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7年間半身不随だった劉文俊さんが立ち上がれるようになり 経験した迫害を述べる

 文/黒竜江省大法弟子

 【明慧ネット2004年9月2日】黒竜江省で、劉文俊さんの名前を出すと、多くの人は彼女をよく知っていた。ごく普通の農村の女性であるが、彼女の境遇や彼女の身に現れた奇跡によって、たくさんの縁のある人々が法輪大法の修煉を始めるようになった。しかし、法輪大法が弾圧された後、劉文俊さんは自分の修煉の経歴を述べたため、不法な人員に何度も迫害を加えられた。

 一、大法を修煉する道に入り、7年間半身不随だった劉文俊さんが立ち上がった

 劉文俊さんの家は四人家族で、夫は村の小学校の教師で、二人の子供がいた。文俊さんの勤労と夫の収入で、豊かではないが、なんとか一家の生活を維持することができた。しかし災いは意外な時にやってくるもので、ある年、彼女は突然骨結核に罹り、病院で手術することになり、家の中のすべての貯金を使い果たした。手術の後、引き続き治療するお金がなかったので、ほどなく半身不随になり、ベッドに寝たきりの生活は7年も続いた。この7年間、夫が授業をして家族を養い、二人の10歳に満たない子供たちが文俊さんの世話をすることになった。夏になると、蚊・蝿が家中をむやみに飛びまわり、文俊さんの身体の床擦れになった部位にはウジムシも湧いてきて、その家庭のひどい環境は想像するとお分かりでしょう。

 95年のある春の日、二人の子供は気分転換のため、お母さんを連れて近くの山へ行こうと相談した。それで、小さな手押し車を借りてきて、劉文俊さんを車の上に乗せ、山の上に上っていた。無邪気な子供たちはお母さんを芝生に置いて、イナゴを掴むなどの遊びに行った。文俊さんは広大な空を眺めて、盛んな活気の万物を眺めていた。彼女はなぜ自分の運命がそんなに悪いのかを分からず、「神様、どこにいるの、もし本当に存在するならば、私を救ってください」と空に向かって叫んで、泣きぬれた。

 劉文俊さんと子供たちが家に帰る途中、一人のおばあさんに会った。お婆さんは「病気がひどいですね、法輪功をやってみて、何でも分かるから」と言いながら、1冊の《転法輪》を文俊さんにあげた。家に帰った後、文俊さんは《転法輪》を開き、読み始めた。読めば読むほど手放すことができず、本の中の奥深い哲理に感動させられた。この本を読むことは幸せで、幸運だと思った。最初、文俊さんはベッドに横たわって読んでいたが、その後、自分で座って読むことができ、また知らないうちに立つことができた。子供たちは病床で数年も過ごしたお母さんが立ち上がったのを見て、嬉しくて街へ飛び出し「お母さんの病気が直った、お母さんの病気が直ったよ!」と叫んだ。またおばあさん、叔母さんの家にもこの喜ばしいことを知らせた。

 劉文俊さんが立ち上がったというニュースはすぐ村中にあまねく伝わって、連日、家の籬の外は人々でぎっしり詰まり、同じ村の人もいれば、隣の村の人もいた。文俊さんはニワトリにえさをやりながら、自分を見にきた人々と話をした。自分を救ったのは《転法輪》という本で、李先生が教える法輪大法は、人々に良い人になるよう性命双修の功法を教えている。もし本に従い、良い人になろうとすれば、どんな病気でも直ってしまうと述べた。確固たる事実のため、人々はどうしても信じざるをえなかった。

 その後しばらくの間、劉文俊さんの法輪功を学んで半身不随が完全に直ったという奇跡は、多くの家庭で食後の話題となった。

 二、奇跡は多くの縁のある人を法輪功修煉の道へと導いた

劉文俊さんは毎日本を読んで暗記し、またそのおばあさんから法輪功の5式の功法を習い、本当の法輪功修煉者になった。彼女の影響で、法輪大法の修煉を始める人が毎日いた。

 ある日劉文俊さんは「学校へ法輪功を教えに行きたい」と夫に言った。最初、夫は学校から許可されるだろうか?と思っていたが、文俊さんが学校の先生や生徒の前に現れた時、学校はすぐに湧き立った。彼らは劉文俊さんが半身不随だったことを知っていて、突然元気いっぱいになり、健康で正常な人になったことはどうも想像できなかったようだ。

 劉文俊さんの提案で、学校の先生や生徒は体育の授業時間に、彼女から法輪功の動作を習った。当時文俊さんに教わり、法輪功を勉強する教師と生徒は400数人にもなった。

 三、自らの経験を以って大法を実証し、何度も迫害を受けた

 1999年7月20日、法輪大法は中国で誹謗中傷され、さらに無実の罪を押し付けられた。真理が踏みつけられ、師父が誣告され罪に陥れられるのを見て、劉文俊さんは3回も北京へ陳情に行った。自分の経歴で、中央指導者と関連部署へ法輪功に関する真相説明を行い、政府に法輪大法への弾圧と修煉者への迫害を停止するように求めた。最初の2回の陳情で、殴られ、拘禁され、6000元の罰金を取られたが、文俊さんは自分のどこが間違っていたのか分からなかった。

 釈放された後、さらに60数人の同郷の人が自発的に劉文俊さんと一緒に北京へ陳情しに行きたいと申し出た。出発したとたん、県長などに捕まえられ、故郷に返された。今回彼らは劉文俊を非常に恨み、県長は「私より呼びかける力があるね、すぐに60数人があなたについていってしまった。まさかあなたが県長になりたいのではないのか」と言った。

 その後、警察が電撃棒で電撃ショックを加えたり、殴ったり蹴ったりするなど残酷な拷問により、劉文俊さんは首が歪んできて、歯が何本と打ち落とされ、7時間以上も気絶した。目が覚めた後、不法に拘禁され、そのあとまた労働教養所に移された。

 労働教養所では、凶悪な警察が強制労働、強制洗脳などの方法を使い、法輪大法の修煉を放棄するよう強要した。劉文俊さんは自分の経験を警察に話したが、警察はまったく聞き入れてくれず、また文俊さんの服に隠し持っていた一冊のミニ《転法輪》を没収した。文俊さんは泣きながら、自分の生命を救った本を返してくれるよう彼らに懇願した。しかし、警察は返さない上、文俊さんをごく小さい個室に監禁し、誰彼かまわず夜も昼もでたらめなもの、うそを文俊さんに植え付けようとした。警察は「反省書を書けば、本を返してあげるよ」と言った。ある日、文俊さんは苦しめられ、ボウとして、「反省書」を書いてしまった。翌朝、目が覚め、自分は間違っていたと分かり、すぐ警察にその「反省書」をもらって破棄を声明した。それで文俊さんはまた不法に殴られ、侮辱を嘗めさせられた。

 今度の教訓があまりにも大きく、彼女は頭が更に聡明になり、修煉の厳粛さを深く認識した。内に向かって問題の原因を探し、すぐに自らを奮い起こして、正々堂々と大法弟子がするべき事をしっかりと行い、堅固に修煉することを決心した。




(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/2/83188.html