日本明慧


肉体の死亡よりも更に苦しい精神死亡

 

 【明慧ネット2004年9月21日】江氏集団は過去5年間法輪功に対する迫害の中で、古今東西で最も悪辣な、最も卑劣な、最も人間性がない手段を使って法輪功学習者に対して残酷な迫害を行ってきました。固い信仰を持って世人に真相を伝える多くの法輪功学習者は労動教養所、刑務所、或は人身の自由を剥奪した“教育センター”、精神病院に入れられて迫害されてきました。迫害に使用されている残酷な体罰手段は想像を絶するものでした。けれども、残酷な体罰の目的は思想の“転化”のためだけでした。迫害されている法輪功学習者は肉体の死亡か精神の死亡かの二者択一を迫られていました。

 先般、軍需大学の楊貴遠博士は広州市第一労動教養所で迫害された経験を発表しました。この文章を読んで、私の心が強く震撼されました。当時、私は彼と一緒に法輪功学習者の強制転化を専門の任務としている広州市第一労動教養所の二大隊にいました。数年間法輪大法を修煉して、法輪大法から深く受益し、人生の道理と宇宙の真理を分かった学習者の一人として、私は法輪功が×教ではないことや、法輪大法の素晴らしさをよく分かっており、かつて、自分の生命を奪われることがあっても、真理を堅持し、決して邪悪に屈服してはいけないと思っていました。 

 “生死は口で大げさに話すことではなく、できるかどうか肝心の時に本音が現れる。”(師父の経文《心自明》)一年あまりの弾圧のもとで苦しい労働教養所の生活に耐えた末に、広州市第一労動教養所は残酷な体罰(楊貴遠博士が書いたように独房で長時間、縛り付けるなどの方法で)を利用して強制転化政策の実施を始めようとしました。私はこの残酷な体罰から逃れるために、早く自由を得ようと、自己意識に反して邪悪に転化しました。 

 このことに関して、私を知っている学習者は皆驚きました。労働教養所の苦しくて邪悪な環境の下で、私たちは一緒に様々な魔難を耐えてきました;すれ違った瞬間に、学習者の間に目線が合えば、互いに固い信念と励ましの力を伝えることができました。最後まで大法を修煉し続けることを誓いました。しかし、今の私は“転化”しました。信念が固い大法弟子は他人の“転化”により動揺することがありませんが、私の“転化”により自分が引き受けるべき苦難を他の信念の固い大法弟子に肩代わりさせてしまうことになり、法を守るべき自分の責任を他人に回してしまったことになりました。これは裏切りの行為に違いありません。これは大法と自分の誓いに対する裏切りで、自分の良心に対する裏切りです。正義と邪悪の間で、私は後者を選びました。裏切りの結果は、心の安らかさを永遠に失い、真善忍に対する憧れが薄くなりました。“転化”した後、私は心の中に安らぎを感じたことがなく、大法に溶け込んでいるときの充実感が二度と現れたことはありませんでした。それはたとえ身体の自由を得た今日も同じです。

 楊貴遠博士たちが拷問されている間に、私も同じところに監禁されていました。一人また一人の学習者が独房に連れて行かれて体罰を受けている事実を見ている私は、立ち上がって反対する勇気がありませんでした。体罰を実施することは一般の犯人に対しても違法の行為なのに、ましてまったく法を犯していない無実の我々に対して行うなんで・・・。警察は表は偽善の顔をして学習者と民衆を騙し、裏側では悪魔のように法輪功学習者に迫害を加えています。それなのに、私はまた労働教養所の新年会で警察を賛美する番組に出演し、邪悪を粉飾して彼らの罪悪を隠すことに加担しました。正義感がある人なら、誰でもこれがいうまでもなく間違っていることだと知っていますが、その邪悪な環境下で、立ち上がって反抗すれば、待っているのがより残酷な体罰であることも分かっています。警察の言う通りにしなければ、大法を批判しなければ、“転化が不完全だ”、“しっぽが残っている”と言われれば、待っているのが同じ残酷な体罰です。それで、一旦“転化”を選択したら、すなわち精神と肉体の間で精神の死亡を選択したことを意味しています。そうすると、正義感を持って行動することができなくなり、恐怖に支配されてやりたくないこともやってしまい、結果的に邪悪を助けて衆生を迫害することになります。

 “真、善、忍”の信仰が、人間の心底からの最も純真な憧れであることを知りながら、労働教養所から出た後、私は長い間、残酷な迫害の陰影に左右されて、私生活を放縦していました。江沢民集団の統治下の中国では、猥褻なもの、暴力、賭博、詐欺、欺瞞などの悪いものが溢れています。これらの腐敗堕落のことがむしろ“正当化”されて、これらのことに近づいても迫害をもたらす事はありませんが、法輪功に近づけば、修煉者にしろ、同情者にしろ、真実のことを語れば、すべての国家権力を利用する迫害を招くことになります。これは今まで想像もできないことでした。“真、善、忍”の法理に従って自分を厳しく律することができれば、いくら汚れた環境であっても、汚染されることはありえませんが、私は“転化”した後、修煉した時のように“真、善、忍”に対する固い信念を持たなくなったので、悪いことを知りながらやってしまいました。悪行により残酷な体罰を受けることはありませんが、それは私を堕落させ、地獄に引き摺り下ろされました。これこそ、江氏集団が法輪功を迫害し、修煉者の信仰を転化させる本当の目的です。

 私は益々増えている汚い考え方に不安を感じてきました。私は堕落したくない!私は良い人になりたい、純粋な心を持つ人になりたい!だが、江氏集団が統制している中国では、堕落している人に誰も構いませんが、“真、善、忍”を目指して修煉するなら、想像できない残酷な迫害を招くことになりかねません。

 毎回立ち直ろうと、一人の正直な、善良、純朴な人になろうと思うと、頭の中の汚い考え方が私を責めてきます。:“よく自分を見てみなさい!うそを付いたり、猥褻なものを見たり、邪悪に屈服したりして、君はすでに堕落しており、「真、善、忍」の純粋な状態に戻るのは無理だ!”この声を聞いたら、また勇気を失ってしまいます。私はずっと迷い、思考して・・・。

 “真、善、忍”が人間社会になくてはなりません。中国には要らないのですか?中国は要ります!世界には要らないのですか?世界にも要ります!同じ世界に生活しているあなたは、たとえ法輪功を修煉しなくても“真、善、忍”が要らないのですか?あなたも当然要ります!邪悪なものは信じないかもしれませんが、彼らの暴力が修煉者の生命を奪うことができますが、大法弟子の心に溶け込んだ“真、善、忍”の精神を消すことはできません。江氏集団は法輪功を弾圧、迫害するために手段を使い尽くして、国家財政の4分の1の金を掛けても、5年間経った今、法輪功は依然としてそびえ立っています。残酷な迫害を経験し、恐怖を経験した私は、邪悪な迫害の前に屈服し堕落しましたが、しかし心の中に“真、善、忍”に対する憧れが消えていません。私はかつて意志が弱い者だったかもしれませんが、宇宙の大法——法輪大法は依然として私を加護して、私のために至真、至善の空間を切り開いて家に戻る道を敷いてくれました。私はついに勇気を取り戻して再び“真、善、忍”を修煉する道に戻りました。 

 私達は一緒に江氏集団の迫害を暴露させましょう、それは善良を救うためです;私達と一緒に江氏集団の迫害を認識しましょう、それは私達自身を救うためです!

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/9/21/84652.html