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黒龍江省の大法弟子である徐伏芝が迫害され、死に至った詳しい情況

 【明慧ネット2004年7月17日】徐伏芝さん(55歳)、牡丹江市北安街の北安大隊に居住し、以前に北安大隊の鋳造工場で働いたことがある。彼女は法輪功を修煉しているうちに、長年にわたる心臓病、高血圧はすべて治った。幸せで円満なむつまじい家庭を持ち、2人の娘がいる。大法は彼女に心身の健康をもたらし、彼女は人に会うたびに大法は素晴らしいと伝えた。

 2002年11月6日晩、徐伏芝さんは家でご飯の支度をしていた時、牡丹江市北安派出所の警察によって不法に牡丹江市愛民支局の国宝大隊へ連れて行かれた。彭軍らは牡丹江市の悪徳な警察が常用しているビニール袋を頭からかぶせて、からし粉を注ぎ込んで、窒息させるという残酷な手段を使って、徐伏芝さんに真相資料の出所を言うように強要した。悪徳な警察は思いどおりにならなかったので、徐伏芝さんを不法に牡丹江市看守所に監禁してしまった。

 徐伏芝さんは修煉を放棄せず、邪悪に協力しなかったので、2003年3月に愛民裁判所に3年半の刑罰を下され、2003年6月16日にハルピンの女子刑務所に送られた。牡丹江市看守所にいた時に、徐伏芝さんは迫害されたせいで、全身に疥癬ができて、高血圧、心臓病もあったので、ハルピン市の女子刑務所に断られ牡丹江市看守所に返された。そもそも重病なので、一時出所して治療させるべきであった。しかし牡丹江市の610事務所、看守所は刑務所が健康診断の不合格のため断った大法弟子に対して、釈放せず、治療せず、家族が一時出所させて治療を受けさせようとしても、彼らは幾重にも関を設置し妨げた。徐伏芝さんの夫は自分の住宅を換金したのに、重病のため一時出所する手続きさえもできなかった。牡丹江市看守所に監禁された徐伏芝さんは、血圧も260と高く、全身が我慢できないほど痒い疥癬、その上心臓病をすべて治療をすることができず、脳溢血までを招くことになってしまった。2004年5月26日に迫害で死んだ。

 牡丹江市看守所はこれまでも不法に刑罰を下され、体が残虐な刑罰のせいで一人で生活できず、刑務所が健康診断の不合格で断った沢山の大法弟子を拘禁していたことがあった。大法弟子の心身健康は由々しく虐げられた。牡丹江市看守所は、治療もしないで、大法弟子の生命が危篤に至るまで釈放しないが、悪徳な警察は大法弟子が看守所で死ぬのを恐れて、仕方なく牡丹江市の公安病院に送ることにした。徐伏芝さんはこのように迫害されて死に至った。家族がこの情報を知った時、彼女はすでに人事不省になっていた。このような情況でも、牡丹江市公安局の看守所、牡丹江市610事務所の悪人達は徐伏芝さんが迫害に遭った事を暴露されるのを恐れて、その公安病院で彼女の家族を厳重に監視していた。家族は1人に一回しか意識不明の肉親を看護することしか許されず、また出入りは依然として制限されていた。

 いったい誰が徐伏芝さんを殺したのだろうか?徐伏芝さんが大法を修煉してから、とても健康だった。不法に1年6ヶ月看守所へ監禁された後で、牡丹江市の610事務所、牡丹江市愛民支局の国宝大隊の彭軍、牡丹江市北安派出所、牡丹江市の愛民裁判所の孫宏良などに、迫害され死に至った。ほかでもない、これらの人たちは徐伏芝を殺した凶悪犯である。

 現在までに、牡丹江市の大法弟子は7人が迫害されて死に至った。牡丹江市の610事務所、牡丹江市の愛民裁判所、牡丹江市の各裁判所、公安局に尖山刑務所、ハルピンの女子刑務所、ハルビン麻薬中毒回復所、牡丹江市看守所、牡丹江市労動教養所、牡丹江市精神病院に送り届けられた大法弟子が600人に近くあって、彼らはそこで残酷な迫害を受けていた。牡丹江市の610事務所の李長青などの“政治的業績”は、ほかならぬ江××につき従い、大法弟子の鮮血と生命で交換されたものである。牡丹江市の大法弟子が迫害されることに対して、彼らの友達、家族はこのまま沈黙してはならない。紙は火を包めないように、恨みには相手がいて負債には債権者がいて、全世界で江沢民を公開裁判している。牡丹江市の江××につき従い、大法弟子を迫害する悪人も歴史の裁判から逃れることはできないのだ。


 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/7/17/79613.html