江沢民はどうして“610事務室”を作ったのか?
【明慧ネット2004年8月19日】中国政府は数年来ずっと、機構の簡素化に力を尽くし、整った司法関連部門の建設を試みた。人々も政府が法治の手段で矛盾の解決をするだろうと、大規模な民衆運動には頼らないと予想してきた。しかし、江沢民はどうして数多くある機構の中で、法輪功を弾圧するための中央から地方まで至るもっぱら法輪功問題を処理する“610事務室”を増設したのか?
“610事務室”は江沢民が1999年6月7日政治局の会議で “専門に法輪功問題を処理する指導者組”を創立するように手配して、6月10日に正式に創立された。中国政府のひにちで命名する習慣に従って、“610事務室”と称した。“610事務室”は中国共産党中央から各級共産党委員会まですべて支部を持っている。常に各級共産党委員会の政治法律委員会に統括される。ごく一部は共産党事務室に統括されている。党務部門が直接行政に手を出すと、名がゆがむので、国務院以下の各級政府部門により“邪教問題防止と処理事務室”を成立して、この二つの事務室を一つの機構として、中国共産党中央直属の機構の序列にいれ、対外ではまた“610事務室”と称する。
“610事務室”は必要なのか?
中国の法治建設は1999年までに、基本的な社会矛盾と衝突を完全に処理できる能力を備えた。江沢民は法輪功が人を殺害していると言っているが、法律に従って、公安局・検察院・裁判所関連部門で受理し、原告、被告と両側の弁護士が、法廷で公に弁論し、裁判官が証拠に準じて、原告の訴えが成立するかどうかを判断すべきだ。これは公安局、検察院、裁判所関連部門の本職である。
たとえ江沢民が“専門に法輪功問題を処理する指導者組”(ただの一つの組であり、全国の各級政府ですべて1つの事務室を拡張することではない)を創立しようとしても、政府の職能から言うと、“処理”は“法に基づいた妥当な処理”になるはずだ。すなわち、この指導者組の職能は法輪功に対する処理を法治の軌道に組み入れることだ。1つの賢明な政府にとって、これは明らかなことである。
1、これは中国で長年の法治建設を行うのに最も良い促進となる
政治運動ではなく、正常な司法手続きを通して、大規模な社会民衆の社会矛盾を解決するのなら、それは中国政府が法治の道を歩み、透明であることを表明する非常に良い挙動になる。
2、あのような所謂法輪功により害を受けた人の利益を守れる
もし本当に“被害者”、あるいは“被害者家族”が自ら志願して法輪功を上訴するのなら、これは彼らの権利である。もし江沢民が法輪功を根こそぎ取り除くために、政治運動を行い、一部の人たちを利用するのなら、これらの所謂“被害者”は江沢民の弄する政治手段となるだけで、これらの人の根本利益に対する厳重な侵害ともなる。
3、広大な法輪功学習者の基本権利を保障できる
公開された司法手続きは数千万人の法輪功学習者の基本権利を保障できる。これは中国が世界に向けて極力表明する、人権進歩の最も良い証明となる。
江沢民が後になって、法輪功に押し付けた罪名に対して、法廷は必ず、事故が起きた人は法輪功の要求に従って自分を律したか、1人の死亡と法輪功は一体如何なる直接な関係を持つか、1人の精神異常は一体法輪功と如何なる直接な関係を持つか、法輪功の真善忍法理自体と江沢民が法輪功に被せた罪名の間との関係について証明しなければならない。
公開、公平な法律弁論のなかで、双方弁護士に各自の証拠を出してもらい、事実を現せば、やっと人を心服できる。
しかし、江沢民の“専門に法輪功問題を処理する指導者組”は法治の道を歩まず、中国現存の公安局・検察院・裁判所を顧みず、もっぱら全国で上から下まで巨大な人力、物力を使って、別にひとまとまりの“610事務室”を創立して法輪功に打撃を与えにくる。これは何を意味しているのか?
1、法輪功に対する弾圧は正当な理由を備えてなく、現存の司法部門に頼っては根本的に迫害を貫徹できない
みなご覧になったとおり、江沢民が法輪功を“消滅” 注1するに、最も常用的な、大きな理由は法輪功学説がいかに“でたらめ”か、ということだ。しかし、これ自身は決して鎮圧の理由にはならない。すべての宗教の理論は共産党の無神論から見ると、すべてとても“でたらめ”であり、しかも科学領域にて、各門、各派の学説も常に他人を“でたらめ”と思う。江沢民の理論に従えば、彼の目障りのものでさえあれば、すべて取り締まることになる。これは明らかに理にかなってないだけではなく、法に基づいて処理することでもない。
2、江沢民が法輪功に対する誹謗に用いた、あのような手段は法廷での公開弁論に耐えられない
江沢民が支配するメディアで現れた数件の自殺、殺害事件は、本当の意義での訴訟手続を経てないが、メディアに法輪功を批判する手段として用いられている。“天安門焼身自殺ペテン”から“傅怡彬による北京での殺人事件”まで、遼寧省朝陽での“董立の殺人事件”から浙江省温州での“陳福兆による毒物混入の殺人”まで、人々が覚えた画面は、裁判官の尋問ではなく、もっぱら法輪功を反対する番組を作る中央テレビ局のある記者と“当事者”との互いに呼応する芝居だった。
これらの“殺人事件”と法輪功の関係に対して、外部は普遍的に質疑を持っているが、江沢民は法輪功、あるいは第三者を招いて独立調査を行うのではなく、一生懸命に情報を封鎖している。法輪功が誣告されて罪に陥れている真相を伝えること自体を主な打撃対象としている。
3、司法が受理するのは法輪功学習者の迫害を受けている事件ではなく、迫害を反対する事件である
法輪功学習者が受けている迫害事件について、江沢民は裁判所に受理を禁止している。偶に受理するとしても、法輪功学習者の委託した弁護士に巨大な圧力を掛けて、未解決のまま棚上げにする。かえって、迫害を暴露し、真相を伝える法輪功学習者は裁判所に連行されて行き、一連の“罪名”を読み上げられて、申し立てを許されず、“承認”だけを許される。その後、重刑を言い渡れる。一部の法輪功学習者は法廷で自分の無罪を申し立てたため、その場で警察に殴打されたり、また密かに“判決”された更に多くの法輪功学習者は出廷の前に、非合法に逮捕されたり、期限を超過して拘禁されたり、いろいろな酷刑で虐待されたり、暴力によって自白を強いられたりされる。
このすべての迫害は、公安局・検察院・裁判所を凌駕する各級“610事務室”により、中国で持続できている。この“610事務室”を指導する“専門に法輪功問題を処理する指導者組”はまるで文化大革命時の“中央文化大革命指導者組”と同じく、独裁者が司法部門を回って、圧倒的多数の人民の利益に背く、1つの政策を強制的に実行する方法を取らなければならならず、正常な法治建設を破壊し、国家と人民に災いをもたらすことになる。
江沢民が法輪功に対する迫害を終わらせない限り、“610事務室”のような非合法機構は取り締まれない。従って、中国の法治建設はただの1つの空論となる。それは中国の法治部門がいかに完全だとしても、指導者が随時に江沢民の模式に照らして、1つの“指導者組”を創立でき、上から下までひとまとまりの自分の“事務室”を作り、“上の決定”を理由に、公安局・検察院・裁判所を回ると、更に良い法治システムもその作用を失い、逆に善人を迫害する手段にまで成り果てる。
以上から、“610事務室”注2はただ法輪功を迫害するだけでなく、すべての中国人を迫害していることが分かる。
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注1:1999年の弾圧の初期、江沢民は“三ヶ月に法輪功を消滅する”と称したことがある。
注2:法輪功学習者が力を尽くして真相を伝えたため、大量な迫害事実が国際社会で暴露された。江沢民の小グループは現在“610事務室”を“邪教処理事務室”と改名した。しかし、その機構性質と職能は変わってない。法律界の人士は普遍的に、“610事務室”の名称が何かに関わらず、それの“処理” 対象の判定、および“処理”手段は、すべて基本的な法律依拠がなく、更に多くの場合、憲法を厳重に違反する、と考えている。アナリストは“610事務室”の多くの行為、たとえば、“ドキュメント”の伝達、人の逮捕、人の拘禁など、すべてが人の耳目を避ける方式をとり、敢えて真実を文字記録さえ残せない行為に気づいている。
(明慧記者欧陽非より原稿作成)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/19/82109.html) |