王徳福くんの母張海燕さんが迫害されて死亡した経過(写真)
文/遼寧省大法弟子
【明慧ネット2004年10月7日】
張海燕
王徳福くんの母の名前:張海燕
年齢:34歳
職業:農民
アドレス:遼寧省黒山県胡家鎮東興村(元は西尤村)王家自然屯
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張海燕さん |
張海燕さんは1996年から法輪功を修練し始めた。修練してから間もなく400度の視力(近視)および曲がっている右足も正常に回復し、心身ともに大いに受益した。1999年の全土にわたる邪悪な弾圧が始まり、彼女は邪悪に脅されることなく、修練を続けた。2001年9月中旬に、彼女は公民の合法的な権利を行使し、法に依って北京へ陳情にいったが、北京の警察による不法な逮捕にあい、胡家鎮派出所および地元の幹部に連行され地元に戻り、地元の派出所で殴打された。その後に黒山看守所に監禁され、二ヶ月後にまた馬三家労働教養所に送られ不法に2年の労働教養に処せられた。
内情を知っている者の話しによると、労働教養期間中に張海燕さんが修練を放棄しないため、滅多打ちにされ、吊られて紐に縛られるなどの酷刑による虐待を受けていた。悪徳な警察は彼女に結跏趺坐をさせ、手錠を両手にかけてから長時間にわたって動けないようにした。また紐で縛ってから吊り上げて殴るなどの方法で、彼女に修練を放棄するように強要した。二年間にわたる非人道的な虐待の後、彼女は心身ともに大きなダメージを受け、精神は崩壊寸前に達していた。2003年2月に、家族の者が彼女を見舞いに行くと、頭は包帯に巻かれて、手は酷く腫れていた。それに家族との会話は許されなかった。このようになったにも関わらず、彼女を釈放しようとしなかった。その一ヵ月後(2003年3月21日)に、労働教養所は家族に迎えに来るように通知した。このときの張海燕さんはすでに精神錯乱状態に陥り、生活における自己管理ができなくなっていた。にもかかわらず、馬三家労働教養所は家族の者に「彼女に一ヶ月だけの休暇をやる。一ヵ月後に俺たちが向かえに行くぞ」と言った。こうして家族が彼女を家に連れて帰った。後から、彼女の頭上に三箇所のおよそ十数センチの非常に深い傷跡があることに気づいた。
一ヶ月後に地元の派出所が張海燕さんの情況を見に行くと、彼女が依然として精神錯乱状態にあるのをみて、初めて戻させるのを止めた。
馬三家労働教養所の不法に働く輩どもが、張海燕さんの肉体に大きな傷害を与えたことに留まらず、また彼女の心に更に重い傷を負わせた。帰ってきた10ヶ月のうち、彼女は人と話をすることを恐れ、ひいては自分の夫、子供とも話をしたことはなかった。家族は大きな声で彼女と話をすることができず、たとえ子供が彼女の横で大きな声で話すだけで、彼女はすぐに全身が震え、顔色を変えるほど怖がるようになった。彼女はこのような極度の苦痛および恐怖の中で、2004年1月18日(師走二十七)に、冤罪の晴れないままこの世を去った。
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2004/10/7/85994.html)
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