難に正念を向け 師は我を見守る
文/河南省項城市大法弟子 宇明
【明慧ネット2004年9月27日】2003年11月25日の22時を過ぎる頃、私は家から10キロほどを離れた道路で、その両側にある並木の上に“江沢民は世界中に起訴されている”“法輪大法は素晴らしい”“法輪大法は正法だ”というような横断幕を二十枚余り掲げようとしていました。そして、三枚目を仕掛けたとたんに何か光っていると気付きました。後を振り返ると“江沢民は世界中に起訴されている”という横断幕がキラキラと照らされていました。一人が私の居る方向を照らしながら、遠くへは行けないから追えと言っていました。私は用水路に飛び降りて腰をかがめて逃げました。彼らは発見できなくて、小声で話を交わしている間に、彼等と同じような連中が七、八人くらい次々と出てきて、電灯の光をあちらこちらと照らしていました。私はじっと溝の中に潜んでいました。彼等は携帯電話を持っており、仲間を呼び出すのにとても便利です。暫らくするとまた20人くらいの仲間が集まってきました。電灯を持ち、銃も構えています。その時、私は三方をぐるりと包囲されて捜査が目前に迫っていました。また、バイクに乗って“出てこい、もう見つけたから、出てこないと撃ち殺すぜ”と脅かしながら現場をうろつく人もいました。
私はとても危険な状態で、三方を悪党に包囲され一方は川で、脱出する方法はないと思いました。その時1メ−トル位の高さで指の太さの小さな植木に気付きました。これまでか、と自問自答しながらも小さな植木のそばで顔に帽子をかぶせて横になりました。捜索体勢がますます緊迫しており、バイクの音と銃声が響き渡っているなか、もうおしまだ、このまま捕まるか、どう処置されてもいいのだ、と消極的に考え始めました。しかし、考え直して:そうはいかない、まだ見つけられていない、妥協するわけにはいかない。また、師父の説法をこのように思い出しました。“難を乗り越えられない間際にどうして先生を呼ばないのですか。邪悪に対しては少しの妥協もしないで、全面に否定すべきです。”すると、私の正念はどこへ消えたのか?悪人のたくらみに投降するなんて、と恥ずかしく思うようになりました。
緊張感を極力抑え、天を仰いで呟きました。“師父、弟子は極めて危険な羽目に陥ったので、周囲の邪悪を取り除くようにお願いします。”正念も絶えず発しました。その時、悪党が身近に寄り集ってきて、しかも二十個余りの電灯に照らされて昼間のようでした。しかし、妙なことに彼等が私の身近を通り過ぎ、私の衣服を踏みつけても全然気が付かなかったのです。これは、言うまでもなく、きっと師父が私のことを見守っていて、悪党の目をそらして他のところに行かせてくださったのです。
私は、ゆっくりと立ち上がり、一気に危険な状態から解放されてほっとしました。もう早く帰って寝た方がいいと考えたが、せっかく師父に助けてもらったのだから真相を伝える作業を引き続きやるべきだ、安逸心に操られるべきではない、と考え直しました。そこで、家に帰るのをやめて、ずっと十何キロの道程を進んで横断幕を全部掛け終えました。帰る途中で、横断幕の周辺にある邪悪な要素を全て取り除き、横断幕を汚した悪人に罰が当たり、横断幕を長く全うできるように、と正念を発しました。
横断幕を掲げたその三日後、商水県からの豫劇団による公演場所に横断幕の掛けてあるところがありました。この横断幕のおかげで、数え切れないほどの人々に真相を知ってもらっており、項城市の邪悪を大いに震撼させました。近隣の村々の人々は、法輪功さんは偉いです!4年間も迫害を加え続けられても屈しません。江沢民を起訴して、これで江沢民はもう終わりだ、と世論に訴えました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/27/85178.html)
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