日本明慧


歴史の教訓から話そう

  【明慧ネット2004年7月24日】

  師父、こんにちは!

  同修たち、こんにちは!

  “4.25”から現在にかけて、既に五年余りが経ちました。“4.25”の時に弟子が見たこと、及び五年以来大法に対する風雨のような過程を振り返ったとき、私は師父が最初に宇宙の全ての衆生を善解しようとする念願を思い浮かべた。大法弟子は法において深く考えなければならず、新たに認識しなければならないところが多くあると、私は感じています。同時に、現在国内で一部の同修に存在している幾つかの深刻な問題に気づいて、弟子は深く考慮しました。師父の《アジア太平洋地区学習者会議での説法》が発表されたが、その中で、ある学習者が佛学会及び責任者に対して、いくつか問題を提出しました。これを学んだ後、私は深く感銘をした。心性が高まる過程は、執着心を取り除く過程であり、大法弟子は正法時期において、執着のせいで、邪悪に隙に乗じられていました。一方で、佛学会の責任者、ステーションの責任者、指導員としては自分の責任が重大であることを認識し、真にこの特殊且つ偉大な責任を担当すべきだということも感じています。

  一、“4.25”から話そうとすると、誰でも常人の観念或いは千百年以来頭の中で形成した道理がある。そして修煉者でもこのことから完全に抜け出すことができず、まだ影響を受けているのです。“4.25”の当日に、この点に対して個別の研究会、ステーションの責任者、指導員の現れは詳しく徹底的で、ただ法の表面だけを見ていました。そして法の内包に同化できず、常人の官職を放すことができないのに、自分が学習者の上を凌いでいたのです。また、異なる意見を聞くことが出来ず、重大な関連している問題の上で邪悪に隙に乗じられてしまい、苦しみを増大してしまいました。(一方は旧勢力の按配である)

  実は“4.25“以前、すでに各地区で時々政府の宣伝部門は私達の大法に対する正しくない宣伝がありました。師父は、以前北京で発生した事件に関して、経文(“白日の下にさらけ出す”、“根を掘る”、“誰のために存在するのか”)の中で、すでに方向を明示されました。 “4.25”のように重大な宇宙の選択の問題を処理する時、弟子は成熟すべきで、法の上で認識し、問題を解決して、全面的に旧勢力の按配を否定すべきです。

  二、しかし“4.25”の北京請願の実践から見ると、いくつかの研究会の責任者は大法の
大きな使命を引き受けており、その現れは以下となります:

  1. みんなに天津請願事件を知らせた時、ただ近くの省市の何人かのステーションの責任者に電話をかけただけである。それに常人の等級の観念を持って、何人かの指導員あるいは少数の主幹に通知しただで、(一部の学習者が耳にした後、志願して請願に行った)、大部分の学習者は事後にやっとこのことを知ったのです。

  2. 全ての志願して請願に行った大法弟子はみな穏やかで、純粋な心理状態で家を出た。常人の観念を持たず、貴重な書物《転法輪》を持って、大法のプレートをつけたのです。北京の中南海に行って、みんなは大法弟子の心性の基準で、自分の行為をしっかり制約していました。道の両側に立ちながら、貴重な書物《転法輪》を手にしました。しかし思いも拠らなかったのは、北京指導ステーションが意外にも各地から来た責任者に知らせて、体につけている大法のプレートを取り外して収集したことでした。各地の指導ステーションの責任者は見分けなくこれを実行しました。それから、また本をすべて収集することを知らせたのです。すべての大法弟子は大法を得てから、真宝を得たほどうれして、《転法輪》が気に入って手放せない。そしていつも法を学ぶことを忘れず、請願しに行く時も法を学んで、心性を修め、良い人になることを忘れない。道の両側で整然として乱れがない場面は壮観で偉大でした。大法のプレートは表面から見ると、法輪功の標識を代表しているものであり、本は大法を代表しています。すべて収集したことは大法弟子の請願しに行った主旨(公に功を修煉して、法を学んで、本を出版すること)に背いている。そして今回の請願の目的を単純な救人にさせてしまい、大法を第1位に置いていなかった。このような重大な宇宙の衆生を善解できるかどうかに関わる問題において、常人の観念によって、今回の目的を淡泊化させてしまいました。

   3. もっと深刻なことに、李昌などは請願の目的が明確でなく、一日協議してやっと請願の目的を明らかに述べました。しかしこの問題は普通の学習者でも簡単にはっきり言い出すことができます。つまり、天津に請願しに行った大法弟子を無条件で釈放し、私達の功を修煉する合法的な環境を与え、大法の書籍を公に出版することを許す、ということです。

  4. “4.25”の当日に、天津に請願しに行った大法弟子を釈放するという返事のみを貰いました。しかし今回の請願における本当の目的である、私達に合法的な修煉環境を与え、大法の書籍を公に出版させるという二つの重要な問題に対しては、明確に返答してくれませんでした。各地はそれぞれ2人の代表を残して、明日の知らせを待ちましたが、知らせの内容については明らかになっていなかったのです。知らせる過程の中で李昌はすでに撤退の命令を下しました。その上、陳情局は人が多く集まると中南海の国際イメージに影響するという理由で、大法弟子にすぐ撤退するように言った。それから大法弟子の撤退となりました。この過程は旧勢力に口実を与え、隙に乗じさせてしまいました。これによって大法と大法弟子を迫害する機会を与えてしまいした。

  三、“4.25“請願の時、大法弟子は修煉者のイメージしたすばらしい情景を現わした。同時に大法弟子の中にずっと存在して解決されていない問題も表れた。これは常人の等級の観念で、旧勢力の按配の中で師父が私達に与えて下さった偉大な機縁と、宇宙のすべての衆生を善解する機会を取り逃がしたことです。

  “4.25”の前に、遼寧省の新聞社と気功の科学研究の部門は大法に対して不公平な事件を発生させた。私達は請願し情況を明らかにし、みんなが法を正しく悟るため、共に協力して、成功を勝ち取りました。その時にも、常人の心を持っていた瀋陽ステーションのある責任者からいくらかの妨害を受けた。しかし一部の指導員がかなり大きな正面の作用を果たしたので、法の上で法を認識し、全体に向上し昇華させ、常人の観念を突破しました。そのため遼寧省の委員会は今回の請願に対して、円満に解決しました。

  四、一部の大法弟子は“4.25”のこれらの現象を見て、積極的に組織したが、その時地区性や指導員、ステーションの責任者に身分制限があっため、法の上の正しい認識が納得されなかった。かえって一部の指導員、ステーションの責任者の批判を受けてしまいました。(大法は官職がなく、法を得る前後の関係なく、ステーションの責任者、指導員もすべて弟子である。)私は何人かの同修と正しく悟っていたので、その時存在する不足が見えました。この重大で神聖な時、師父と法は私に機会を与えてくれました。私は遼寧省地区の代表として選出され、私達の正しい意見を表明しようとしました。(偉大且つ特殊な使命)、しかし李昌と陳情局の局長が出てきて、各地の代表に“北京、中南海はイメージの問題があるので、各地は2人だけを残して直ちに北京から撤退してもらいたい、明日、結果を知らせるから。”と言い渡たした。その後、李昌等何人かの代表と北京の弟子はすぐに撤退し、私達の代表の意見をまったく聞かなかったのでした。そして李昌等何人かは私達に北京から地区の人々を撤退させるように命令しました。その時私は何人かの弟子と正しく悟っており、2〜3日間に100万人、さらに多くの人数を集めることができたので、天象の大きい変化をもたらして、真に問題を円満に解決させることが出来ました。宇宙のこの大きい災難を生じさず、善解を形成させることになりました(これも先生が望むことである)。

  現在、国内、外の大法弟子の中にも同様に“4.25”の時現れた問題が存在している。それは常人の等級の観念が深刻であり、矛盾の結果は全ての大法弟子が1つになれず、邪悪の按配を取り除くことができないことです。その為、多くの衆生を救い済度することができないのです。上述で書き出した目的はみんなに過去の教訓と不足を見させ、過去の誤りを再び犯さない為です。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/7/24/79925.html