気ままに車に乗る
文/大陸の大法弟子 瑞祥
【明慧ネット2004年8月2日】私は幼少のときから車に酔う欠点があって、いつも車に乗るとき時にはビニール袋を用意しなければならならなかった。もちろん、私は基本的に車を乗る機会はあまりない。むしろ2時間を歩いても、決して車に乗らないから。絶対に乗車しなければならない運の悪い状況を除いて。たとえば、断ることのできない郊外への旅行の途中、私はしっかりとあごをかんで、また両目の前はとても暗くて、ようやく目的地に着いたのに、窓の外に立っている看板には「駐車場は工事中で、車は更に前方100メートルまで走ってください」と書かれていた。この「100メートル」という恐ろしい字句はすぐ私に1秒さえ耐えさせなかった— 幸いに私はビニール袋を持っていたことを覚えている!
卒業の時に実習を行う会社には、車で2時間程の遠いところで、私が怖がって指導者に哀願して、学校の中で実習できるように変更してもらった。大きな会社で学ぶ貴重な機会を失っても惜しくなかった。私のこの生涯に車に酔う影から抜け出すことができることを待ちこがれることもなかった。車にさえ乗らなければ、車に酔うことは絶対にない。
この年、1999年、私は大学を卒業した。1ヶ月後に、江氏という邪悪な政府は法輪大法の学習者に対して、天地を覆い隠す残酷な迫害を始めた。上京して陳情に行って、大法を実証するのは学習者にとって道義上引けない選択である。1回目北上したとき、私は列車に乗って、駅で幾重にもいる取り調べの警官に止められた。2回目、私は飛行機に乗ってみごとに北京に到着した。3回目上京したい時、私と家族は皆すでに不法に何回も捕まえられたことがあったので、証明書がなくなり飛行機に乗ることができなかった。
大法の学習者が上京して陳情に行くことを阻止するため、各地の邪悪な輩は全技量を用いて、あちこち検問を置いて取り調べを行い、当地から抜け出すことも困難になった。その時、列車、飛行機がみなすでに適当な選択ではないと感じて、私は家族に水路を利用するように提案した。先に船に乗って離れて転じて更に都に入る。半分は行程の考慮からで、別の半分の原因は、私が車に酔う嫌悪があったから、根本的に四方八方に通じている長距離バスを第一の選択にしたくなかった。
思いがけないことに、その夜すぐ喜び勇んで埠頭に駆けつけたが、長距離の航路はとっくに何年か前から無くなっていたことを言われた。時間は緊迫していたので、長距離バスに乗るのは唯一の選択になった。数年後に思い出して、その時私もかつて驚き恐れる一念があったかもしれなくて、数十時間の長距離バスは死にそうになるほど苦しめられると自分を疑った。しかしあの時私は1つの心を固めた。断固として大法を守って、いかなる力も私を動揺することができなくて、いかなる私達の上京を妨げることを許さなかった。
私達は思い切って長距離バスに乗った。運転した後にだまされたことに気づいた。あれは1台の全行程の交通費を収め、早めに乗客を下車させるバスであった。途中また強制的売買のいかさま旅籠屋にぶつかって、様々な私に見聞を広め、キャンパスの中でかつて想像することのできない社会の暗黒を目にした。関所ごとに皆を緊張させた。もうすぐ北京に入る時、意外にもビデオカメラを担いで上がってきた武装警察が、大敵が攻めてくるようにすべての乗客を撮影することがあった。しかし私達は先生の加護のもとでついに無事に北京に到着した。その上、私が意外にも気づいたのは、数十時間の上下に揺れる乗車で、自分は完全に車に酔う苦痛はすこしもなかった。
それ以降、私は本当に二度と車に酔うことはなかった。以前乗車した時の苦痛はみなまるで前世の記憶のようだった。今公共交通バスは私のよい仲間になって、外出して大法の真相資料を配ったり、一日何回乗り換えるかも分からないほど、5、6時間車に乗ることはよくあった。以前公共バスを恐竜のように見る人が本当に私だったのか?
このわずかな小さな事から大法の非常な不思議さを言うために、私はただこの文書を書きました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/2/80843.html) |