一念の中で、私は利己心が見えた
文/大陸大法弟子 清遠
【明慧ネット2004年8月15日】娘の肺炎が再発した。私はこれが旧勢力の迫害だとわかった。娘を利用して、私が安心して学法と発正念を出来ないよう妨害することでそれらの邪悪な目的を達成しようとしている。だから私は毎回発正念の時に、娘を助けて邪悪を排除するようにした。しかし二日間すぎたが、娘は好転していないだけではなくて、かえって悪くなる兆しがある。
娘の咳の音で私は寝つくことができない。私の気持ちは彼女の咳の音に従って揺れ動き初めて、この気持ちの変動の中で、私は明らかなに自分の利己心が見えた。
毎回同修が残酷な迫害をされたことを見る時、私の心はどんなに落ち着いているか。もっと正確に言うと、心は冷たいのである。毎回同修のために発正念する時、彼らを助けて邪悪を排除する時、私はこのように結果を重視していなかった。これは私の修煉境界ではない、私はこれまで自分の心と彼らをつなぐことをしていなかった。適切に言うと、私は時には形式的に行っているだけなのだ。毎回衆生を救う事をする時、自分の気持ちは十分ではなく、いつも口実を探して、衆生にすぐに渡すべき真相資料を、一日また一日と手元においたままにしていた。
私はこんなに利己的なのに、これまでそのことを正視する勇気がなかった。正視する勇気がないのは、同様に私の利己心のためだ!私心は私達の一念の中で隠れている。それは私達を縛る最も堅固なロープだ。しっかりと私達を過去と一緒に繋げた。先生以外、誰も私達を個人の利己心から抜け出させることはできない。
私が自分の利己心を正視した後に、娘の咳は停止した。
以上は個人的認識である。不適当な処があれば訂正して戴きたい。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/15/81789.html) |