日本明慧


涙では記憶を洗い流すことは出来ない〜王金鐘さんの思い出(写真)

 文/トロントの学習者・曾暁南

 【明慧ネット2004年7月18日】2004年6月23日の夜、明慧ネットを見ている際、“王金鐘さん”が警察に連行され、刑務所内で各種の残酷な体刑を受け、3週間後の2004年6月14日に死亡したという記事が眼に入って来た。まさかと思いつつ、震えの来た手を抑えながら、このニュースを開いた。その人でないことに淡い希望を抱いていたが、画面に映っていたのは、やはりわたしが20年来“おじさん”と呼んでいた王金鐘さんであった。

王金鐘さん(男性・48歳)、瀋陽市和平区に居住。2004年5月20日、中山公園で、瀋陽鉄西区公安支局の興順路派出所の警察によって連行され、残酷な拷問を施された後、不法に鉄西留置場に入れられた。6月13日午後死亡後に、医科大学第二付属病院へと搬送された。病院の診断は、搬送前に既に死亡していたというものであった。

 涙にかすんだ眼をつぶると、久しぶりに少年時代の思い出が、王おじさんの実直、温厚な笑顔とともに浮かんできた。おじさんの奥さんは、母の同僚で、そして大の親友であった。また、実家と王さんの家は、200メートルほどの距離であり、親戚以上の付き合いがあった。そのため幼少のわたしは“彼の家”と“私の家”との明らかな区別を感じられなかった。おじさんの家に宿泊することは、両親の厳しい管理の手から逃れる良い口実にもなっていた。おじさんの奥さんである、顧おばさんの優しい性格は、母の厳しい躾とは対照的であった。

 街灯の下で泣きじゃくっていたわたしが、おじさんに付き添われて家に戻っていった一幕は、少年時代の追憶の中で、最も印象的場面として胸に刻まれている。時に、母が王おじさんに、わたしを甘やかすことを咎めると、「仕方がないでしょう…私を叔父さんと呼んでいるじゃない?」と、王おじさんは、わたしの頭を撫でながら笑っていた。わたしは、おじさんの力強い太い声、さわやかな笑顔、逞しい背中と木訥な性格が大好きであった。

 娘の王倩ちゃんについての話になると、普段言葉が少ない王おじさんは眼を輝かせ、娘の音楽方面における素質が、自慢話であり、娘の養育については心血を注いでいた。小学生時分、歌も踊りも上手な王倩ちゃんは、すでに学校と地域の小さい有名人となっていた。その後、音楽付属中学に進学し、声楽を学んだ王倩ちゃんは、声楽、ピアノと踊りともに精通しているエリートとなっていた。すでに、いくつかの音楽学院が高い評価をしていた。一家はとても幸せなであり、温厚篤実な主人、美しくて優しい妻、優秀な娘、整備された住宅環境の中で、一家団欒を満喫していた。

 1995年、一家は法輪功の修煉をはじめた。その直後、母も修煉しはじめた。母の身体に大きな変化が現れてきたが、王おじさんも少しずつ変化していくことが感じられた。週末おじさんの家に食事をしに行った時、家事を手伝うことがなかったおじさんが、食事の手伝いをしているのを見かけた。夕食には、欠かせなかったお酒の姿が消えていた。後ほど、王倩ちゃんが、修煉をはじめてから、全てのタバコとお酒を人に送ったことを教えてくれた。

 また、玄関の脇に大きな竹箒が置かれていたが、それはビルの階段を自主的に清掃するためのものであった。王家の暮らし向きは裕福であったが、修煉してからというもの質素になってきた。余ったお金は他人を助けることや、法輪大法を伝えるために使うようになった。町内の人が喧嘩をしている時には、内を向いて自分の不足を探すように、より多く他の人の困難を考慮するようにと説いていた。多くの若者が普段汚い言葉を口にすることがあったが、王おじさんは自身の経験を例として説明し、多くの人が汚い言葉を使わなくなっていった。王家の誠実と善良は、多くの隣近所の人へ影響するようになった。全ビルの住民が穏やかになり、お互いに関心を持つようになった。

 毎朝、母と王おじさん一家は、近隣の法輪功学習者らと共に、側の小さい公園で煉功をし、わたしと父は友人らと一緒に、球技をして過ごす。その後は一緒に朝食を買って、和やかに談笑しながら家に帰る…今この光景を思い出すと、最も名残惜しい時間であったと思う。

 1999年の7月20日以降、王おじさんと顧おばさんは度々政府へ陳情に行き、法輪功の真相について説明をしたが、その結果得たものは、不法な罰金と拘留であった。その後、彼らの全家族は監視され、電話も盗聴されることになった。取締が強化される期間では、家族の出入りも制限された。やむを得ず、高校進学を控えた娘を母方の祖母の家に送り、事態を避けるようにした。2001年の初め、人々に法輪功の真相を伝えているということで、王おじさんは現地の警察により不法に連行された。その後、何の審理も無く、1年間の労働教養に処され、瀋陽の張士教養院へと収容されてしまった。

 労働教養所内では、電撃や各種の残酷な体刑により苦しめられた。顧おばさんも、不法に指名手配とされ、やむなく家を離れ流浪の身となり、2年が経っている。王おじさんが釈放された後、偶然に街で出会ったことがあったが、おじさんの腕や顔には、電撃された後の鬱血の痕跡が数多く見られた。1999年7月から、わたしが国外へ行く前の4年間というものは、両家は200メートルしか離れていないにも関わらず、各種の圧力の下で、もはやおじさんの家に行くことも出来なかった。

 王おじさんに関するニュースは、母の口から少しずつ聞くことが出来た。母が被った迫害から推測すれば(何度も逮捕され、めった打ちされ、何度も家財を差し押さえられた)、容易に王家の暮らし向きを想像することができる。おじさんが釈放された後、職場の責任者は彼の全ての職務を取り消した。そして、臨時工員とし、トイレの清掃係りにした。おじさんは、いかなる不平も言うことなく、いずれ人々が真相を知る日が来ることを、被った全てのことは公正な対応がされるということを信じていた。

 2003年、おじさんはわたしがカナダに移民することを知った後、人に頼んで、ひとまとまりの上質なスーツを送ってきた。飛行機に乗る前日、電話を掛けてきてくれたが、現在も監視をされているため、見送ることができないと言った。そして、「どこで生活することになろうと、他人のことを思いやる、本当の善い人になることを忘れてはいけない。善良な人は永遠に最も楽しいものがある」と言った。

 カナダに来て一年間、江沢民政権による数々のでっち上げがはっきりとして、再び法輪功を理解した後、わたしはやっと修煉をはじめた。自分の変化をおじさんへ伝えた。おじさんは喜ぶと共に、「わたしと妻、そしてあなたのお母さんは、皆あなたが法を得るが出来ると思っている。あなたが法を得ることは、あなた一生の中で最も幸運な事であり、最大の幸せだ」と静かに言った。また、カナダに来ることが出来、法を得ることが出来たのは、決して偶然でないとし、「あなたは、大きな使命を担っており、あなた達一家が国内で受けた迫害を身の回りの全ての人へと伝えるべきで、お母さんを救うべきだ(母は法輪功を修煉するために、不法に8年の刑を言い渡された)」と言った。

 わたしは涙を流しながら、おじさんの言葉を聞き終えた。かつて、わたしの頭を優しく撫でてくれた、関心と慈愛に満ちたその姿を目の前に思い浮かべていた。しかし、これがおじさんと言葉を交わした最後となってしまった。気持ちが少し落ち着いた後、おじさんの家に電話を入れた。顧おばさんが電話に出たが、その声には悲しみとやるせない怒りが満ちていた。そして、電話口ではお互いに、しばらくの沈黙が続き、わたしは慰めの言葉も思いつくことが出来なかった。その時、おじさんが最後にわたしに伝えてくれた言葉、「あなたは大きな使命を担っている…迫害を身の回りの人に伝えること」を思い出した。

 わたしは、王おじさんの生前の職場とかつて迫害をした派出所、留置場に電話をした。事件の全ての経過を穏やかに問合わせたが、返ってきたのは派出所と留置場の従業員の曖昧な応対、侮辱と罵り、開き直ったような脅しの言葉であった。勤務先の責任者は、「職場の大会で、王おじさんが煉功するために“走火入魔”となり自殺したのだ。いかなる従業員であっても家族を見舞いに行くことは許可しない。今後の成り行きを見ていろ!」と言った

 多くの従業員と友人らは、留置場の警官に迫害され死亡したということを知っていた。「とても良い人だった。しかし、自分たちに何が出来ようか?」と言っていた。電話の中で、はっきりと彼らの哀惜と無力感、中国社会に対する失望が聞かれた。隣近所の人達のほとんどが、現地の住民委員会と派出所の脅しや騙しを受けていた。わたしはゆっくりと受話器を下ろした。胸中の悲痛は言葉では表しがたい。

 修煉を堅持する良い人が迫害され死亡した。この巨大なる虚言は、今も尚周囲の人々の良識を飲み込み、王おじさんの家族らは、その圧力と不公平な誹謗に耐えなければならない。全ての良知を迫害する状況下において、人々の沈黙と軽視は、民族と社会に対する罪とも言えるのではなかろうか?歴史は全てを記録するであろう。私たちはいかにして、この浩瀚広大なる歴史において、自らの位置を決めるのであろうか?

 わたしは、真相を身の回りの全ての人に、江沢民政権の虚言に害されている華人同胞に、おじさんは、良い人になろうとすることで迫害され死亡したことを、母は修煉を堅持することで不法に8年の刑に処され、神経系薬物投与による迫害を被っていることを伝えようと思う。わたしの家も、王おじさんの家も、全国の迫害を被っている数百万家庭の一つに過ぎないのである。

 960万K㎡の地上、10億人もの人口を持つ大国において、1億人に近い法輪功を修煉する善良な人々が、死別と別離を体験し、一家離散や肉親を失うことで苦しんでいるのである。この文章を王おじさんへ捧げると共に、顧おばさんと娘さんを慰めたく思う。涙は身内を失った苦痛を瞬間的には、和らげることが出来るかもしれないが、内心の記憶を洗い流すことなどは少しも出来ない。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/7/18/79653.html