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つい最近三名の天津市大法弟子が迫害されて死亡していたことが分った

 【明慧ネット2004年8月28日】つい最近の実証によると、また三名の天津市の大法弟子がそれぞれ2000年、2002年、2004年に迫害されて死亡していたことが分った。彼らは天津市紅橋区の律淑英さん、天津市北辰区の魯徳旺さんおよび周学珍さんである。

 律淑英さんは50歳過ぎの女性で天津市紅橋区の大法弟子であった。天津市板橋労働教養所で長期に亘って不法に監禁を延期された。彼女はいわゆる「懺悔の書」を書かなかったため、板橋労働教養所で行われた新しい残虐な刑罰の中で、2004年3月に労働所内で迫害されて死亡した。

 魯徳旺さんは40歳過ぎの男性で、天津市北辰区の大法弟子であった。1999年に刑を処せたれてから獄内で死ぬ寸前まで虐待された。悪徳な警察は彼が監獄内で死ぬのを恐れて、2000年に家族の人に運び出させた。そして5,6日経ってから冤罪の晴れないままこの世をさった。

 周学珍さんは50歳過ぎの女性で、天津市北辰区の大法弟子であった。2000年の終わりに自宅で拉致され、不法に労働教養された。板橋労働教養所で悪徳な警察の冠娜、高花超らに殴打された。彼女たちはいつも売春婦、麻薬常用者らに周学珍さんを殴打するように命じた。そのため周学珍さんはいつも満身創痍であった。あるとき彼女等に長いかぎ状のもので切られ背中の肉をえぐられた。それでも彼女等は周学珍さんを豚小屋に縛り蚊や虫に噛まれるままに放置した。監禁されるとこういう残酷な私刑が1ヶ月から2ヶ月は続いた。そしていつも周学珍さんは重体に陥ってから出された。周学珍さんの身長は170センチだったが、体重は30キロ足らずとなっていた。悪徳な警察はその死を恐れて家族の者に自宅まで送らせた。しかしその後も、また北辰区北倉郷の610リーダーである王宝栄の迫害を受けた。王宝栄は6名の地元の農民を探し出して、周学珍さんを毎日24時間監視し、迫害し続けた。そして周学珍さんは人身の自由を完全に失ってから、2002年7月にこの世を去った。周学珍さんの死について、王宝栄はその罪から決して逃れることができない。

 また、明慧ネット4月では天津市大法弟子の王増成さんについて報道したことがあった。心に反する「懺悔」を拒否したため、労働所で殴り殺された。以下は王増成さんのより多くの情況である。王増成さんは男性で、天津市漢沽区の大法弟子。生前に漢沽区科委の副主任をしていた。彼は監禁されている時期に青泊?7チームにより5から6本の電気棒で電撃され重体に陥った。2003年12月11日頃に労働教養所で迫害されて死亡した。

 天津市の各労働教養所では大法弟子を死に物狂いで迫害していた。もし悪徳な警察が一人の大法弟子に懺悔書あるいは保証書を書かせることができれば、天津市当局は労働教養所の官員に1万から2万元の賞金を与えていた。故に悪徳な警察は金を手に入れるために、迫害を強めるばかりだった。その上彼らは「目標」のためには死亡させてもいいという許可を持っていた。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/8/28/82792.html