日本明慧


師父を堅く信じ、大法は神威を現す

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年9月24日】私は1996年に大法修煉を始めた。2004年4月、警察の手を逃れて、私はビルの三階から飛び降り、重傷を負った。この傷から快復する過程での体験は、大法の威厳と神奇を示した。この体験から、迫害に苦しむ同修に、大法に堅い信念を持つなら、無辺の力量を持つことが可能であることを述べたい。

 私は落下後、近所の病院へ送られた。エックス線で、臀部の骨折と脱臼、左足の骨折があることが分かった。これと同様の情況下では、患者は不具となるのが常であったので、医者は心配した。私は夜も眠れない程のひどい痛苦を味わったが、大体において心は醒めており、廻りの者が鎮痛剤を使うことを奨めたが、私は拒絶した。

 この痛苦は私を更に目覚めさせ、修煉における至らなさを私に気付かせた。私は崖っ縁に居るように感じ、悪魔や黒手が眼前に漂っていた。彼らが私の生命を奪いたいことは分かっていた。私は正念を送り続けた。次第に私の身体と周囲に安静が訪れた。

 師父の言葉が心に浮かんだ、"あなたが真の修煉者である限り、どんなことも起こり得るのです。以前、足に鋼鉄や鋼板を入れた修煉者がおり、後にそれらが皆跡形もなく消えてしまったことを発見しましたが、その足は損傷も無く完璧でした"。(1999年トロント法会での説法、非公式訳)

 師父がこれらの良くないものを取除いてくれたことに、私は気付いた。折れた骨など師父にとって何でもない。苦痛に耐えながら私は又師父の言葉、"正念が強い分だけ、威力も強いのです" (也三言両語、2001年9月9日、非公式訳)を思った。

 "私は法を正す時期の大法弟子である、旧勢力の如何なる干渉や迫害も拒絶する! 私は法を証明する為に来たのだ!" 私は自分に言い聞かせた、"私は法を証明しなければならない、大法弟子がやるべき事をやらなければならない"。私は師父が全てを按配してくれると、堅く信じる。その思いを持った直後、私は傷の辺りに一陣の熱と、エネルギーが回転するのを感じた。慈悲深い師父の保護を知った。

 二日目、父と兄が見舞いに来た。父は常人であり、私が不具になるのを恐れて、私が病院を出るのを許さなかった。手術は20,000元もかかるが、彼は私に受けさせたかった。私は兄に言った、「手術を受けたくないのです。今晩父をゆっくり休ませて下さい。明日にはきっと私は帰宅するでしょう」。

 兄は大法弟子であり、私の決心を支持してくれた。話している間、傷の部分がピクピク震えるのを感じた。その夕刻、私は腰の部分を動かすことが出来た。師父が折れた骨を治してくれたのは、分かっていた。以前は腰を動かすのが痛苦であった。病院での三日目に、私は大丈夫であり、手術は必要なく、家に帰るべきであることを父に言った。父は心配し、私は、手術が成功するとは限らないこと、更に手術の副作用が15種もあることを言った。私の言うことを聞いて、父は落ち着いた。師父が私の折れた骨を治してくれたので、もう一度エックス線を撮って見ても良いと、父に言った。エックス線写真は、折れた臀部の骨が元通りくっついたことを示した。怪我をしてから、たった四日目であった。医者は説明が出来ず、大法の威力に驚いた。父は大法が良いということを知り、私が帰宅することに同意した。病院を去る時は良いお天気で、私の心は自信に満ちていた。

 帰途私は空に向かってしっかりした声で言った、「私は師父李洪志の弟子である、私は大法を証明したいのだ、私には欠点があるが、邪悪の迫害を認めない、全ての邪悪と黒手を除去する、全てだ」。私は大声で三回繰り返し、心の中で正念を発し続けた。

 帰宅して最初の二日間は、高熱が出た。私は正念を発し続けた。同時に骨折した部分がしばしばピクピクするのを感じた。二日後熱は下がり、腰は痛みも無く自由に動かすことが出来た。師父が私の折れた骨を全部治してくれたのだと分かった。ピクピクしたのは、実に折れた骨がくっつく過程であった。それは4月11日のことであった。私は再び師父に救われたのだ。後で、その4月11日は復活祭であって、師父は米国で説法した、と知った。身体が再建する間に、私の心は生死の試練を経験した。

 怪我をしてから二ヶ月経ち、私は自分でゆっくりと歩くことが出来る。始め暫くは立つことが出来なかった。法を勉強し、煉功し、正念を発し、私はどんどん快復して行った。親戚の者は私の快復に驚き、両親はとても喜んだ。医者が前に言ったのは、手術が成功すれば、1ヶ月半後に上半身を起こすことが出来るかもしれないということであった。

 後に、同修が私の体験を書いて明慧ネットに投稿するよう言った。様々な魔難に苦しんでいる同修に言いたい、「堅く大法と師父を信じなさい! 本当に生死を忘れることが出来るなら、そして大法弟子がやるべきことをやるなら、師父は弟子の為に何でもやってくれます」。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/8/24/82506.html