日本明慧


高蓉蓉さんの受けた迫害事案事案の暴露および海外同修の明慧についての談論

 文/部分海外大法弟子有志

 【明慧ネット2004年8月9日】明慧ネットは7月7日に36歳の女性法輪功学習者である高蓉蓉さんが遼寧省沈陽市龍山労働教養所の悪辣な警官悪徳な警察によってる7時間近くの電撃を受けたため、顔面部に重度の火傷焼けどをが傷つけられた報道および写真が掲載された。掲載された翌日次の日に、ある大陸大法弟子がこの案件について明慧ネットで「顔の火傷焼けどの写真は人を震撼させ、大法弟子はこの大規模な大面積による鎮圧暴行を暴くべきだ」をテーマとする文章が掲載された。すぐに明慧記者およびたくさんの海外大法弟子たちの多くがこの事案についてそれぞれ論評評論し、そして総合報道を行った。迫害者に対して譴責し、各方面で真相を伝える力もさらに更強くなり、、非常に短い時間で内に海外および国内に周知させ、多くそれでたくさんの世人を震撼させた。、魔難に身を置く高蓉蓉さんを支持し、迫害を取り除く作用をもたらした。各種の形跡から見ると、高蓉蓉さんの家族、親戚たちが国内で法律による上告を予定しが予想され、高蓉蓉さんの冤罪を晴らし、賠償を要求するそうだ。

 この事件からも分かるように、海外の同修が直ちに明慧ネットの迫害事案を閲読していて、それから期せずして協働に向けて一致するように行動しているする。大陸同修の受ける迫害を軽減し、世人を済度し、それから邪悪を取り除くことに非常に重要かつ強大な威力を持っているのである。もしより多くの海外の学習者同修たちがこのような目的で、毎日少し多めの時間をかけて明慧ネットの迫害事案を読むようになことができれば、より多くの大陸大法弟子たちがさまざまな困難を克服し明慧に伝送した事案がより広汎広汎に暴かれき、私たちは自分がさらに真相を知るようになるだけではなく、よりよく真相を伝えることができるようになり、成すべきことをよくすることができる。

 一方で、こうした事案のもう片面では人々に一部の問題を想起させているる。私たちの身辺にいる身の回りのたくさんの海外大法弟子たちの多くはが、師父がみんなに明慧ネットを見るようにと師父が仰ったお薦めになったのでため見ているが、往々にしてトップニュースおよび弟子の切磋琢磨しか見ておらずなくて、自分の修練に有用かどうかで判断しているを見る。しかもしかし長期にわたって明慧ネットの迫害事案を見たがらないでいる。皆内容が似たようなことばかりで、あるいは残酷すぎて見たくないのだ。ひいてはなぜもっと“情感のある情調のたっぷりした”文章を書かないのかと不平を言う人もいる。確かに、投稿する大陸の同修たちは記者の意識を高める強めるべきであって、報道される情況をもっと具体的、事実に沿って図表つきのものにすべきだ。で、明慧編集部も同修の協力の下みんなの助けの下で、続けて編集および改正のレベルを上げるべきである。しかし海外の学習者の主体として、みんなが冷静に考えてみれば、自分の思想の中にすでに慣れてしまった部分でいるどの部分が合理な要求であるか、どの部分が観念であり、どの部分が個人の利益の私的要求のためなのかを知ることだろうでしょう。

 残酷刑事案を例にしてみると、すべての大法弟子たちが血と肉でできている生き生きとしたて生命体生き物であり、すべての大法弟子が受けた迫害はこの大法弟子およびその家族に対して言えば皆忘れ難く、非常に苦痛に満ちたものである。たとえ人道的な、および一般人常人の善良な考えからみても考慮でも、隣人のお姉さんが食事を強引に注がれたことと、ときに、それから親族のお祖母さんが食事を強引に注がれたことときとはを、同じことであって、新しさを欠くと言えるのであろうか?もし法律文書文献あるいは人権組織のために整理した材料であっても、私たちはも事案の千編一律を不満に感じることはない。なぜなら私たちはすべての事案が必ず明確に述べられていてていて、充分に信用するに値する文章であることを知っているからだ。それではなぜ明慧ネットの掲載した事案資料については、私たちはのこのようにかくも多くのマイナス思考を持つのであろうか?それに加えて、もし大法弟子が皆十分な善良な心構えでこれらの毎日大量に掲載されている迫害事案を見たくなければ、私たちが出会う一般世間の人世人がどうして私たち以上に専念して真相資料を読むことがあるだとになるのであろうか?

修煉の角度から言うと、もし迫害事案をみて心がすっきりしないのであれば、それこそ自分の認識を高め、心性を高めるべきではないか?それらを避ける回避することは正念正行ではない。それにもし本当にトップニュースおよび弟子の切磋琢磨の部分だけが見るに値するのであれば、師父はがなぜ「明慧が縁のある者を済度する」(『洪吟二』)と、仰ったのだろうか。仰るのであろうか?

 もう一つ比較的に目立つっている問題がある。それは長期にわたってたくさんの海外の学習者の多くが真相について詳しく知ろうとせずしない、大概の典型的な事案さえ知っていれば伝えることができると考えていることだ。故にそれほど多くの事案を読む必要もなく、それに明慧ネットは真相を伝えるためのものでもなく、メディアでもない、ただ学習者が自分のために見ていると考えている。ひいては、非常に固執している人は明慧を“常人がどうしても受け入れることのできないサイト”だと固執する人もいる認識している。こうした固執したのような変ろうとしない観念および認識をもって明慧ネットに文章を出す人は、ときには比較的に固く、読者の反響をも考慮せずしない、あるいは明慧が毎日”三種の読者”(※訳注参照)に直面していることをまだ知らっていない人もいる。真相を伝えるときに、“明慧”の二文字を正面から提起しょうとしないばかりか、情報の出所を表明する際、ときに、暗黙の成文されることのない“規則”が形成された。それは凡そ明慧ネットからのものであればであれば提起されずない、それを他の常人メディアおよび組織の名前に変えてからその出所のメディアを必ず表明するようにしている。

 たとえ明慧文章の全体あるいは文章の大半を転載するときでさえもに、“明慧記者”および“明慧ネット”の文字を消去するようにして、それから自分の名前に変えてから発表するようにしている。ひいては一部の学習者が常人の新聞に法輪功専用のスペースを作っており、いるが、すべての迫害真相のすべてが明慧ネットから転載されたものだが、数年経った今でも経っても“明慧”の文字を見ない。こうしたの種の現象は、人に一部の海外の学習者たちは明慧を人の目にふれさせたくないが非常に人に見せたくないような感じを人に与えてしまう。このことこれは自分が妨害されているのに、自己矛盾を増やしながら気づかずにいるかない例ではないか?また、今ここで述べた内容は、まだ客観性および他人の労働を尊重する問題に関わることだ関わっていない。異なるメディアには異なった作用があり、十分の善良な心を持つのある世人は却って明慧を見たがるのである。

 いろんなルートの情報によると、現在、今各国政府や、各種のVIPを除いて、人々が声明の存在する意義を知るようになるにつれて、大法サイトにたいする需要も高まりつつあり、明慧を見る常人も増えている。ある学習者が、自分が明慧ネットに対して関わりのないなんの抵触もない情況の下で、常人の友人に明慧ネットを紹介してもから、読者が読んだ後にえてして情報があまりにも豊富なためで、読んでも分からないところはその人が自分が外部外道であるからためであり、修練について知らないためであると考えるからで、、明慧ネットを疑問視し、否定しようしょうとしているわけではないとしていないのだと言っている。また、それから読んでも分からないところについては、是非とももし非常に知りたければ、往々にして学習者がその人が深い部分の真相を伝えるための入り口ともなった。それでは正法が現れた今日に至って、なぜ海外の学習者がまだ人為的に明慧ネットを海外から“消失”させようとしているのであろうか?

 これらの非常に基本的な問題への認識およびそうした問題への操作が長年続いてきた、今日になっては解決されるべき時が来たのであろう。よりよく海外学習者の全体の威力をより良く発揮するためでもある。海外でもにも相当の学習者が自ら時間をかけて明慧ネットの文章をさらに整理し、海外学習者が資料編集における重複労働量を減らすようにもしている。ためでもある。また長年が一日のように、毎日黙々と文章の中の間違った文字を抜き出して、編集部が最小の人員および最短の時間でできるだけ早く校正するように便宜を図っている。また、多くまたたくさんの電話組みおよびネット組みの学習者たちが常に電話番号などの情報の充足に協力しを幇助し、より多くの読者に便宜を図っている。もしより多くの海外の学習者が正確に認識し、受け入れることができたら、しかも積極的な態度で明慧ネットの正法の中での安全性および運用方式を助け幇助し、協力することができればたら、海外の大法弟子たちもよりよく一つの堅固で、より有効にまとまるで有効な全体となることであろう。

 それからもうひとつ、いつもの情況から見れば、一部の迫害を作り出す部門および個人が暴露されても、から、往々にして立ち直って責任を負い、邪道から正道へと帰ろうとせずしない、その反対に怒り狂っていつも怒り出して、そして報復のの機会をうかがいながら、うかがって情報を出した大法弟子、関係者および被害者家族にを報復しようとしているしょうとしている。ここでは現地の大法弟子および大陸と関連のある海外弟子に、安全性の問題においては理性とかつ冷静さを保ち、他人のために考慮しながら、正念正行し、決して油断してはならない。

 草々と整理したため、質問を歓迎する。ともに切磋琢磨し、全体の向上を図る。

 ※訳注:三種の読者とは、①大法弟子、つまり法輪功学習者として明慧ネットを閲読し、よりよく正法を進める読者②普通の常人、法輪功について知らない人、あるいは知っていても真相を知らない読者③江沢民集団の下で働く反法輪功勢力、いわば江沢民集団を代表する読者の三者のこと。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/8/9/81331p.html