日本明慧


部隊では大量の資金を投入して法輪功修煉者を迫害している

 【明慧ネット2004年9月30日】私は部隊で文官の職を勤めた幹部です。1996年から法輪大法を修煉し始めました。当時、同じ勤務先の戦友の一人が糖尿病を患っていましたが、法輪大法を修煉することで治り、私たちもみな修煉してから “真、善、忍”に照らして自分を律したため、勤務先の同僚は法輪大法に対してとても良い印象を持っていました。

 1999年4月25日、天津での法輪功修煉者に対する逮捕、及び何祚シュウが法輪功を中傷する文章を書いたため、私は中南海に陳情に行きました。翌日、政治委員が私と話し合いをしました。私は彼に真相を説明し、また法輪大法は人を善に向かわせると教え、良い人になる理を教えると話しました。しかし、彼は圧力の下で、勤務先の法輪功修煉者、ただ何回か法輪功の書籍を読んだだけの人、さらに、ただ動作を学んだけれどまだ修煉していない人も含めて全員本部に報告しました。また上部からの命令に従い、私たちに修煉を放棄すると態度で表すよう説得しました。私はきっぱり断りました。

 7月20日、各地で大勢の法輪功修煉者が逮捕されたため、私は陳情に行きました。天安門から遠くないところで公安に捕まり、バスに乗せられました。バスは、陳情にきた大法弟子でいっぱいでした。石景山グラウンドに送られました。そこには陳情に来た、1万人を超える大法弟子が拘束されていました。夜になると、私は郊外のバーに閉じ込められましたが、その中には数名の大法弟子がいました。翌日の朝、勤務先の政治処の人に迎えられました。帰ってから禁足室に入れられ、昼夜24時間、監視されました。私は、法輪大法は人を善に向かわせると教え、良い人になる理を教えると、法輪大法を信じるのは私の自由で、陳情は私に与えられた合法的な権利だと繰り返して説明しました。私は2週間後、開放されました。

 法輪功に対する国家の迫害がますますエスカレートしたため、10月に、私は再び陳情に行きました。しかし陳情事務室は既に「人を捕える事務室」となっていて、法輪功の陳情に行った人は全員捕まえられ、当地の警察が連れて帰りました。私は勤務先に連れて行かれ部隊に帰ると、再び禁足室に閉じこめられました。全軍で、一つの特別案件の組を成立し、総政治部の副主任于永波が組長を担当し、もっぱら全軍の教育部隊の法輪功修煉者を迫害する責任を担いました。また、部隊の上から下まで各級指導者に処分を与えるなどの手段で、各級指導者に、無理やりに部隊の法輪功修煉者を強制的に拘禁し、洗脳クラスを開いて強制的に転化するようにさせました。

 私が陳情することを恐れて、また勤務先の同僚が法輪功の真相を知っていたため、勤務先の指導者は、「私が陳情事務室に陳情に行き、そこを離れようとせず、陳情事務室の正常な仕事を妨害したため、捕まった。」とデマを流しました。私は勤務先から遠くはなれた部隊に拘禁され、24時間昼夜とも監視され、毎日4、5人が私の転化作業を行い、強制的に私に法輪功を中傷する文章を聞かせ、また私に党籍、軍籍を除籍すると脅かしました。

 部隊は私の両親が年を取っているにも関わらず、何回も故郷から呼び出し、武装警察の一人が法輪功の修煉を堅持したため、精神病院に送られたと話し、両親を脅して、私に修煉を放棄するように説得させようとしました。私の両親と家族は精神的に深く傷つけられました。

 部隊は大量の資金を投入して、私の転化作業をしている人に使わせました。毎週末になると、部長は、一群の人を連れてきて私の説得作業をするという名目で、休日を過ごしました。いつも山海珍味を食べ、国家のお金を浪費しました。半年後、部隊の指導者は上級の支持に従い、私に復員申請を書くように伝えました。私が命令に従わないと、部隊は強制的に私の復員を按配すると言いました。私が部隊を離れる前に、政治委員は7人の党支部会を開き、私の党籍を除名すると宣言しました。同僚が反対することを恐れて(私は勤務先でずっと真面目に働き、何回も模範と選ばれました)、この会議は極秘と称され、私の党籍を除名したことを漏らす人に対しては、軍法に従い処罰すると伝えました。

 この間、江××は、部隊と公安、検察院、裁判所などの部門で多数の法輪功修煉者を不法に除名することを強制しました。法輪功修煉者の正常な生活を妨害するために、部隊の
指導者はわざわざ地方に行って、不法に除名された法輪功修煉者に仕事を斡旋しないように告げました。部隊の軍事学校に通う大学院生がいて博士試験に合格しましたが、法輪功を修煉したため、部隊は、彼が、博士の勉強を辞める申請書を書くように命令しました。





(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/30/85395.html