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北京団河労働教養所で彭光俊が死に至るまで虐待されたときの詳細な状況

 文/中国大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年10月3日】大法弟子の彭光俊さんは、北京市懐柔に住んでいた。2004年正月15日、北京市労働教養局人事派遣所から来た不法な人たちによって、彼は北京市団河労働教養所三大隊に連行された。当時の大隊長は残虐かつ偽善的な大法弟子への迫害により、全国で悪名を轟かせる趙江だった。迫害の功績によって趙江は「司法部2級労働模範」に評価された。また「人民大会堂」で発言したことがあり、羅幹や賈慶林など不法行為の先駆者の接見を受けたことがある。

 2004年1月22日(旧正月)、団河労働教養所の全ての再教育対象者が国旗掲揚をしていたとき、大法弟子の彭光俊は皆の前で「法輪大法は素晴らしい」と大きい声で叫んだ。悪人は恥をかかされために怒り出して、どっと押し寄せ、彭光俊さんの口を覆い、彼を引きずり出して、集中訓練隊で暴力を加えた。その時の隊長は張保利だった。そして団河労働教養所で最悪の人間——団河の四大悪人のトップ、劉金彪が集中訓練隊での彭光俊迫害の責任者だ。

 上部からの指示によって集中訓練隊は3日間以内に彭光俊を「転化」しなければいけないと要求した。高圧と刑期を減らす条件の誘惑で、普通労働教養の犯人は隊長に3日間、彭光俊を転化することを約束した。

 劉金彪は元集中訓練隊隊長だ。彼に迫害された大法弟子の数人が障害者になったため、学習者の家族に通告され、今小隊長に降格された。張保利は普通労働教養七隊の前副隊長だ。発狂して一人の普通に労働教養されている人を電気棒で電撃し、これによって被害者はペンを飲み込んで自殺した。このため、その人の家族が労働教養局に通告したために降格された。張が普通労働教養四隊の小隊長になって一年半に経った。その後、団河労働教養所は酷く法輪功学習者を迫害したため、彼は新安女子教養所の所長李静によって、急遽集中訓練隊隊長に抜擢された。張保利は隊長になって李静に「厚遇の恩」を感じ、力を惜しまず、手を尽くして大法弟子を迫害した。大法弟子の張久海さん、銭世光さん、李旭鵬さん、薛福春さんなどは、全て張保利による残酷な虐待を受けた。年配の銭世光さんは石油大学を卒業し、建国初期の地質専門家です。彼は集中訓練隊で首の骨が折れるまでの迫害を受けた。彭光俊さんはその後、暴力殴打を受け、徹夜で電撃され、4日間経たずに虐殺された。病院への搬送途中、既に死亡していた。北京市労働教養局はその夜、緊急会議を開き、「事後適切処理」を行った。このことを知る全ての警官は秘密を守るよう命令を受けた、彭光俊さんは「心臓発作により死亡した」と公表された。

 しかし事件発生から2日後、『明慧ネット』には、この迫害死事件が報道された。北京市労働教養局の上層部が烈火のごとく怒り、局内外で事情を知る全ての警官に対して厳重な「政治審査」を行った。この「国家機密」を漏らした「スパイと内敵」を発見しようと躍起になって画策した。

 その後、不法な者が彭光俊さんの家族に対して最大限度に欺き、脅迫した。ある日、労働教養局の指導者が同僚に「結局、(彭光俊さんの家族は)農民だから、文化的ではないし、愚かで、明晰でもない。誤魔化しておけばいい。彭光俊のことも、たかだか3万元程度のものだ。この前の「普通労働教養者」自分で障害をもたらしたこと30万元払ってようやく片付いたよ(法輪功学習者、魯長軍さんが洗面用器具に押し込まれ、さらにベッドの下に入れられ、ベッドの上で4人が飛び跳ねたために魯長軍さんの首の骨が折れ、全身不随になったことを指している)」ととても嬉しそうに言った。

 更に世間を欺き内幕を隠すため、労働教養局は、老年者を敬愛する「健康診断」を行った、更に外に対して宣伝を行い、同時に「彭光俊さんが虐殺された秘密」を暴露した者の内部調査を続けた。調査は真相を知らされていない警官、普通労働教養者、不法に監禁されている大法弟子達も対象となった。しかし結局何も得られていなかった。

 ここで我々は、今だに大法弟子を迫害し、計画的な虐殺を行っている最低の人たちに対して忠告する。「天に目があり、善悪には報いがあります。つまり人間には正義と良知があり、それはいつかあなた方を歴史の法廷へと送っていくことになるということです。現在、多くの公安局職員、司法警官が目覚め、良心に背いて悪事を行いたいと思わなくなり、江沢民を助けて残虐なことをしたいと思わなくなっています。彼らがあなた方の一切の悪行を実際に目撃しているので、その人間が正義の立場に立ったとき、彼らはあなた方の罪状を証言する最初の証人となるはずです。断崖に立たされたときはすぐにそこから離れることこそ、自分の生命の自分の未来に責任を持つことのできるただ一つの路なのです。





(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/3/85652.html