全て守ったことに感謝をしていました。十分な証拠からも分かるように、私たちは過去に一度も法律に触れるようなことは、してはいませんと回答しました。今回も事前に多くの配慮をしていたと思います。警察に対しても、事前に中国大陸の情況を知ってもらい、請願の理由及び具体的内容などを知らせました。警察側も二日間を通して、私たちを観察していたことと思います。ある官員によると、私たちへの信頼がだいぶ厚くなったと言います。今後の国事訪問の際には、私たちの請願活動に対し、さらに緩やかな対処で対応すると述べました。また、警察側も、代表団の中で、誰が法輪功に極力反対し、誰がしてないのかを見極めることが出来たと言います。
最後に、ベルリン州警備部は学習者たちを招待し、法輪功及び中国江沢民政権による法輪功に対する弾圧についての報告を求め、より多くの学習者たちの参加を望んでいました。もちろんこの申し出を快諾しました。報告会のなかで、一時間を通して功法を披露し、法輪功を紹介し、写真を展示することで、学習者たちの受けた迫害の情況を伝えました。それからの二時間を使い彼らの質問に答えました。
報告会が終わると警備員らは、感謝の意を表しました。そして、私たちが本心からの平和を望んでいるということを理解してくれました。私にとっても、これは素晴らしい経験となりました。彼らは、陥れや虚言に騙されることなく、その目で真相を見ることが出来るようになったのです。素晴らしい未来がもたらされることでしょう。
ここで、冒頭の質問に答えます。彼は、私がとてもドイツ的であるということを言いましたが、その通りと思います。自分の内心にある非常に良くないが、ドイツではしばしば見られる認識を見つけました。それは自分の錯誤を認めないことです。私の父の世代及び祖父の世代のナチス時代では、このようにしてきました。今日の元東ドイツ地区では、たくさんの共産党がこのようにしています。そして、自分も見て見ない振り、あるいは沈黙をもって2002年4月ドイツ警察が、学習者に対して行った好意を忘れようとしたことに気が付きました。このことについて、公に表したくはありませんが、責任者の方々にその錯誤を認識してもらうようフォローしたいと思います。
ドイツ政府により深く真相を伝えるため、ここ2年来他の学習者らと共に、平坦とは言えない道のりを歩いてきました。今は自分がドイツ的であるかどうかなどもう考えてはいません。この点においては、すでに乗り越えることが出来たと感じています。
最後のもう一つの体験についてお話したいと思います。私は対談が終わった際に、私たちはあなた方(対談の相手)を助けるために来たと言うことを伝えています。それは、虚言に騙され弾圧に荷担することを避けるためでもあります。この言葉を話すときには、いつも部屋の中に、一種の深い静寂が漂っていることを感じます。その静けさを言葉で表現することは、とてもできませんが、まるで彼らの生命の分かっている面に触れたかのように、明瞭であり、言葉を超えた明瞭さでもあります。私自身も、この深い静寂の中に包まれています。お互いのより深い層における相互の繋がりを感じます。
学習者皆さん、共に歩んできた道のりにおける相互の努力に感謝致します。このような方法で大法を実証し、衆生を済度するということへの師父の案配に感謝致します。どうもありがとうございました。
(2004年ヨーロッパ・ウィーン法会における修煉体験発表の原稿)
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/26/78002.html) |