成都市大法弟子鄧建萍が迫害されて死に至るまでのさらなる多くの情況(写真)
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【明慧ネット2004年9月6日】四川省成都市の大法弟子鄧建萍は42歳の女性である。
2004年3月17日成都列車北駅の近くの借家で不法に逮捕された。郫県留置場に拘禁されている期間中、彼女は真善忍に対する信念を確固不動に貫いたため、残酷な迫害を受けた。彼女は絶食で抗議し、次から次へとさまざまな苦難を受け、2004年8月11日昼12時30分に迫害により死亡した。
彼女の命に危機が現れてから7月22日鄧建萍は、青羊区人民病院に送り込まれたが、彼女は依然として邪悪に抵抗し続けた。警官は彼女に“あなたは政治に参与している、これらはあなたのような弱い女がすべきことじゃないだろう?”と罵った。彼女は“私たちは修煉してよい人間になるばかりです。政治には参与していませんが、法輪功に対する迫害には反対です。”と明確に答えた。彼女はまた引き続いて彼らに、あなた達は自分の良心を金銭と権勢に売っていると言った。鄧建萍は大法を実証する活動の中で、身の安全のためにすべて偽名(別の名前)を使っていた。拘束期間中警察側はずっと彼女の実名を調べることができなかった。しかし、長期にわたる絶食抗議、真相説明などによって心身ともに極度に疲れ切っていて、しかも精神状態までぼんやりしていたのが原因で7月27日に、自分は鄧建萍であると実名を言ってしまった。
警察側はこの名前をネットで調べまくって、青白江川集団会社に勤めている彼女の兄を探し出した。彼らは家族の説得を利用して、彼女の絶食抗議と修煉を貫く決心をつぶしてやろうという計画を企んでいた。そこで、8月10日彼女の両親と兄は病院に見舞いに来た。その時、彼女はすでに骨と皮ばかりにやせこけて、動くことすらできなくて、意識もぼんやりしていた。足には数十キロもある重い足かせがつけられていて、足かせによって足首は変形していた。猛暑の中でも、逮捕当時身につけていた赤色の毛糸のセーターを着ていて、体は衰弱して寝返りをうつことすらできなかった。お尻のあたりは大きな床ずれをおこしていて、血と肌の見分けすらできない状態で、トイレもベッドの上で済ませている状況だった。彼女は気力が尽きて返事をすることすらできなかった。むかしは健康で綺麗な建萍がこのように苦しめられているのを見て、家族は心を切り刻まれるような痛みを感じた。何回も呼びかけられて彼女はやっと口を開いたが、意識は依然としてぼんやりしていた。
彼女は母親を見て、弱弱しい声で“あなたは書記でしょう、あなた達が私をこんなふうにしたのよ。”と話した。このような情景を見て、家族はすぐ警官に“あなた達警官が口ぐせのように彼女に‘とても良くしている’、‘配慮が良い’と言っていたことが結局こんなことなのか?”と厳しく問い詰めた。家族の要求のもとで、医者を呼んできて傷口を処理して、建萍はやっと意識が回復した。父親と母親、兄のこともちゃんとわかっていた。彼女はそばに立っている一人の若い武装警察官を指しながら“私は彼らを訴えてやる。彼らは私を迫害した、彼らは私を迫害したのよ。”と言った。武装警察官は “彼女はでたらめを言っている。” と反発した。鄧建萍の父親と母親は直ちにこの武装警察官の狡猾な反駁に言い返した。“法輪功を修煉して、真善忍を修煉している人はみな良い人ばかりだ。こんなにすばらしい人たちを良く思いやれとまでは言わないが、たとえ普通の監視、管理スタッフでさえ殴ったり、体罰を加えたり、虐待してはいけない!” 鄧建萍は気息奄々として命の危険に瀕していた。
家族は彼女を解放することを強く求めた。その場にいた警官は“駄目だ。たとえ保証人を立てて審問をするにしても、許可が下りるまで1,2週間かかる。”と言った。鄧建萍の家族は“それでは彼女がここで死んだら、すべてあなた達が責任を負いなさい!”と明確に意思を表明した。しかし、翌日の午後、警察側から鄧建萍の兄に連絡があって、保証人を立てて彼女を迎えに来るようにと伝えられた。家族は直ちに成都青羊公安支局に行って手続きをした。そして、また郫県留置場に連れて行かれて、そこで何時間も待たされたがしかし、最後に告知されたのは、鄧建萍はすでに2004年8月11日昼の12時30分に死亡したということだった。4時を過ぎて葬儀場に遺体を見に行った。このようにして彼女は貴重な命を奪われてしまったのだ。
鄧建萍は成都市の青白江川化集団公司二化工場の電気担当者であった。その後川化工場について広西北海の開発建設に行った。北海から帰って来て、成都のある会社の会計を担当した。1995年から法輪功修煉を始めて、体の病気はすべて自然に治った。しかも真善忍の基準によって道徳の高尚ないい人になろうと要求し、心身の受益は法輪大法の不思議な力とすばらしさを表していた。
1999年7月20日、江氏ごろつきグループは法輪功に対して全面的に残酷な弾圧を開始したが鄧建萍は依然として修煉を貫き、そして2000年4月に陳情のために上京した。そこで彼女は警官に捕まって天安門派出所に入れられた。彼女は警官に大法煉功と大法を修煉して受益した経験を話した。しかも、憲法には国民が陳情する権利、政府に意見を話せる権利が定められており、不法逮捕などは間違っていると厳しく言った。彼女は絶食による抗議をはっきりと意思表明した。しかも警官には自分の姓名、住所、会社名などを言わなかった。その理由として自分のために親族と会社まで、巻き添えにしたくなかったからである。3日後彼女は釈放された。同年の7月建萍は姪をつれて再び陳情のために上京して、天安門広場で38度の厳しい暑さにも関わらず、法輪功の第2式目の煉功動作を一つ一つ綺麗にやりこなした。そこで彼女はまた天安門派出所に捕まった。警官はまだ彼女を覚えていて“またあなたなのか。今回は子供まで連れてきたの!”と罵りながら彼女にビンタを振った。しかし、彼女が依然として善意の気持ちで、法輪功学習者はみな良い人で、政府に反対するのではなく、ただ法輪功の真実を話すために上京したと、自分の名前を言わずに説明をした。彼女の説明をきいて、悪警官の態度は柔らかくなった。北京留置場で彼女は絶食で抗議を行って、その他の同修と一緒に座禅を組んで法を勉強した。当日の夜、警官は彼女と山東省の年配の女性一人を解放した。その女性は身に一円の金さえ持ってなく、建萍は自分の旅費からお金を出して、彼女を家まで送ってから、姪をつれて成都に戻った。
江氏グループは法輪功を弾圧して、信条を曲げず修煉を続ける大勢の学習者を迫害しただけではなく、その上人類の基本的道徳の良心をも迫害した。悪毒のデマ、でたらめのうそは初期段階において、どれだけ多くの善良で罪のない人々を騙し、欺いたことでしょう。それによって無知と誤解を招き、人々が大法を敵視するなど、永遠に取り戻しのつかない悪業と災害をもたらした。このような状況下で、鄧建萍はまた北京へと陳情に行って、全力を尽くして邪悪を暴き出して、大勢の民衆に真相を説明する大きな波に乗り出たのだ。
2002年2月4日、鄧建萍は成都の家で市公安に逮捕されて郫県の留置場に拘禁された。彼女は断固として邪悪に協力せず自分の姓名を言わなかった。それでしかたなく留置場では彼女を“無名氏”と呼んだ。彼女は20数日間の絶食で体は非常に衰弱していた。留置場側はもうだめだと思って、彼女を派出所に入れた。この時に師父は彼女に悟りを開かせて下さった。彼女は理知と知恵で魔の手から逃げ出そうと決心した。彼女は注意深く周囲の地形を観察しながら、まったく歩けない振りをして警官の監視を緩ませた。同時に正念を発し続けた。“私はこの中でぼうっとしてなすがままに迫害を受ける理由なんかない。出て行って大法を実証しなければならない。師父、私に力を貸して下さい。”ついに機会が来た
警官の一人が電話に出て、もう一人は便所に行った。彼女は下水道配管にかけてあるモップを利用して塀外に抜け出した。屋上に登って、屋上から1メートル離れている電信柱に飛び付いて、地面に滑り降りた。この時ちょうど一台の三輪自動車が通りかかったので彼女はスリッパのまま三輪自動車に乗り込んだ。金がない彼女は料金のかわりに上着を差し出して、運転手に、自分は法輪功を修煉してどれだけ受益したか、またどれだけの迫害を受けているかを説明した。運転手は同情して彼女の服を受け取らなかった。彼女はまたタクシーに乗り換えて成都の同修の家に行って金を借りて、三輪自動車の運転手に倍の料金を払った。このようにして、20数日の絶食で体が極度に虚弱した情況下でも、鄧建萍は師父の教えと加護のもとで、正念正行を保って悪魔の住み処から抜け出して、また衆生を救い済度する活動に溶け込んだ。
2004年3月の初めごろ、成都市の大法弟子曾涛、成墨、李小波などが次々と逮捕されて、鄧建萍も同時に邪悪にあとを付けられた。3月17日、鄧建萍は列車の北駅近くの借家で不法に逮捕されて、郫県の留置場に拘禁された。長期にわたる絶食抗議、様々な虐待によって鄧建萍は2004年8月11日昼の12時30分に死亡した。郫県留置場で受けた鄧建萍の迫害の具体的な情況はまだ詳しくわからないが、事情を知っている方がいれば情報提供をお願いしたい。
世界は“真、善、忍”を必要としている。法輪功学習者は最も善良なグループであって、善を打撃するものこそ間違いなく邪悪なものだ。今年の初め、中国政府はすでに“人権保護”を憲法の中に書き込んでいる。現在全国の検察機関は、公務員が職権を濫用して人権を侵害した犯罪などを厳しく調査して処分する特定項目の活動を行って、警察、検察、裁判所内部の違法問題を整頓している。《刑法》に定められている:“留置場での監視・管理スタッフによる殴打および体罰、虐待は特に重い罪になる”“人に障害を与え、死亡させた”ことは、必ず刑事責任を問わなければならない。これによって大勢の法輪功学習者および鄧建萍の家族は、法律によって関連機関および個人的に鄧建萍に迫害を与えて死に至らせたすべての犯罪行為を告訴して追及している!どれだけ大きな困難があろうとも、どれだけ厳しい抵抗力があろうとも、法輪功に対するすべての犯罪関連機関と個人は必ず徹底的に追及されるはずだ!
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/6/83538.html) |