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学習者に用いる酷刑の数々〜四川省綿陽市新華労働教養所(図)


 【明慧ネット2004年8月12日】

 図解一:「縄の巻き」 上半身を裸にし、小指ほどの太さの縄を巻き付け、後ろ手に縛り引っ張り上げる。激痛を伴う。労働教養所の規定では、“15分“を超えてはならないという。さもなければ、両腕が痺れ、感覚を失い、回復に10数日〜20日も必要とする。長ければ、2、3ヶ月もかかる場合もある。深刻な場合には、身体障害となる。通常、警官が学習者に「縄の巻き」を行う際には、同時に、30万ボルトの高圧電撃棒数本を使い、頭、顔、首、心臓、胸、背中、脇、三叉神経などを電撃する。激しい痛みと高圧電撃により、多くの場合失禁する。

 図解二:2002年5月、四大隊四中隊の警官である何源と何利成は、二名の麻薬常用者を指揮し、成都の学習者・鄧建剛さんに、スクワットを続けるよう強要した。鄧さんが従わないと、二人の麻薬常用者は、鄧さんの肋骨に膝蹴りを入れた。そのため、鄧さんの肋骨は4本も折れた。事件発生後、二人の麻薬常用者は知らないふりをしていた。翌日、鄧さんは激しい痛みで耐えられなくなり、綿陽市病院に移送され、検査と治療を受けたが、労働教養所側はこの事件を隠蔽した。その後、学習者らがこの事件を知り、実行犯を厳罰に処するよう要求した。所側はやむを得ず、監視者(麻薬常習者)の犯行であり、警察とは無関係であるとして、この二名のみを処罰した。しかし、実際には、この二人は他の隊へと移され、厳しくという名の“管理” をされているだけであった。日々気楽に、悠々と過ごしているのである。

 図解三:2002年11月30日以降、労働教養所は、“学習者の転化”を協力に押し進めるようになった。各中隊で最も残忍な警官10数人と、最も悪質な麻薬常習者90数人(監視人)を選び出し、四大隊五中隊にて、30数名の学習者に対して、猛烈な“転化”を始めた。学習者に対し、会話の禁止、立つ罰を与え、睡眠を与えず、トイレにも行かせず、小屋に閉じ込め、「縄の巻き」を行い、電撃をした。図に描写されているのは、遂寧市の学習者・鄭方君さん(年齢40歳前後)。彼は迫害を阻止しようと、労働教養服を破り、大法を誹謗する漫画を引き裂いた。警察は、彼に8名の監視人を付け、24時間順番に監視させた。壁に頭部を打ち付けないよう、頭には鉄かぶとを被せ、袖口は手を出せないように縄でしっかりと縛った。また、数回「縄の巻き」と高圧電撃を行った。

 

  図解四:2001年2月、四中隊の中隊長である楊(年齢50数歳)は、ほろ酔い気分で、四中隊に来ては、四川省開県の学習者・宋子明さん(年齢50数歳)を殴打した。宋さんは、顔、口、鼻が、全て腫れて出血した。さらに、楊は麻薬常習者に、宋さんを廊下にある鉄門へと連れて行くように命じ、痰壺を宋さんの頭の上に載せ、拳で宋さんのみぞおちを殴った。この殴る音を耳にした学習者らは皆、中隊長として法律を知りながら、法律を犯していると楊を厳しく非難した。すると、楊は恥をかかせられた腹いせに、「暴力対策チームに連れて行き殺してやる。夜もう一度来て殴ってやる」と喚いた。その後、中隊のその他の警察は、事件が広がることを恐れ、鉄門に鍵を掛けたため、楊はあきらめざるを得なかった。その後、学習者らは断食により、この暴行に抗議をすると共に、厳重に処罰をするよう要求した。断食4日後に、中隊の警官が体裁を繕うよう陳謝に来た。事件後、楊は処分を受けたが、ただ職場を変えただけであり、同様の仕事を行っている。世間を欺くためだけの移動なのである。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/12/81496.html