正法修練の物語:大法を堅く信じ、再び光を見る
文/河南大法弟子(本人の口述により、大法弟子が整理)
【明慧ネット2004年9月25日】私は河南省禹州の大法弟子です。今年で40歳になります、98年4月に大法を得ました。2002年の秋、私は再び身を持って法輪大法の不思議さと師父の非常に大きな慈悲を実感しました。
2002年の秋、私は隣の県のある小さな炭鉱で石炭を採掘する仕事をしていました。ある日、私は同チームの十数名の炭鉱労働者達と一緒に炭鉱で石炭を採掘していました。作業をしていると、突然“がらっ”と音がして、坑道の下方で大きな崩壊(地すべり)が起こりました。続いて頭の上から大面積にわたって炭層や石などが作業中の私や私の同僚たちに降りかかってきました。私はその時、頭蓋骨が粉々に押し潰されそうになるのを感じました。正にその瞬間、私の頭脳は非常にはっきりとしていました:私は大法弟子だ。そして同時に大声を上げて「師父よ私を助けてください!」と叫ぶと、後はもうなにも判らなくなりました。
どれくらいの時間が経ったのでしょうか、救援の者が私を石炭と石の中から見つけ出しました。私はまだ生きていましたが、見るに忍びない悲惨な姿でした:全身は真っ黒になり、二つの眼球が押されたため外に大きく出ていました。右まぶたの上下の筋肉は剥がれていました。傷の中には石炭のかすがいっぱい入っていました。さらに右足の臀部の筋肉が臀部の外側までに押されて、“マントー”(中国式の蒸しパン、形はモンゴルの移動用のパオに似ている)のような筋肉の塊ができていました。同僚たちは手や足が折れ、中には肋骨が折れた人もいて、現場は血だらけの悲惨な情況でした。
私は応急手当の後に意識が戻りましたが、目の前は真っ黒で何も見えませんでした。医師の話によりますと、私の眼球は黒い部分(瞳孔)が内側に、そして白い部分が外側になっていたらしく、眼球全体が180度回転をしたと伝えられました。医師は、眼球矯正の手術ができるのは少なくとも三ヶ月後だと言いました。また視力の回復はほとんど不可能だと言われました。医師は私の右まぶたの下部の傷を洗って縫合したが、右足の臀部に出来た筋肉の塊はどうすることもできなかった。
私は意識が戻ってからすぐに、自分が修練者であることを自覚しました。そして炭鉱の管理者および医師に対して、「私は修練者です。法輪大法を修練しています。大丈夫です。師父が保護してくれるのです。」と言って、退院することを要求しました。しかし炭鉱の管理者および医師は状態の悪化を恐れて、私の退院を認めませんでした。それから私は彼らを熱心に説得しました。炭鉱管理者はやむを得ず私が炭鉱で休養することに同意する署名をしました。炭鉱に戻った私は、失明したため、他人の邪魔になると思い、炭鉱の管理者に帰宅の旅費だけを支給して自宅で休養するように求めました。炭鉱管理者は感激しながら心配していました。感激したのは法輪功を修練する人は他人のことを配慮していることで、心配しているのは私の状態の悪化です。また私の再三の懇願の後、炭鉱の管理者は私に100元を借りて(炭鉱の管理者も負債している)車で私を自宅までに送ってくれました。
家に帰った後、私は妻に毎日法を聞いて学ぶため、師父の説法のテープを準備するように求めました。家の畑仕事はすべて妻一人にゆだねられ、その上私の面倒をもみなければなりませんでした。私はそれを忍びなく思い、妻に畑仕事をする前にテープとテープレコーダーを準備してくれるように頼みました。このように、私は毎日師父の説法を聞いていました。師父の説法を聞き始めて七日目の日、妻が畑から戻って来た時、私は喜びながら妻に自分の目の前にかすかな光が見えると言いました。妻は私の目に近づいて見ていました。そして本来ならすべてが眼球の白い部分しかないところに、眼球の瞳孔の周辺部分が見えるようになりました。それから二、三日が経った時のことです、私が師父の説法を聞いていると、突然二つの眼球が“ぐるっ”と同時に回転し、——私は再び目の前のものがすべて見えるようになりました。私の目は再び光を取り戻しました!目は完全に元のように治りました!…師父よ!このとき、弟子である私は人間の最も美しい言葉をどんなに使っても、師父へのこの上ない恩に感ずるこの気持ちを伝えることはできませんでした。私はすぐに泣き出しました……。
この時、私は突然はっと:私はただ法を聞くだけではいけない、功法も修練しなければならないと悟りました。この時は右の足はまだ高く腫れていて、曲げることも困難でしたが、それでも私は煉功する決心をしました。煉功を始めると前の四つの動功はまだなんとかして我慢することができましたが、第五の功法(静功)になると非常に難しくなりました。私は師父が『転法輪』の中で「五通りの功法を一度に習得して、全部覚えなければなりません」と仰った言葉を思い出した。前の四通りの功法だけをやったのでは一度に習得することにはなりません。そこで私は第五の功法(静功)を始めました。まず右足を曲げましたが、右足を曲げることは本当に難しく、あまりにも痛い!それでも私は今日どうしてもこの右足を曲げなければならないと決心したのです。私は歯を食いしばり、激痛に耐えて、何とかして右足を上げることができました…。しかし骨身にしみるほどの痛みが走りました。その瞬間、汗が滝のように流れ、全身に痛みが走った。私は心の中で「忍び難きは忍びうる、行い難きは行いうる」という師父の説法を暗唱しました。そして自分に対して「足を曲げて座禅することができたならば、この一時間の静功はやらなければならない!」と言い聞かせました。こうして一時間の静功を修練し終える頃、パンツがすべて汗でずぶぬれになっていました。修練し終えてから、私は無意識のうちに右臀部の“マントー”に触ろうとしましたが、見つかりませんでした。そこでもう一度探してみましたが、どこにもありません。消えました!どっかに消えたのです!このとき、涙と汗に濡れながら、複雑な感情が徐徐に浮かび上がってきたのです。心の中で師父に対して「師父よ、弟子は必ず大法の自分の身に起きた奇跡を通して大法を実証するのです!」と言いました。
聞いてみると人に不思議と感じさせる神話のような物語ですが、これは実在した大法の奇跡なのです!
事故から私の身体が完全に回復するまで、せいぜい半月しか経っていませんでした。体も以前の健康な状態に戻りました。視力は正常、まぶたの下部にある縫合部の痕も消え、右足臀部の筋肉の塊も消え、右足の腫れていた病状もすべて消えました。
体が回復してから、私はすぐに炭鉱に戻りました。炭鉱の管理者および私の情況を知る人はみな大変驚きました。大声で私の名前を呼びながら「あなたは本当に治ったのですか?」と聞きました。炭鉱の管理者はまだ信じられないようで「それでは、私の前でしっかり歩いてみでください。」と言いました。私はごく自然に炭鉱の管理者の前を行ったり来たりして見せました。以前の私とは全く同じでした。そこで私は笑って「私は法輪功を修練する人はみな師父による御加護があると言ったじゃありませんか?ほら見てください、どうでしょうか?」と言いました。炭鉱の管理者は目を大きく見開いて、暫く経ってから初めてわかったように、親指を立てて「法輪大法は素晴らしい!あなたたちの師父は本当に素晴らしい!」と言いました。私の奇跡的な経過が人から人へと広がり、すぐに炭鉱で働く人々とその親友、家族に広がりました。みなは心から:法輪大法は素晴らしい!と言いました。
体が回復して、初日の仕事が終わった時のことです。私は同僚たちと一緒に風呂から上がって、寮で休憩しました。その時私は『転法輪』を持ち出して読み始めました。するとこれを見たある人が「あなたって本当に利己的だなあ、自分だけで読まないで、声を出してみんなにも聞かして上げなさいよ」と言いました。私はすぐ大声でみんなと一緒に法を学び始めました。それ以降、仕事を終えて、私が本を持ち出すと、いつも声をだして、みんなが一緒に学ぶようになりました。用事のため自宅に帰るときでも、みんなは私が本を持ち帰ることを許さないので、本をそこに残しました。なぜならみんなはまたいつものように学ばなければいけないからです。
その後、この炭鉱は生産を停止されたので、私は仕事を失ったが、すぐに他の炭鉱が見つかりました。私はまた自分の経験したことを炭鉱のすべての人々に伝えました。そして私はいつも水のいっぱい入っている水筒を携帯して立て坑に入りますが、自分は一口をも飲まないで、一緒にいる同僚たちに飲ましてあげました。みんなが再び、「法輪大法は素晴らしい」と知りました。
数年来、私は各種の方法を通して大法を実証してきました。付近の村民は私が大法を修練していて、私の身体に奇跡が起きたこと、そして大法を修練する人はみな良い人だと言う事を知りました。村民たちはみな親切に私を“法輪功”と呼ぶようになりました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/25/84926.html) |