チューリップの花が咲き、大法真相が伝わる(写真)
文/シドニー大法弟子
【明慧ネット2004年9月28日】シドニー市から110キロメートルのBowralという町はオーストラリアで有名なチューリップを栽培する地方だ。1958年から毎年チューリップフェスティバルを催す (Bowral Tulip Time Horticultural Expo)。Bowralチューリップフェスティバルはチューリップを観賞するだけではなく、多種の文化、文芸の活動をも含んでいる。毎年オーストラリア現地の遊覧客だけではなく、海外から特に急いできてチューリップを観賞して行く旅行客もいる。
Bowralは新南ウェールズ南部の丘陵地帯に位置して、この静寂で美しい小さな町に7名の法輪功学習者(西洋人)がいる、3年余彼らはずっと堅持してこの公園の中で煉功している。今年、法輪功学習者は今度のチューリップフェスティバルに参加するように特別に招請された。
2004年9月25日土曜日の朝シドニー地区の学習者は四方八方から運転してここに来て、パレードに参加し、宣伝用の台を作って、人々に洪法し、真相を伝えた。
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宣伝台で功法を演じ |
宣伝台で功法を演じ |
真相が分かった民衆が署名して法輪功を支持する |
過去、現地の西洋人学習者はいつも区の連邦議員Mr. Alby Schultzに真相を伝えるために彼にメールを送っていたが、何の返答も受け取ることはなかった。パレードの始まる前に、多くの車がすべてパレード会場方向に運転していくため、交通をたまに塞いだ。この時、議員が乗っていた車はちょうど法輪功学習者の宣伝台の前で止まったので、議員は黄色の服を着た学習者達が功法を演じる姿を観覧することになった。。ゆるやかな動作、静かな煉功音楽と学習者達の柔和な表情に、議員は法輪功に対して感性の認識をもった。
議員がパレードの起点に到着した後に、西洋人の学習者が急いで彼に真相をはっきりと説明して、彼に中国での迫害情況以外にも、現地と関係があるいくつかの事を話した。何週間か前に、安徽蕪湖市の10数人の官吏はここを訪問したが、現地の住民は少しも事情を知らなかった。彼らが帰った後に、現地の新聞はやっと関連する報道を発表した。西洋人の学習者はすぐ蕪湖市法輪功学習者の迫害状況を市長に知らせた。例えば:2001年1月18日夜12時、蕪湖各公安支局、派出所の警察は法輪功学習者の家に突入して、強行に学習者を連行したことで、その名は“全国的に有名になった”という。蕪湖の法輪功学習者の袁さんはインターネットを利用することに疑いを持たれたため、公安に不法に逮捕されて、蕪湖市留置場に不法に拘禁された。蕪湖市鏡湖公安支局の政保科の凶悪な警察の厳彦(女性課長)は自ら一群の凶悪な警察を連れて法輪功学習者の家まで行って、家財を没収し、捕まえ、偽善的なペテンで大法弟子を騙した。市長はこのことを知った後に大変驚き、直ちにこの学習者に電話して言った。「私は本当に少しもこれらのことを知らなかった!私に教えてくれて、ありがとう、今後も更に蕪湖市の何かニュースがあったら、私に知らせて下さい!お願いします」
議員もこの情況を聞いて、びっくりしていた。彼は学習者に教えました。自分は今日のパレードの審査委員だと。
パレードが始まった。「法輪大法はすばらしい」の横断幕が在り、腰太鼓チームの雄姿は道側の観衆を揺り動かして、仙女の装う女性の学習者達のしなやかで美しい舞う姿と唐服の出演はひとしきりの拍手を博した。更にかわいいのは花車の上の小弟子、彼女たちはみな花仙人みたいに、愉快に途切れなく両側の観衆に向って手を振って挨拶し、観衆ととてもよい対話を形成しており、度々人々は「lovely!」(とてもかわいい)と声をかけた。現地の新聞記者が私達の隊列が到着する前に、まず宣伝台の写真を撮影して、そして学習者に言いました。:半時間以降にすぐ帰ってきて更に注意深く撮る。
行進が終わった後に、評定結果は直ちに公布された。法輪功の隊列は良好な称賛を獲得して、第一位を勝ち取った。多くの観衆は宣伝台にきて、より多くの法輪功の詳しい情況を理解した。現地の住民は現地の煉功点はどこにあるかを尋ねた。記者も再度宣伝台の前に来て、更に多くのシーンを撮影した。学習者達は一対一でまたは、一対二で通行人と対話し、ある学習者は法輪功はこの5年間迫害に直面していることを講じた。暴力なしで抗争し、全く屈服することなく、逆にはっきりと真相を説明しており、多くの迫害に参与していた人は次第に理解しもう参与しなくなってきている。この平和な理性で自分の権利を守っているのは中国の歴史の上で初めてである。この真相を聞いた西洋人は言った。:あなたが言うことは本当にすばらしい!
午後、法輪功学習者はまた唐服の出演、舞踊、四人の楽器の合奏と歌の公演を行った。公演の曲はすべて西洋人学習者が自分で創作したもので、しなやかで美しい音楽は周囲の空気をすべてやさしく包み、通行人は次から次へと足を止めてじっと聞き入り、この音楽の中で宇宙の静謐さと完璧な自然を感じ取り、そして演奏者は内心の笑顔からこの生命が宇宙の特性に同化した後のめでたさを感じ取った。ある観衆は長い間そこに立って、集中して学習者の出演を見て、演奏者と一緒に、解け合い音楽の中に入ったようだった。一曲演奏が終わった後、彼は依然としてその中でいつまでも余韻に浸っており、その眼光は長い間学習者の身に残った。
生命はもとはこのような調和であるべきで、人類は本来このように穏やかな気持ちを持つべきだ。この迫害がすぎたあと、幸運にも真相が分かった人々は、今日を振り返って、納得するほほえみを出すことができるでしょう。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/9/28/85252.html)
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