一西洋人学習者の体験
— 天安門広場での自焚に目覚めて大法を証明する
モントリオール学習者オリビア筆
【明慧ネット2004年6月23日】皆さん今日は、
私はオリビアと申します。私は長い眠りのような三年の後、如何に大法修煉に戻ったかについてお話したく思います。私の体験が、他の精進していない、又は意志が弱い為に罪悪感のある同修達に、その執着を早く取除くよう激励することを望みます。
私はモントリオールのフランス語を話す家庭に生まれました。1997年、師父は私に大法を学ぶ機会を与えました。初めて転法輪を読んだ時、私は残りの人生を法輪大法の修煉をして過ごすだろうことと、これは私が求めていたものであることが分かり、良い修煉者となる為に全てを犠牲にする心構えがありました。しかし、師父が何度も言ったように、正か不正かは一念から決まるものです。私の場合、幼少から身に付いた全ての執着を放下するのが恐ろしかったのです。私が修煉を始めた時、モントリオールでのフランス系の学習者の環境はまだよく形成されていなかったので、そして英語を学ぶことに対し怠け心があった為に、私は自分で法の勉強をし、煉功しました。修煉環境が安定せず、一年後には観念や執着や恐れが強まりました。それで三年間は自分を、人生を楽しんでから修煉する修煉者と見做し続けました。私は自分が分別も無く正道から外れていることが分かっておりましたが、自分の正念を強めることが出来ませんでした。この長い三年間、邪悪は私の隙を利用し、私が修煉者となることからどんどん遠のくよう煽動し、更に悪いことには、良い常人にも及ばない程になりました。
2001年の夏、私は目覚めさせられました。その時私はオタワにおり、テレビで天安門広場の自焚を見ました。その時突然私の正念が目覚め、全ての執着を突破して、大法に対して真に責任をもつ決心をしました。私はそれまで自分にそれ程多くのものを与えてくれた師父と大法を支持することを何もせず、自分は全く恥ずべきであると感じました。それで私は真相を伝えることを始めました。
翌朝オタワのラジオ局から若いレポーターが、2008年の北京におけるオリンピック開催決定について、私と私の友人をインタビューに来ました。私はこの機会を利用して、私が法輪大法の学習をしていることを知らないその友人とレポーターに、真相を伝えました。振り返って見ると、師父が私を見捨てずに見守っていたことが分かります。師父は私が大法弟子として真相を伝える責任を、十分に担うのを待っていたのでした。
それでも、私はこの三年間に多くの業力を貯えてしまいましたので、親しい人達は皆私が大法の修煉をすることに激しく反対しました。あらゆる方法で平静に忍耐強く説明しても、情況は悪くなる一方でした。私はあらゆる方面から圧力をかけられました。私の法の認識は限られたものでしたが、法を証明しようとする心はあり、一歩一歩しっかりと前進しました。私が現在も通っているモントリオール大学で、ホールの案内所を通じ、又、グループや催し物に参加して真相を伝えました。行う度に私の観念や執着を突破しました。多くの間違いがあったことは分っていますが、私は初めて自分の使命を成し遂げていると感じました。
2002年、私は自分が大法を如何にもっと効果的に証明できるか、考え始めました。ある期間考え続けた後、私は自分が若く、社会における責任も少ないので、中国へ真相を伝えに行くのが最も良いことだと認識するに到りました。しかしながら、どうやってそれを実行するか、又如何に中国で真相を伝えることが出来るのか分かりませんでした。結局私はモントリオールのある学習者にこのことを話しましたら、彼は自分も同じことを考えていたと、打ち明けました。
二週間程後、彼は望みを同じくする他の同修達と連絡を取りました。こうやって私たちは計画を開始し、数ヵ月間この件で話し合いました。明慧ネットが、海外の学習者は大陸へ行かないように、という記事を掲載したのはこの頃でした。それでその計画は徐々に消えてしまいました。私はそれでも自分の路は異なるという認識があり、表面ではどうであろうと、中国へ行く決心がありました。それにもかかわらず、私は中国へ行くお金が無く、中国でどのように大法を証すことが出来るのか、全く緒が掴めませんでした。
この事で頭痛がする程まで一週間考えた後私は、もしも私が中国へ行くべきなら、師父がその方法と理由を示してくれるだろうという信念から、その考えを放下しました。その一週間後、ある友人から電話があり、中国でフランス語を教えないかということでした。ある会社が私を雇いたく、飛行機代やアパートの家賃の一部を負担してくれ、月給も支払ってくれるというのでした。私は師父の按配に驚き、感謝しました。約1ヶ月半後、私は昆明に向かう飛行機に乗っていました。何が起きるか、又言葉も生活習慣も知らない処でどうやって真相を伝えるのかも、認識していませんでした。
到着後、私は大きな圧力を感じました。周りの中国人達を救う為に、平静で理性的でなければならないことは分かっていました。中国の情況について多くの観念がありました。中国に来る前は、大法に反対する人に対し、あまり慈悲心がありませんでした。多くの事が私の西洋人的観念では理解出来ませんでした。この旅を通じて私は、男女共に、子供でさえ大法に対し、否定的態度であることに気付きました。本質的に悪い人達ではなく、ただ単に、江沢民の嘘以外に情報源がないからでした。
悪魔が転生した者の他に、多くの人達はその無知と欠点を邪悪に利用された為に、大法に反対していました。私の生徒の一人は一年間強制労働所に入れられるまでは、大法弟子でした。離婚や拘置、そして周りからの強い圧力をかけられた後、彼女は "転化" されたことになっていました。彼女と話し、彼女が転法輪を100回以上も読んだことを知りました。しかし彼女は単に表面的な理解をしていたに過ぎません。それでも私がフランス語の転法輪を見せると、まるで忘れていた喜びを取り戻したかのように顔が輝きました。旅の終わりにかけて、残念ながら彼女の恐れへの執着が表面化してしまいました。けれどまだチャンスはあることでしょう。
中国においてあらゆる邪悪の行為を目撃し、中国人を救う為に出来る限りのことをしたく、自製のVCDを作ることにしました。複製する為には、私の職場のコンピューターを使用しなければならず、同僚が居ない時を見計らって素早くする必要がありました。ある程度の枚数が出来ると、夜間に配りました。それは容易いことではありませんでした。CDを配ることだけでなく、作製においても、絶えず逮捕されることへの恐れと闘わなければなりませんでした。しかし配ることにおいては、殆んど問題がありませんでした。師父に見守られていたのです。ある日VCDを作っている時に、数分間居眠りをして夢を見ました。私から数百メートル離れた処で、幾人かの人が天から降って来た流星に当たって死亡しました。それはまるで一つ一つの星が、特定の人を狙っているかのようでした。夢の中で私は彼らを救おうと走り出しましたが、このような災難が起きる前に何とかするべきであったという、後悔の気持を持ちました。師父のメッセージを理解し、私はもっと多くの衆生を救う決心をして、改めてVCDを作り始めました。
教鞭をとっている間中、私は小グループの討論会等で真相を証す映画を見せたりして、正念をもって真相を伝える努力をしました。任期末に、生徒達が言いました、「あなたはフランス語とケベックの文化を教えるだけでなく、どうやって良い人になるかも教えました」。最後のクラスで私は、師父の教えに従って良い人であるよう最善を尽したことを言いました。彼らは法輪功が良いものであり、中国政府が迫害を正当化する為に虚言を吐いていることを、理解しました。
航海の終わりに近づき、私はせかせかと急いで物事を片ずけていましたので、安全に関する注意を怠り、警察に通報され、三日間不法留置されました。予想に反し、警察の態度はそれ程悪いものではありませんでした。もちろん私に嘘を言ったり、様々な脅迫をしたりはしましたが、師父や大法を中傷させようとはしませんでした。最初私は真相を伝え続けましたが、長年のうちに積もり積もった悪い観念を見せつけられるばかりで、彼らに真相を受け入れさせることは出来ませんでした。
それからは私はもっと平静になることにしました。そして一つの教訓を学びました: 真相を伝える最良の方法は私の態度であり、言葉ではないということです。彼らは私が中国に何しに来たのかよく分からないようでしたが、私が去る時には数人が友人に挨拶するかの様な態度を示しました。師父について汚い冗談を言おうとしたある警察官でさえ、私が確固とした態度で窘めると、静かになりました。彼らの未来がどうなるのか私には分かりませんが、私が置いて来た真相を証すフィルムを見て心を開くよう望んでいます。
私はシンガポールへ不法追放されました。七ヶ月中国に居た後のことで、多くの大法弟子が外で煉功しているのを見て、とても感動しました。まるで岩だらけの砂漠を一人っきりで歩き続けた後、花咲く庭に踏み込んだかのようでした。老夫婦の大法弟子の助けをもって、私はカナダに戻ることが出来ました。師父が言ったように、法輪大法はピュアーな場です。世界中何処においても、問題に出逢った時には、大法弟子の助けが得られると期待して大丈夫です。
モントリオールに戻ってから、私は再び様々な方法で真相を伝え始めました。そして私は、モントリオールにおける法会を組織する考えを持ちました。それはケベック州において広範囲に真相を伝える機会となります。又そうすることは、カナダの大法弟子達がより結束した一体となる助けとなります。又カナダの弟子の法の認識を深めます。私個人の修煉状態は、モントリオールの弟子達の一体としての修煉状態とよく似ています。私たちはスタートが遅れました。今は、失った時間を取り戻し、全体を一体として強化しなければなりませんでした。体の弱い部分をよく面倒を見れば、全体がしっかりします。
この法会を具体化するに関しては、いくつかの障碍に遭うことは分かっていましたが、それが何処から現れるのかは予想出来ませんでした。大きな障碍の一つは私達モントリオール弟子の中から起きました。この件では、中国人弟子と西洋人弟子間の互いの理解不足が大きな原因でした。最初の障碍は、そのような法会を組織することへの自信のなさでした。主に中国人弟子達は、フランス人社会での手続きの仕方が分らず、責任を担うことを恐れていました。更に彼らは過去において責任を持ちたがらなかった西洋人弟子達に、任すことが出来るのかどうか分りませんでした。西洋人弟子達はそのような仕事は大したことでは無いことが分かっていましたが、中国人弟子達が全ての責任を持つことを期待していました。
多年に渡って西洋人弟子達はいつも、中国人弟子達が真相を伝える仕事を用意してくれるのを待っていました。そして時に、中国人弟子達がここの社会習慣をよく知らぬことが原因で、講真相の仕事がうまく行かないことがあると、私たちは内面を見ずに、足りない部分を補うのは私たちの責任であることを理解せず、中国人弟子達を責めるのでした。私たちは、英語か中国語しか分からぬ中国人弟子達に、ケベック社会の習慣を理解することを期待することが出来るわけがなかったのです。
これら過去の様々な誤りを思うと、師父が私を見捨てず、三年間も常人にも劣るような態度をとった私に、二度目のチャンスを与えてくれたことに、限り無く感謝します。それ以来私は、常人から見れば莫大とも思える、しかし修煉者から見れば些細な障碍を乗り越えました。私は修煉の初期には多くの時間を無駄にしましたが、今それを補おうと急いでいます。多くの衆生が救われるのを待っています。
(2004年カナダ法輪大法交流会での発言、モントリオール)
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/6/23/77713.html) |