日本明慧


マンハッタンで真相を伝える際の思考および経緯(一)

 文/アメリカ東部大法弟子

 【明慧ネット2004年9月5日】マンハッタンのような国際的大都市で真相を伝えるには、各種の層から展開、入り込む必要がある。その中で街頭でチラシを配り、真象を伝える活動を行うこの二つの形式は、平凡に見えるが、しかし非常に重要かつ基本的な方法である。なぜならこの二種の方法を通して、私たちはすばやく広範囲にニューヨーク市の各区、各階層の人士に私たちのイメージ、各種の情報、コミュニケーション及び選択の機会を提供することができるからです。もし私たちが本当によく成し遂げることができれば、まさに無形の中に、毎日の一言一行の中に、毎回の期せずして会う視線および会話の中で、有効に邪悪な要素が人々への影響および制御を取り除くことができます。本当にすべてのニューヨークの人が最善の選択を選ぶことを助けることができるのです。それと同時に、修練者個人にとっても、これは心性を向上させ、真相を伝えるための機会でもあります。

一、 同修の成果およびニューヨークの人々の変化

 共和党大会のこの時期に、私達のたくさんの同修たちはいろんな努力をした結果、マンハッタンで真相を伝えることができました。例えばある同修は会社で連日の残業、及び加点を通して仕事を終わらせてから、月曜日から金曜日の期間に1,2日間の休暇を取ってやってきました。また周辺地区の同修たちは一生懸命仕事に励み、毎週数日の退勤時間を早めることで、その後に車を運転、あるいは乗車して数時間の往復を掛けて、マンハッタンで数時間の資料配りをしていた。またある同修は週末二日間の休憩の時間を全部マンハッタンに使い込んだ。またたくさんの同修たちは住居、交通、通信などの各種の困難を乗り越えて、連日食費を切り詰めて物を節約しながらニューヨークに住み、毎日朝早く出て夜遅く帰るまでに真相を伝えていた。またたくさんの同修は自ら資料、後方勤務を担当し、外出している学習者たちに団体による交流の修練環境の作成に心がけた。などがあります。

 みなさんの数週間の共同による努力を経て、マンハッタンは確かに大きく明らかな変化が現れてきました。当初街頭に出るときは、大体の人は法輪功の名前すら聞いたことがありませんでしたが、今では出版物を配るとき、たびたび「もうすでに資料を貰いましたよ」という言葉をよく聞くようになった。最初の時は大多数の人は非常に冷淡で排斥していました。今では確かにまだ少数の人が真相を見ていません、しかし既に大勢の人は彼らに対して微笑みながら挨拶をし、資料を渡すときに、彼らもあなたに対して会釈をし、あるいは微笑み返す。また一部の人は足を止めてあなたと会話をすることもあります。あるいはあなたが彼らを気づかなかったときは、彼らは自ら資料を取りにくることもあり、話をしてから多めに資料をもらい彼らの友人に配ることもありました。一部の人たちは私達と深く話してから、帰って法輪功の真相をより多くの人と分かち合った。また資料を見た人が、機会を伺って自分の疑問を聞いてくることもあります。

二、 展示パネルがもたらした物語およびニューヨーク人の質問

      DCの学習者がマンハッタンで展示パネルを通して真相を伝える

 私はここで携帯に便利な展示パネルのもたらした物語を紹介しておきたい。ここで指した「携帯に便利な展示パネル」とは一人でも手で挙げることのできる展示パネルで、サイズは標準の半分くらい、用いられる材料は通常堅いボール紙、プラスチック額など。軽いうえに頑丈である。展示パネルで用いられた写真および用語はみな心を込めて反復の推敲を通して選び出したものばかりで、そのために通り過ぎる時でも正確に通行人に自分の伝えたいメッセージを伝達することができる。通行人からみても「一目瞭然」である。この種の小さめな展示パネルはアメリカ人がデモ、宣伝を配り、そして集会を行うときに最も多く使われる形式であり、横断幕より効果が良い。挙げる人も見る人から見ても全部便利である(これらの情況の下で、私たちから近距離にある通行人から見れば、面積からみて、横断幕の伝えられる情報は少ない、展示パネルの伝える情報は多い。閲覧の面からみて、展示パネルには図表も載せるが、横断幕にはできない。横断幕が戸外条件の下で風に影響されやすい、はっきり見えない場合がある。それに対して展示パネルは安定している。ゆえにアメリカ人は通常一枚の素晴らしい図画に画竜点睛の文字さえあればより良く広く伝えることができると考えている)。

 物語に戻るが、あるとき私は車でマンハッタンに行き、駐車してから展示パネルを取り出して、準備する中(宣伝の整理されていることを確認し、展示パネルの状態を確認、そして他人にも、自分の歩きやすい姿勢で展示パネルおよび宣伝を持ち、かばんを掛けて)。私が調整する一分ほどに、突然ある男の子が走ってきて私に「あなたの幸運を祈る」といってくれた。私は頭をあげて、彼が私の目を見て、力強く頭を振っていた。私がまだ反響していないのを見て、彼は静かに私の横にあるまだ立たせていない展示パネルを指していた——その上にはある50歳過ぎの海外学習者が残虐刑を実演する場面だった、下にははっきりと英語で「中国で法輪功への迫害を停止せよ」書かれていた。この瞬間に、私は分かった。彼の目を見て「ありがとう」と言った。彼はまた力強く首を立てに振って、「あなたは良くやっていますよ」と言った。「宣伝物はいらない?あなたの家族、友人と一緒に法輪功の物語を話しあえるよ」と言うと、彼は嬉しくなって、チラシを取って歩きながら見ていた。

 共和党大会の前日に、私は一人で展示パネルを掲げながら60番街の第5大通り付近のある街頭を歩いていた。歩くなか、たくさんの専用車、ドライバーなどが道路の傍らに立っていた。なかには記者、あるいはその他の関係者も見えた。私が通ったときにたくさんの人が私の手に持つ展示パネルに注目していた。一部の人がチラシを受け取った。私は宣伝物を取った人に晴れやかな感謝を伝えた。彼らは彼らの周囲にいる同僚たちも愉快の表情が浮かび上がった。その中に、三名の上層社会の青年男子が、私の手中にある反残虐刑展示パネルを見て談話を止めて、私が彼らの隣を通るときに、ある人が平坦と私に「なんですか?」と聞いた。私は簡単に法輪功の紹介をした。92年に伝播されてから歓迎されたが、99年に大面積にわたって迫害され、誰がなぜ迫害を発動させたのか、法輪功を修練する人はなぜ迫害されても嘘をつかないのかなどを伝えた。相手も思惟が敏捷で、理解することができた。私が99年以来の5年間に少なくとも千人以上の人が法輪功を放棄しないために迫害されて死亡したと述べたときに、彼は厳しい表情で「私はあなたたちのために祈る」と言った。私は微笑んで、真面目に「ありがとう」と応えて道を先に進んだ。
五番街大通りの傍らにある豪華ホテル付近の十字路にくると、その日にあの場所で宣伝を取る人は少なかった。しかし通行人はみな展示パネルを見ていた。私は付近の高層ビルからも無数な視線が集めてくるのを感じた。

 そこでは、私は数名の「ついでに」通りかかって話しかけてくる人に出会った。その中の一人はきれいな白人の女の子であった。彼女はまた十歳にも満たない様子で、行儀がきちんとしていた。この子の母はこの子を連れて私の横に止まった。私に背を向けながら他の二人と話をしていて、まるで私が存在していないようだった。女の子は展示パネルに目をやった。私は微笑んで彼女を励むために、彼女に見えやすいように展示パネルの角度を変えた。少し経ってから、私は再びこの子を見るときに、彼女もこっちをみて、大きな目で私と話をしていた。私は彼女に対して微笑み、肯きながら目で宣伝を取りたいのかと聞いた。この子は母をみて、すこしためらってから受け取った。そして私に一歩近づいてから、真心を込めて「あなたのほしいものが手に入れるように」と言った。私はうつむきながら彼女の同情に満ちた大きな目を見て「ありがとう、やさしいね。法輪功の物語をより多くの人に伝えてね。それで私たちは迫害を停止させることができるわ」と言った。彼女は幼いため、私の話を聴いて間をおいてから「分かりました」と言った。

 またある白人の婦人が来て、慎重で身に合う服装および振る舞いで彼女はただの観光客あるいはぶらぶらしている者ではないこと、また普通のサラリーマンでもないことを告げてくれた。彼女は何事もなかったように私の横を通るそのとき、突然止まって、展示パネルを見て、礼儀に満ちながらも大げさのない微笑を浮かべて挨拶をした。そして「私はすでにあなたたちの(迫害される)ことを知っていますわ。確かにそうではあります。しかしあなたたちはアメリカおよびアメリカの国民が何かをしてくれることを期待しているのですか?・・・などと一連の質問を提起された。彼女は優雅な態度で中国は常に勝手気ままなことをすることを言った。しかしアメリカにも解決すべき、まだ解決していない問題がある。ブッシュが大統領であれば、中国にアメリカの声を重視させることはできないのだと言った。それから私も落ち着いていった。より先のことを考えると、一部のことは、その一時に効果が明らかでなくても、やるべきことであればみんなやるべきである。いつか正義の声が巨大な効果をもたらすことである。でなければ邪悪勢力はさらに猖獗になり、善良で無辜な人々はより多くの苦痛に耐えなければならなくなる。それに中国はもはや江沢民一人の天下ではないと述べた。彼女は私の目を見て、微笑んでその場を去った。

 ある大きな銀行の前に立って、大通りに直面して、展示パネルを手に掲げていた。人が通ろうが通らないがは別として、私はできるだけ微笑みながら、元気でまっすぐに立ち、展示パネルもまっすぐ立たせていた。ある人が私の後ろにある銀行から出てきて「私に一枚ください」と言った。版面に「法輪大法」と印刷してある英語の新聞を取ってからすぐにあわただしく通っていく人流の中に入っていった。修練者の直感が、彼は銀行の中で黙々と観察してから資料を取ったと教えた。

 またある人が別の場所で宣伝をとって、私が一人で展示パネルを掲げているのをみて、躊躇いながら話しかけてきた。こういう場合は、私は常に自ら挨拶し、そして微笑みながら問題があればぜひ聞きに来てくださいという。たくさんの人が法輪功とは何か、一体なにがあったのかと聴いた。また一部の人が他の街での抗議と同じことなのかと聞いた。なぜなら私たち学習者たちは許可の取った場所で反残虐刑展示をやっているため、人および横断幕は常に町の大通りに背を向いて、道路の向こう側にある建物に直面しているため、またたくさんの学習者たちが残虐刑実演のテントの隣でビルに向かって長時間の座禅をしていたため、故にたくさんのアメリカ人は私たちが向かい側にある会社(ビル)に抗議をしているのだと感じた。この種の情況をみて私はいつも笑って応えた「いいえ、私たちはみんな法輪功学習者であり、抗議しているのではなく、ただ公衆に法輪功についての注目を呼びかけています(bring up awareness)」と言った。それから数分の時間を使って92年から99年までのこと、そして99年から現在までの概要を伝えた。この時、少なからずの人たちは私たちは良くやった、私達の為に何かできるのかと称えた。

 また少なくない人は迫害に反対するが、しかしどうしようもないと感じていた。なぜなら、いたるところに問題がある、良くないことはいたるところに発生しているからだ。私たちは助けることはできない、あなたたちはただ自分で祈ることしかできないのかも知れないといった。このときに私は彼らに続けて会話をして、彼らに法輪功のために一緒に祈るようにと言った。そして彼らおよび家族の人に法輪功のことを知っていれば助かるといった。そして、私はたくさんのニューヨーカーの生活は非常に緊張しているのを知っていて、彼らはたくさんのことに対してどうしょうもない気持ちを抱いていた。故に私は彼らにこう告げた「私はここで法輪功のことを伝えていますが、ただ中国大陸の法輪功学習者のためだけではなくて、あらゆる人のためです。もしみんなが「真善忍」を大事にすることができれば、そのようなたくさんなよくないことは起こりえません。良い人はますます多くなり、この世界は本当に素晴らしいものになるのです。私たちは現在このような良くない環境の中にありますが、私たちは自分の心身ともにより多くを受け入れる能力、そして解決する能力を持つようになります。生活もきっとより有意義なものになりましょう」と。時々また自分あるいは同修たちの修練の受益した実例を挙げた。

 人々は聞くのは好きだった。中には迫害真相を聞いて宣伝をもらい、大法のプラス的なメッセージを聞いてまた新聞を取った。また多めにもらってから自分の家族、友人にも配った。また自分の友人の居住している地域では法輪功の宣伝を配らないのを避けて、友達の分も取っていた。時に私の手元の資料が少ないため、彼らに宣伝一枚に新聞一枚とって、家族のものと分かち合うのはどうかと聞いた、しかし人々は往々にして受諾せず、みな自分の分をほしがっていた。それで彼らの言うとおりにした。

 ある女性が展示パネルを見て、率直に宣伝を取りに来た。また「学校はどこですか?」と聞いた。彼女はどこで法輪功を学べるのかと聞いている。なぜなら彼女の友人が彼女に法輪功は健康に非常に良いと言ったからだ。あるマンハッタンに住む老人はとずいぶん前から法を学びたかったが、自宅の付近には煉功場所がないため、そして遠いところには行きたくない故に、私たちにより多くの資料をもらいに来た。

 地下鉄の中では、たくさんの人が展示パネルを見ていた。ある人はじっと見てから資料をもらいにきた。また資料をもらうのを恥ずかしがっていた人もいたので、私は自ら差し出したことで、宣伝を取った人々は真面目に読み始めた。

 あるときメトロを乗り間違えて、あがってきてから気づいた。目的地にたどり着けるにはまだ遠い道のりを歩かなければならなかった。その日は時間の関係で、私は早く歩くことに決めた。しかししばしば通行人に呼び止められていた。なぜなら彼らは私の手中にある展示パネルを見た(私はいつも展示パネルを人の読みやすいような角度に置き、常に「反残虐刑展示」を心がけていた)。人々は私を呼び止めてから質問し、あるいは私の手元に宣伝、新聞があるのを見て、すぐにもらった。あるときに私は一つの小さな公園の傍らを通るときに、自ら正面から展示パネルを見ている人に宣伝を配った。また彼に真相を伝えた。そのときに遠くないところに一人の黒人女性がベンチに座って自分の遊んでいる子供を見つめていた。なんの表示もなかったため、私は先を急いだ。私は彼女の隣をすばやく歩き通ると、この婦人はすぐに大声で私に呼びかけた「すみません、よろしければ私にも一枚もらってよろしいでしょうか?」私は周囲をみて、誰も宣伝をも配っていなかったのをみて、初めて自分を呼んでいるのだと気づいた。そした私は微笑みながら彼女に宣伝を配った。彼女は真面目に展示パネルを見て、幾つかの問題を聞いてから、私を行かせた。

 あるとき私は某反残虐刑展示のところで人を探していた。来る途中に歩くのが少しだけ早すぎて、宣伝を配らなかった。ただ展示パネルを掲げて人々に見せていた。歩きながら正念を発していた。そこであるアクセサリー、記念品専門店の店主に呼ばれた。さらに展示パネルになにが書かれてあるのかを知りたかった。見てから、彼はまたチラシを受け取った。結局その隣にある数軒の店の人も展示パネルを見て、おのおの宣伝をもらって店内のカウンターで見ていた。

 42番街のある銀行の入り口の前に、5名のスーツを着た男たちが私の展示パネルの前を通った。私は彼らを見るときに2歩ほどしか離れていなかった。彼らが会社に急いでいるのではないのを見て、機会を逃したくないと思い、急ぐ中に話もかけずに一枚の宣伝を真ん中にある男性に渡そうとした。しかしその人がびっくりして、無意識に後ろに避けた。私はすぐに挨拶をつけた「Hello, how are you」そして「私たちが迫害を停止するのに助けてください」と言った。彼らは遠くからくるときにすでに私の展示パネルを見ていたから、私を責めなかった。彼の隣にいたもう一人の人(用心棒あるいは助手)が穏やかに私の渡した宣伝を受け取った。すべては数秒内の時間に発生していた。このときに彼のボスが私に微笑んで称えた。それから彼らが路傍で電話をかけ、連絡を取っていた頃、あの宣伝を取った助手さんはつねに熱心に私の渡した宣伝を読んでいた。

 マンハッタン大通りで真相を伝えるとき、どんな人にも出会えるものでした。平日では会いたい人、あるいは予見できない人、メディア、商業界および政界の人士に会えるものだった。数分以内に真相を伝えることができるのか?最も重要な問題を正確に、簡潔に答えることができるのか?そして人々は受け入れるのか?は、大法弟子の心性の修練の基礎以外には、またたくさんの勉強、思考および西洋人との交流の基本訓練が必要となってくる。毎回マンハッタンの街頭で真相を伝えるとき、それらは私に情報および資料の仕事の重要性を意識させる。私にたくさんの思考および学習の機会を与え、そして私は正法の歩みをも感じることができた。交流の中では、この時間内にマンハッタンで真相を伝える際の同修たちの心得に気づいた:このような複雑な国際大都市と直面しがなら、私たちの思想は必ずはっきりと明確し、理性を保ち、自分を絶えず向上しなければならない、それで初めてよりよく真相を人々の心の中に伝えることができる。限られた時間内に正法の全体の情勢を順応し、完成すべき責任および使命を完成することができる。

 (続き)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/5/83390.html