この時期の“眠い”に対して悟ったこと
文/台湾弟子 黄冠傑
【明慧ネット2004年8月29日】「ニューヨークでの正と邪の大戦に参与する中で私達の一念」の文章を読んで、同修は眠い情況に言及した。以前私は寝ることがすきで、いつもよく寝ていた、だから眠ることに対してたくさんの経験と悟ったことがある。自身がこの面にたくさん執着があるため、いつも隙に乗じられて、特に正法の最後になると、この面の問題は更に突出する。
現在私の睡眠の時間は制限されたので、いつでもベッドに入って、部隊の時間の教練によって、利用できる時間は多くなったが、しかしまだ完全に自由に行うことができない、私自身はよく寝るから、ベッドに入って横になると、すぐ寝てしまう。しかし目が覚める時、時計を見るとはいつも正念を発する時間が過ぎてやっと目が覚める。この問題はとても大きい、休みになって家に帰ると発正念が正常になることができるが、部隊に帰るとだらけてしまう。最初、内に向いて探すと、安逸心、寝ることがすき、だらける、遅らせる、主意識が弱いなど心性の問題が分かった。しかしこの現象はやはりまだ存在している。まだ他の問題もあるでしょう。
「それでも苦難が尽きることなく、長引いていれば、もし心性か行動に他の問題がなければ、きっと邪悪の魔が皆さんの放置している隙に乗じているに違いないのだ。修煉者はなんといっても常人ではないのだ、ならば本性の一面からどうして法を正さないのだろうか?」『道法、精進要旨』もとはこの中にはまだこの問題がある。私は軍隊にいるとき、いつもよく寝てばかりいて、休みになって家に帰った何日かは、煉功点に煉功しに行くのは本当に難しくて、いつも一日か二日経ってからようやく正常に煉功点に行くことができる、さもなくば最初はいずれも遅刻する。しかしまた正常な時間におきて煉功した後、兵営に帰るとまただめになる。この妨害の原因は、よくベッドの上で横になって、自由行動の時間を待っている時は、精神状態はとてもよい。だんだん眠くなるが、自由行動の時間まで支えることができる。しかしいつもすぐ時間になると、知らないうちに寝てしまう、いつ寝たかもわからない。目が覚めると発正念の時間が過ぎてしまったか過ぎたばかりだ。この前に一陣のエネルギーが来ることがあり、来るとすぐに寝た。
今私は法を読み、或いは座禅を組む時間を延長して、正念を強化して、今この現象はだんだん少なくなってきたが、やはりまだ存在する。もし法をよく学んでいて、座禅を組む時間をある程度まで延長すると、正念が強くなる。そうでなければ寝れば寝るほど眠くなり、心性と功はずっと下へ落ちていく、もともとはしないことも、だんだんするようになる。本当に「心性の高さは功の高さですから、心性に合わせて与えられるわけです。名利心が強いほど、常人の中で落ちてゆきますので、功もそれにつれて堕ちてゆきます。」(『転法輪』)
私のこの安逸心は重症になると、もっと利用されて、次元も同じく落ちるのはとても速くて、しかし次元が落ちるかどうかが重点ではなく、 重要なのはするべき事がすべてあるべき効果を達成することができないことだ。普段私は大規模な活動、或いは法会、体験交流会あるいは集団法学法に参加すれば、いずれもとても眠くて、特に圧力はとても大きくて、私は主にすべてこれらの妨害だと思った。発正念する時、もし主意識が強くないならば、更に眠くなりやすい。この面は私達は決して軽視することはできない、特に眠くなる時は考えてみて、自分が寝たいのか、或いは外来の妨害なのか。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/8/29/82826.html)
|