日本明慧


中国の監獄で受けた私の迫害経歴(写真)

 文/カナダ法輪功学習者 何立志

 【明慧ネット2004年7月23日】

 私は何立志と申します。中国での三年六ヶ月の監獄生活を経験してから、国際社会の支援の下で、今年の五月にカナダに来ることができたのです。ここに来てから始めて自分の名前が二年前からカナダのネットに掲載されていたのを知ったのです。私および同修たちもアムネスティ・インターナショナルに「良心犯」として名前を掲載されたのです。ここ数年にわたってカナダの同修たちおよびたくさんの善良なカナダ人、一般市民から国会議員までが、中国大陸で迫害されている法輪功学習者たちを無条件で釈放するようにと絶えず中国政府に呼びかけていました。私たちを救い出すために多大な努力をしてくれたのです。出獄後、カナダ移民部がまた私の事案を優先処理としてくれました。三年十ヶ月も別れ離れとなっていた妻と再会することができたのです。私はこの善良な人たちの正義の行動に大変感動し、ここで彼らに心からの感謝の意を致したいばかりです。




7月14日に、カナダアムネスティ・インターナショナルが「良心犯」である何立志さんを招いて、中国で受けた迫害経歴について話してもらいました。この写真は、アムネスティ・インターナショナル中国担当者であるPatricia Balfourさんとの撮影です。


 妻と私は二人とも法輪功学習者です。1995年から法輪功を修煉してから、私たちは健康な体、気軽で愉快な生活態度、人付き合いも寛容にようになり、真、善、忍を修煉することで内心にこの上ない悦びを得たのです。今日私は、法輪功がカナダでも歓迎され、称えられ、そして政府の表彰をも受け、ますます多くのカナダ人が法輪功修練の行列に入り、私の同修となることをうれしく感じます。

 しかしながら中国では、ただ法輪功を修煉するだけで拉致され洗脳センター(思想転化目的)、看守所、精神病院、監獄などに強制的に入れられ、肉体的、そして精神的な虐待を受け、ひいては虐殺され、命を奪われているのです。数え切れない法輪功学習者たちが故郷を追い出され、家族、友人との連絡を絶ち、生死不明のままです。さらに多くの人が法輪功を修煉したため、その学業、仕事、生活の保障を失っています。江沢民政権が1999年7月から今日までのちょうど5年間の法輪功に対する死に物狂いの迫害の中で、人類の基本的な道徳および良知が大きな衝撃を受け、中国の民衆たちは常に恐怖の中に置かれているのです。

 私はかつて経験豊かなエンジニアでした。北京鋼鉄設計研究総院で仕事をしていた頃、いくつもの国家レベルの重要工事の設計に携わっていました。会社、冶金部門に先駆者、科学技術の模範、設計質量優秀個人賞などの称号および奨励を何回も頂きました。担当する工事項目も国家優秀工事設計のグランプリ、科学技術進歩賞などをも受けたことがあります。それから中国建設部登録管理委員会に選ばれ、職業資格登録センターで国家最高レベル登録構造エンジニアの出題および試験管理の仕事に携わっていました。協力しあい、人を助けることを楽しみとし、仕事の能力および責任感が強いため、常に同僚たちの賞賛および尊敬を受けていました。このように私が一生懸命に国家のために自分の知識および能力を貢献しているにもかかわらず、ただ真善忍である宇宙真理を信仰していたため、そして法輪功を堅持していたため厳重な迫害をうけるに至ったのです。

 2000年3月4日、全国人民代表大会が開催される寸前に、私の妻が天安門広場で法輪功のために請願しに行って遅くまで帰らないので、午後になると私は彼女を探しに行きました。広場に入ると、私服警察に法輪功学習者かと聞かれて、“はい”と答えただけで、パトカーが駆けつけ、ある武装警察官が私を捕らえ、“法輪功を修煉するのは人間じゃない!”と叫んだのです。私は数人に強制的に拉致され、北京市宣武区看守所に二週間も不法に拘留されました。釈放されてからも、建設部党委の圧力のためさらに一週間軟禁されました。帰宅することを許されず、毎日法輪功を汚す資料およびテレビビデオをみるように強制されました。2000年7月21日、私はオフィスに突然に入り込んだ国家安全局の官員に拉致され、そして家財およびオフィスのものを没収されたのです。これらの出来事はただ私が数日前に一部の友人および同僚に法輪功真相の手紙を宛てたためでした。数年経ってから、自分が郵便局で手紙を出す一部始終はすべて安全局の特務に不法に後をつけ、録画されていたことに初めてわかりました。ひいては、私が国家安全局に拉致されてからも、すぐにある二つの公安局のものが駆けつけて私を捕らえるためにやってきて、手柄を立てるために争っていたのです。なんと荒唐無稽で、醜い、邪悪な演出でしょうか!それから私は逮捕され、数ヶ月後に北京市海淀区法廷で不法に三年六ヶ月の監禁に処せられました。全く人身の自由を失っていました。

 もともと私はこの災害を免れたはずでした。2000年7月8日に、私と妻がカナダ移民のための申請が批准され、すぐにでも信仰を迫害する中国大陸から離れることができ、自由のあるカナダに来られたはずですが、しかし中国では、国にも、人民にも有利な法輪大法が邪悪に陥れ、正法の修煉がまさに無辜な弾圧を受けています。江沢民がメディアを使って是非を混同し、善悪を転倒し、大陸全土にわたる嘘で世人を騙し、害しています。真善忍を修煉する大法弟子として、また一人の人間としての当然な良知としても、私は世人に真相を伝え、嘘を暴き、大法の潔白を証明する義務があるのです。それに、公民の通信の権利は本来中国憲法で賦与され保護される正当な権利であり、そこで私は手紙の方式で真相を伝えた。まったく人情に適い、理に適い、法に適った他人への善意でした。

 しかしながら江沢民政権は国家の基本法である憲法を無視し、法律を超えて、そして国家機関を操って法輪功を迫害した。私の罪を定めるために、私の正当な行為が検察院に“社会動乱を作ろうと企み、中国改革開放の十数年で成就した安定団結の政治局面を破壊した”と誹謗した。この種の用語の濫用は文化大革命と全く同じでした。迫害の最初の段階では、司法部門は弁護士による法輪功への弁護を許されなかったのです。それから、国際社会を欺くために、名義上においては法輪功学習者に弁護人が付き添うことを許されるように見せかけたが、しかし正義感のある弁護士なら、必ず法輪功学習者の扱いに不平を唱えたために脅威され、仕事を失う羽目に合ったのです。法輪功学習者に有利ないかなる弁護理由もまた、所謂“法律の依拠とするところがない”、あるいは“採納を許さない”という処理に遭うばかりでした。そして法廷で指定された弁護士とは大半が罪を定めるのに協力するために置かれていたのでした。

 最初に、妻が苦労して私にある正義感のある弁護士を探してくれたのですが、しかしその後に彼は私のために弁護する機会もなくなったのです。というのは彼がかつてにもう一人の法輪功学習者のために無罪弁護をしたため弁護士の年度検査が認められず、ゆえに弁護の資格を失ったのです。妻は新たな弁護士を探さなければならなくなったのです。二人目の弁護士が私の情況を知ってから、無罪弁護しようとしたのですが。しかし後に彼の身に起きていた事件のために彼は考えを変えたのです。彼が私の事案を受け取ってから、公安部門が彼の故郷に行き彼および彼の家族が法輪功と関係があるのかを調査していました。彼が私の妻と会話をした後に、自動車が消えたのです。公安部門に案件を申請したところで、その次の日にまだ見つかり、何も盗み取られていないが、しかしただ私の妻から私が委託した彼宛の手紙が消えたのです。彼は人に後を付けられているように感じてから、残念そうに彼にも妻子、家族があるのでもはやこれ以上私のために無罪弁護はできないと述べ、せいぜい罪の減刑弁護しかできないと言いました。2000年12月5日午前9時に、北京海淀区人民法廷で私に対する公開判決が言い渡されました。この判決はただ8つの傍聴席しかなく、最初から妻にも入室することを許されなかったのでした。弁護士の交渉を経てから、協議したあとに、裁判官が始めて彼女の入室を許可したのです。しかしその前提となる条件とは一切の発言は許されないことでした。入ると、彼女は自分の両側にいる人は皆彼女を監視するためのものだと気づいたのです。法廷の中で、私の必要陳述は裁判官に絶たれ、しかし法廷審議記録では私の話した部分はたくさん省略されたのです。私の弁護士は国家安全局が案件の偵察過程において不法行為があり、公民の通信の自由を侵害したと指摘したときに、裁判官は安全部門の取った手段は国家秘密であり、合法、不法の問題は存在しないとのべた。法廷審議はすばやく終わらせた。なぜなら午前11時にこの部屋でもう一人の法輪功学習者である朱柯明さんの案件を審議しなければならないからです。すべての過程はただの芝居にすぎなく、私の刑期は開廷前からもうすでに決められていたのです。裁判官は私に対して、法律はあなたに権利を賦与し、高等裁判所に控訴することが許されているが、しかし通用しないと言いました。私は法律がこれほど不公平であることが信じることができなく、控訴を申請しましたが、まさに高等裁判所は開廷に至らず、私と短い会話を経てから、“控訴を却下し、従来の判決維持”と返事した。

 それからのおよそ1280日の監獄生活の中で、私は江沢民政権の肉体から精神までの両方からの迫害をうけることになったのです。私は北京市公安局7部に二週間監禁され、殺人犯と一緒に監禁されていました。その後の六ヶ月は北京市海淀区看守所に監禁されていました。毎日強盗犯、麻薬販売犯、強姦犯と一緒に監禁されていたのです。部屋はせいぜい十数平方メートルで、しかし常に二十八、九人を監禁していました。空気がよどんでいて、蒲団も非常に汚れていて、衛生状態は極めて悪かったのです。夏は蒸し暑く、冬は非常に寒い。食事も便所も全部室内で済まし、まるでトイレに住んでいるような感じでした。連続数ヶ月間も暗黒な部屋に閉じ込められて太陽を見ることができませんでした。警察は四人を私の周囲に按配したのです。私は毎日堅い椅子の上に両足をまげて座るように強制させられ、少しでも動くと殴られました。数ヶ月間座ったままでいたため、椅子と接触する皮膚が腐敗するに至ったのです。血膿およびパンツが常にくっ付いていました。悪劣な環境のために疥癬をわずらってしまいました。全身は刺されるような痒みで大変苦しく、夜も寝ることができなかったのです。2001年の元旦に、犯人に冷たい水をかけられてから私は熱が出始めたのです。左側の腰の部分に激痛が走り、正常な呼吸ができなくなりました。それから胸の内部に灼熱な痛みが始まったのです。寝ることもできないのでした。毎夜、姿勢を変えることで痛みを減軽することができますが、全身が腫上がって、鼻柱および目元の部分が化膿し、脱水状態に陥ったのでした。同室の良い人に支えられて何度も医務室に行きましたが、医師はただ注射を一回だけして、もうなにもしてくれなくなりました。正規の医学検査は一度も行われませんでした。このように私は高熱、痛みおよび呼吸困難の中で最後の45日間を看守所で過ごしたのです。監獄を出る一週前に、警察が扉のところに来て、板の真ん中の小さな穴からある紙切れを差し入れて、私にサインし、指紋を押捺するようにと強いられました。しかしその内容を見ることを許されませんでした。これは印刷された調査用紙でした。その上にははっきりと標準の回答がすでに書かれていました。つまり、サインした当事者は“看守所内では常に良好な待遇を受け、虐待されたことはなく、病気の時には適時の治療をうけることができた”と書かれていました。なんと赤裸々な嘘でしょう!この一枚の紙切れで、サインし、それから指紋を押捺してからの“声明”が、一体どれほど多くの人を騙したことでしょう。どれくらいの暗黒を隠し、どれほどの罪悪を作り出したことでしょう!しかも私が捕らえてから釈放されるまでに、このような偽造材料をどれだけみたことでしょう!

 看守所で最も耐え難いのはこの目で同修が強く殴られるのを見るときです。この期間では、継続的に何名かの上京し陳情しに来た別所の同修たちが同じ牢屋に入れられ、彼らはチンピラ共に酷く殴打され、その当時の惨烈な場面は本当に私の心を痛めました。入ってくると、チンピラどもが学習者の服を全部脱ぎ取り、絶えず骨を刺すような冷たい水を体にかけました。歯ブラシで学習者の肋骨を力強く磨いた、学習者が苦しそうに呻吟すると、チンピラどもは満足したような淫らな笑いを見せた。彼らは強制的に学習者たちに長時間にわたって“飛行機”の動作をさせ、それから学習者に壁に向かって立たせ、上半身を下に曲げてから背中を壁にくっ付けさせるようにし、それから両腕をも平行に挙げてから壁にくっ付けるようにする。じっと立ったままでいて、時間が経って動作が変形すると、チンピラどもはすぐに殴ってくるのです。江沢民の法輪功に対して実施した連座制の故に、自分の平和的陳情が会社、地区に迷惑をかけないように、多くの法輪功学習者たちは捕らえられてから実名および住所を言わないため、それのために遭う迫害は更に残酷なものでした。ある日、ある河南省訛りの学習者が捕らえられてから、警察が実名を問い出せないため犯人に渡した。それから十数名の犯人が一斉に彼を囲い、狂ったように殴り始めました。学習者は地面に倒れて長時間経ってからやっと意識を取り戻した。それでも学習者は名前を言わないのでした。チンピラどもが前後の見境もなく怒り始め、学習者をトイレの便座までに引きずって、彼の腕を逆の方向で捻り、便座の前にしゃがませ、足で学習者の頭を踏んで便座の中に強制的にいれ、それから蛇口の水の出る量を最大にした。すぐにも学習者の顔は水の中に溺れていったのでした。チンピラどもは長い間にこのようにしたため、学習者は窒息して危うく死ぬところでした。このような暴行を目にしながら制止することができないので、ある深い罪悪感が私の心の中に浮かんできました。このような残酷な情景をみて、私は自分の精神が崩れないまでにまだどれくらい堅持することができるのかわからなくなりました。女子牢屋から聞こえてくる法輪功学習者の強制的に食事を注ぎ込まれるときの心を千切られるような叫び声をきくと、まさに生き地獄を思わせたのでした。

 法輪功学習者が看守所内で受けた虐待の中で、私の見たあらゆる情況の中では、皆警察が彼らを屈服させるために、看守所内の他の犯罪者たちを指揮し、あるいは権限を与えて、学習者たちに対して凶暴な暴力を振舞うようにし向けたのでした。実に、あらゆる牢屋の中に監視カメラが仕組まれていて、行われた暴力はすべて担当警察の監視下にあるのです。それに看守所では人を殴ることを明文上許されていないのです。警察は常に受刑中の犯人の中でも最も凶暴なものと手を組んで、法輪功学習者を虐待するのです。これらの受刑中の犯罪者を使って、警察は直接自分たちでは手を下さず法輪功学習者を虐待したのです。これらの犯罪者たちは自分たちの社会に対する憎しみ、監禁される怒り、さらには人を虐げる悪癖を、善良で、平和で全く恨みのない法輪功学習者たちに対してその鬱憤を晴らすのです。相互に協力して、警察と犯人たちとは段々と特殊な関係を作るに至ったのです。犯人たちは常に牢屋を出て太陽の光に浴びることを許され、警察の勤務室でタバコを吸ったり、家に電話をかけたりすることは本来絶対に不可能でありましたが、しかし犯人たちはこれらの関係の下で地元の司法関係の弁護士を呼び、特殊のルートを通して、あるいは不正な手段に依って彼らの刑を減免することができるようになったのです。犯人たちが牢屋の中で楽しそうにこれらの事実を言わなかったら、私もこれらの秘密を知ることができませんでした。

 2001年2月14日に、私は高度の熱のために天津市茶澱の前衛監獄に移転されたのです。監獄に入ってから、私の法輪功への信仰を変えさせるために、警察たちは私に大法を汚す資料を見るように強いたのです。そして電気棒で私に軍事訓練体罰を行ったのです。夜になると私に寝ることを許しませんでした。その当時、私の体はもうすでに非常に弱くなっていたため、警察は強度の体罰を通して私を屈服することができると考え、いつにも体罰を厳しくしたのです。冷たい風の中で長時間にわたって走り、高飛び、腕立て伏せなどを強いられて服は汗でびっしょりとなりました。そのあとに立つことを罰せられると凍ったように寒かったのです。それからまた汗を出し、また凍るように繰り返されたのです。私は強烈の咳きが始まり、それから大量の血をも吐き出し、足もはれ痛み、動けなくなり、小便も頻繁になり、血も帯びていました。このような死へ近づく脅威に直面して、私は不安になり始めたのです。彼らに虐待して死亡した場合は、誰も真相を知らないから、それで彼らも私が自殺した、あるいは薬を拒んで死んだと大法を陥れる1400例の死亡例の中にいれるのだと思っていました。なんとしても生き延びたい考えが心の中で浮かんできたのです。私は巨大な内心の恥および屈辱の中で暫時の妥協的な決定をしたのです。警察の要求した用語を持って、私の命が危なく感じたときに、私は自分の意志に反して彼らの旨に従い、自分の通信行為が国家の“法律”に違反していて、これ以降はもう法輪功に「迷信」しないと表明したのです。私が妥協してから、3月1日に、私が監獄病院に移転されたのです。医師は肺結核、肺(胸膜)および横隔膜が蜘蛛の巣状となり、緊急肝炎などと診断された(拉致される前に私は健康でして、2000年5月にカナダ移民局の指定された専門医院で検査をし、なんの疾病もありませんでした)。それから50日間の静脈注射および薬の治療を経て、再び監獄に連れ戻されたのです。病院で受けた薬の副作用のために、私はそれ以降の一時期では肝臓の部分が疼き、常に下痢をしていました。私の肺活量が通常よりも小さくなり、深呼吸ができなくなり、ひいてはあくびおよびくしゃみをする能力もなくなったのです。雨天になると、呼吸が非常に厳しくなるのです。2001年11月、私は前進監獄に移転されました。私の健康状態がこのようであっても、それでも重体力労働を強いられたのです。一時期では毎日十数時間も溝を掘り出し、地面を整理していたのです。一日の労働が終わると腰をまっすぐにすることができなく、そして過労のために眠れない。脊椎が痛くて仰向けにすることができない、次の日にまたいつものように働かなければならないのです。2003年中国ではSARSが流行していた期間では、監獄の宿舎では頻繁に消毒剤をかけられるようになり、通風も悪い上に薬を噴出するときに窓を閉めなければならないから、そして人も部屋を離れることを許されずに、刺激的な酸霧のために目を開けることもできず、のども渋くなり、私の肺の問題でなおさらに窒息するような苦しみでした。

 監獄内で法輪功学習者たちに対して行われた一切の迫害が皆私たちの真善忍への信仰を崩すために企図されたものでした。司法部門の各級の党委も“転化率”を要求していたため基準を定めていました、これらの基準は警察が具体的な迫害を施すための指導方針となったのです。監獄ではありとあらゆる可能な邪悪な手段を通して、各級の党委の“転化率”への要求を満たすようにしたのです。これもまた悪徳な警察が暴力を通して法輪功学習者を制御する機会ともなったのです。残酷な心身の虐待を通して、命および精神の死亡脅威に直面させ、法輪功学習者に妥協させ、良心に背かせ、「認罪書」および法輪功を抵触するような所謂“批判材料”などを書かせたのです。且つ書かれたものは規定された内容に符合しなければならなく、文章の長さ、内容なども自分の文化程度および学歴と合致されなくてはならない、第三者に読ませても内心から書かれたものでなくならない。涙を流させるような「控訴」効果も要求され、そして「転化」の表明を強迫された学習者は衆人の前で自分の書いた文章を読ませ、それをカメラで撮影し、録音する。一方ではその思想の「反復」を防止するための強迫であり、片方ではこれを通して世人を騙し、迫害の真相を覆い隠すのです。 

 司法部門では、監獄は新入りの法輪功学習者に対してまず三ヶ月の厳格な「転化」教育を施さねばならないと規定されています。その間では、学習者は隔離されて単独に監禁され、あるものは手錠などをはめられ、長時間立ったままで、あるいは座っても寝ることを許されなかったのです。時には数日経っても目を閉じることを許されず、トイレに行く時間も制限されていて、法輪功を歪曲するような各種のテレビ番組、新聞報道および文章を見るように強いられるのです。特に法輪功を罪に陥れるような血なまぐさい自殺、殺人場面の反復による刺激を強いられ、警察および犯罪者らの侮辱をうけながらも、法輪功のために弁護すること、あるいは法輪功の真相を伝えることを許されないのです。このような日々にわたる精神および肉体の迫害で、本来非常に健康であったにもかかわらず、一部の学習者は心身ともに苦しく、恍惚となり、精神も鈍くなっていたのです。このときに、これらの人は警察に連れ出されて衆人に示され、彼らが学習者への迫害の結果を法輪功への「迷信」状態だと信じ込ませるのです。ここ数年来このような高圧な洗脳的な「厳格管理教育」が中断されることがなく、そして警察は常に悪辣な「経験」をつみ、もって所謂「心理学研究成果」の模索を利用し、さらに邪悪な方法を作り出してこのような精神の残酷刑を続けるのです。

 監獄では法輪功学習者が法輪功のための弁護、真相を伝えることを許されません。修煉、真善忍を言及することもできないのです。許可なくして法輪功学習者たちはお互いと挨拶し、会話することは禁じられ、煉功の動作、座禅、そして寝る時間以外は目をつぶって瞑想することを許されないのです。私たちのすべての言行は24時間のテレビモニターおよび犯人たちに厳密に監視されているのです。あらゆる「禁則違反」行為も「厳格管理教育」による隔離、あるいはより厳しくなる迫害を招くのです。2001年9月10日に、監獄上級部門が人を派遣して法輪功の転化情況を検査しに来ました。私たちが会話するときに、正々堂々と大法は正法であるといったとたんに、三名の警察による数万ボルトの電気攻撃に遭ったのです。これ以降、数ヶ月の厳格管理を経て、正常な睡眠を許されず、毎日、検査書を書かなければならないのです。

 監獄の新入り学習者を隔離し高圧的な「転化」を行うときに、監獄では大量のディスクを利用したのです。いろいろの大法を汚す材料を持って私たちに対して長期にわたる「洗脳」および精神服従を行ったのです。毎回中央テレビでは大法を汚すニュースが出てくと、私たちは必ず見るように強いられ、それから「感想文」を書かなければならないのです。毎週いろんな「教育」内容を設定し、強迫学習、思想の報告、一週間の感想を強いられるのです。さらに邪悪なのは、監獄では私たちに「洗脳」こその自分たちへの救済と認めさせ、私たちに迫害の合理性および必要性を承認させ、自ら甘んじて迫害を受けること、そして江沢民政権に恩に感ずるようにさせ、空虚な繁栄のために褒め称えるように強いられるのです。長期の精神的、肉体的な迫害および強迫の元で、この種の吐きたくなるようなものを書いてしまって、私は非常に心を痛ましています。時々夜中になっても眠れず、苦痛、屈辱が無感動と伴いそして真善忍からの偏りの犯罪感に虐げられていて、毎日が一年のように長く感じます。

 数年の冤罪による監獄生活が悪夢のように去ったのですが、しかし私がこれまでに見たさまざまな醜悪さおよび「嘘、悪、暴力」が今日になってもまだ目に焼き付いています。邪悪な迫害の中で、私は大法への正信を一度とも動揺していませんでした。自分の真善忍への信仰を変えてもいませんでしたが、しかし正念が足りないために、そして自分の執着も加えて、迫害の最も厳重なときに、生命の危険を感じるときに私は自分の心に反して妥協し、その後には高圧の洗脳から逃れるためによくないこともしました。それ以降では苦痛および羞恥が常に私と伴って監獄生活を過ごしてきました。今日、私が身をもって経験した邪悪な迫害の本当の姿を暴きだし、私が迫害された間に邪悪に強いられて良心に反して書かされた一切の大法の要求に符合しないものは皆破棄します。強いられて書かれた所謂転化材料はすべて江沢民政権が法輪功学習者に対して行われた罪の証明となります。迫害者がいかにして自分の法輪功学習者に対して行った累々の罪を美化し、どのようにして邪悪な手段を通して荒唐無稽な、自分を欺くための「転化率」をとったにしても、偽善および仮装はただ一時だけ覆い隠されるが、しかし強制および暴力は人心を変えることは到底できない、大法弟子の宇宙真理への正信を動揺することも到底できないものです。邪悪な迫害は最終的に徹底的な失敗に終わるものです。

 中国では、まだ何千、何万もの真善忍を信仰している法輪功学習者たちが今も非人道的な虐待を受けているのです。江沢民政権がその国家テロリズムの黒い手を全世界に拡大しているのです。全世界の正義および平和を愛する人々に、江沢民政権の発動したこの人類の正義および良知への迫害を譴責し、共に人類の高徳および尊厳を擁護するように呼びかけます。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/7/23/80043p.html