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台湾明慧学校の小弟子:一番大事なこと


 【明慧ネット2004年8月9日】私は施宗里といいます。今年12歳で、夏休みが終わったら、小学校6年生になります。私の家は桃園市にあります。私は、2002年から修煉しています。修煉して心身が健康になった父と母が、私にも修煉するようにとすすめたので修煉することにしました。修煉する前、私は、しょっちゅう風邪を引いて、病院に行っていました。しかし、学法煉功してからは、ずいぶんよくなりました。師父に心から感謝します。

 毎月の第四日曜日に、父と母は私を連れて桃園小弟子明慧学校の読書会に参加します。明慧学校では、洪吟を暗記したり、《転法輪》を読んだり、煉功したり、大法弟子が作曲作詞した歌を教えたり、蓮の花の作り方を教えたり、絵の描き方も教えたりします。

 毎月の第二日曜日に、父と母は私を連れて桃園小弟子明慧学校の課外活動に参加します。例えば、6月には新屋蓮園や青林農場に行って煉功したり、洪法したり、資料を配って真相を伝えたりしました。もちろん、奇麗な蓮の花やひまわりの花も満喫することができます。

 毎週の月曜日の夜、父と母は私を連れて邱ばぁちゃんの読書会に行って法の勉強をします。この読書会には主に大人の人が参加していますが、私も一緒に《転法輪》を読みます。大人の人が心得を話すとき、私には分からない場合がありますが、そんな時は、私は静かに自分がやりたいことをやっています。

 父は中正空港で仕事していますが、時間を見つけては新しい空港に行って真相を伝えます。私と母は真相資料と時報を準備して父が配達できるようにします。夏休みになると、父は私を連れて空港に行きます。私も、真相資料が入ったかばんを持ったり、横断幕を持ったりしてお手伝いをします。父は、いつも旅客に真相資料を配るように私を励ましてくれました。ある日の夜、持って行った真相資料を全部配ったので、父は私と一緒に機動車で邱ばぁちゃんの読書会へ取りに行きました。途中、カーブがありましたが、父は私と家庭宿題はどうなっているのか、問題はないのかなどと話しながら運転していので方向指示ライトを点灯しませんでした。また、後ろにも気をつけないまま道路の右側から左に曲がったため、後ろから直進する車とぶつかりました。非常に危ないところでしたが、人も車も無事でなにごともありませんでした。師父の慈悲的な保護があったからこそ、無事に危険を避けることができました。本当に師父の慈悲的な保護に心から感謝します。

父は家に帰って法の勉強をしているとき、《転法輪》の117ページに次のような内容が書いてあることに気付きました。“真に正道を修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりはできません。それに、私の法身に守られていますので何の危険も起こさないです。”“借りがあれば返さなければいけないのですから、修煉の途中で危険に出会うことはあります。しかし、そういうことが起こった時でも、あなたを恐怖におとし入れたり、本当に危険に遭遇させるようなことはありません。”

 大法弟子たちが大型活動を行う場合、父と母は私に参加するように応援してくれました。特に、今年の5月9日、高雄で行なわれた法輪大法日と師父の生年月日を祝うデモの洪法活動にも、参加するように私を応援してくれました。同修達はなるべく早く高雄に到着して法輪大法の素晴らしさを人々に伝えるため、夜の高雄行き遊覧車で高雄に行きました。当日はとても暑かったのですが、みんな熱心に洪法活動を行いました。デモが終わってから、私達は、昼ご飯としておにぎりとジュースを買って食べました。桃園に帰る時、高速道路で車が渋滞したので、西湖休憩所で晩御飯としてお弁当を買って食べました。家に帰宅したら、夜12時を過ぎていました。明日は早起きをして学校に行くため、お風呂に入った後、すぐに寝ました。とても疲れましたが、わたしはこれが一番大事なことだと思っています。

 土曜日や日曜日に、母は私を連れて邱ばぁちゃんの読書会に行きます。そこで、私は中国大陸に真相資料を郵送する手伝いをしています。例えば、手紙を書いたり、切手を貼ったり、資料をたたんだり、資料を封筒に入れたり、資料が入った封筒の封をしたりします。手や腰や首などが疲れますが、年をとったお祖母ちゃんやおばちゃん達が一生懸命にやっているのを見て、私も頑張りました。

 いつもは、私は家で靴下を洗ったり、洗濯をしたり、簡単な家事をしたりして、両親のお手伝いをしています。しかし、心性を守ることが難しいときもあります。例えば、ちょうど兄の手伝いをしている時、母に手伝うように頼まれ、父にも手伝うように頼まれた時は、心性を守ることが難しかったです。しかし、師父の“吃苦当成?”の詩を思い出したら、すぐ気持ちがかわって、順番に仕事をおわらせることができました。最後に、師父の“洪吟”の一番目の詩で、皆様と一緒に頑張りましょう。

           苦其心志(その心志を苦しめる)

          圓満となって佛果を得る
          吃苦を当(まさに)に楽と成す
          身を労するを苦と算(かぞ)えず
          心を修するは最も過ぎ難し
          関という関は都(すべ)て闖(こ)え得る
          處處(いたるところ)都(すべ)て是れ魔
          百(よろず)の苦一斉に降る
          其の如何に活さるかを看
          世上の苦を吃じ得れば
          世を出づれば是佛陀

 心から師父に感謝します。また、皆様にも感謝します。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/9/81363.html