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尼僧が大法弟子となり、真相を伝える

 【明慧ネット2004年6月16日】2003年10月、私は交流会にてこの伝説的な出家人の大法弟子に出逢った。私はずっと前に彼女が法を得た奇縁について聞いたことがあった。以前衰弱していたこの婦人は、大法の修煉を幾年か続けた後、40才を越えているにもかかわらず、20代の若い娘のように見えた。

 この同修の父母と祖父母は、ある仏家の一門の高僧に付いて修煉していた。この尼僧である弟子が子供の頃、彼女の父母と祖父母はよく彼女に、彼らの師父の修煉物語を話して聞かせ、その一門の創始者から伝わる、"世界中の人が同一の法門で修煉をすることになるだろう" という予言について話し、現在の人は、出家した僧侶や尼僧でさえも、正果を得るのは非常に難しい、未来は「世界大同」となり、この世界の人になることが出来る人は、非常に好運であると言った。更に彼女の父母と祖父母は度々言った、「その時には、おまえはその一門で修煉し、万古の機縁を大切にしなければならない」。彼女の父は死ぬ前に特に彼女を促した、「この世界大同修煉法を得る者は、幾年間の魔難に遭うだろう。それが起きた時には、生きることも死ぬことも難しいと感じるだろう。おまえがこれらの魔難に耐えることが出来ることを望んでいる。それは冷たい冬みたいなもので、その後には春が来るのだ」。

 冷たい冬の後には春が来る — 何と素晴らしい言葉か! その言葉は幼い彼女の心に深く残った。このように佛への敬意に取り巻かれ、世界大同の日が来るのを待ち望みながら、1984年正月彼女は安微九華山の寺で尼僧になった。以来彼女はその宗教で十数年修煉を続けたが、名師に出逢うことは出来なかった。後程彼女は様々な病を患い、寝食もろくに取れず、言葉に表現出来ない程の苦しみを味わった。彼女が迷いの中で失望していると、姉が、宗教はここまで落ちてしまい、きっと名師が現れるに違いないと言った。それで彼女はそのような師が現れるのを待って、寺で修煉を続けた。

 1997年9月、法輪大法が九華山に伝わった。幼い心に保ち続けた世界大同がついに実現した。その頃までには、大法は世界中に広がっていた。彼女は大法を熟考し、それが確かに彼女が待っていたものである事が分かったので、固い決意をもって大法の修煉を始めた。それからは切望する心が潤って、彼女の生命は活力に満ちた。大法修煉を始めてまもなく、彼女の病は全て消えて無くなった。痩せ衰えていた身体は、肉付いた。大法の美と彼女の心身の変化は、驚くばかりであった。

 1999年7月、風雲が突然変った。江が単独に法輪功の悪質な弾圧を始めた。人を欺く流言が飛び交い、中国の隅々までが恐怖に陥った。彼女は考えた、「これが先輩達が言っていた魔難なのかしら? これは冷たい冬であり、それが過ぎれば春が来る」。法輪大法は間違っていない、"真善忍" は間違っていない、彼女が尊敬する慈悲深い師父は人々を救う為にやって来たのである、と決定した。最後まで動揺することなく修煉する決心をした。

 2000年、公安は彼女が大法の煉功をした為に、彼女を不法拘置した。それから1ヶ月間強制的に洗脳しようとした。真善忍への信念を放棄しない為に、あらゆる拷問にあった。警察は一千元の罰金を課し、彼女の兄に支払いを強制した。彼女は幼少の頃に出家し、ずっと独身で収入が無かった。兄が支払いを拒否すれば、彼の家は破壊されるのであったから、兄夫婦は一千元を渡した。彼女が釈放された後、警察は彼女を訪問する名目で、九華山と黄山に三度も旅行し、四千元の旅費を彼女に支払い要求した。彼女はお金を全く持っていなかったので、警察は彼女が住む村に罰金を課した。村役人達は各村民から徴収するしかなかった。

 2000年、洗脳部に居る間、彼女と同修は真善忍への信念を放棄せず、大法修煉を堅固に続けたので、"610室"と警察は彼女等を長時間に渡って炎熱下に立たせ、食事も十分に与えなかった。彼女を含む8人の女弟子達が座禅をした為、警察は彼女等を外へ引き摺り出し、ホースで頭に半時間も冷水を浴びせたことがあり、それである弟子の袖は引き裂かれた。数人の弟子は生理中であったが、それでも外へ引き摺り出されて冷水を浴びせられた。立って煉功した時、再び警察は彼女等を引き摺り出して長時間立たせ、互いに話すことを禁じた。ある弟子は数語を呟いただけで、警察は彼女を殴り、口汚く罵った。彼らは交代で彼女の顔に平手打ちを食わせ、又全員を外へ引きずり出して冷水を浴びせた。この尼僧のシャツのボタンは引きちぎられ、ズボンは足の皮膚共に引き裂かれた。

 2001年7月、彼女は師父と大法の名誉を回復したく、北京へ一人で請願に行った。7月29日、天安門警察は彼女を、北京から60マイル離れた処にある派出所へ送還した。警察は彼女に名と住所を尋ね、彼女は応えた、「出家人は何も持たず、家もありません」。彼らは彼女の名を聞き出すことが出来ず、二人の力強い男に深夜乱暴をさせた。一人が彼女の右手を掴み、もう一方の手で首をしめた。もう一人は彼女の顔に平手打ちを食わせ、ライターで彼女の唇を三度焼き、大きな火膨れが生じた。それからこの悪党は続けて彼女の指を三本焼いた。火膨れが人指し指と、中指と薬指に生じた。彼らは彼女を長時間拷問し続けた。悪党が彼女の指を焼いている時、肉がじゅうじゅうという音がしたが、不思議と彼女はそれほどの痛みを感じなかった。それは師父の保護によるものであることが分かっていた。彼女の涙がほとばしり出た。与太者達は悪智慧に尽きたので、彼女の両手をストールに括り付け、彼女を眠らせなかった。第二の夜、彼らは再び彼女を括り付けた。

 丁度彼女の父親が言った通り、魔難が来ると死ぬも生きるも困難であると感じた。8月1日監獄に送還されるまで、これは続いた。同室に居た同修達は彼女の焼けただれた指の二本が腐っているのを見た。快復した二本の指は変形し、小さくなった。このような強暴に面し、彼女は堅固で決して屈することがなかった。

 この出家人の同修は、師父と大法に堅い信仰を持つ。何処に居ようと、邪悪な獄中であろうと、獄外であろうと、その後住居もなくさ迷い歩いていようと、現在のように寺で修煉していようと、他の同修のように、この万古の機縁を大切にし、法を正す時期の大法弟子としての使命を履行する — 大法を証し、衆生を済度する。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/16/77209.html