日本明慧


師父の伝授クラスに参加−幸運の体験追想二

 【明慧ネット2004年10月23日】

 師父の伝授クラスへの追憶

 文/大陸大法弟子

 1993年7月16日に、私は幸いにも師父がチチハル市の電業文化宮で行われる伝授クラスに参加することができ、法輪仏法の修練の行列に入ることができました。師父の伝授クラスの前に行われた報告会を聞いてから、多年の気功の修練は、大法修練に入るための準備であることを初めて知りました。

 最初に参加した人はあまりいませんでした。非常に良い(功法だ)と人伝えに聞いて次第に参加者が増えました。伝授クラスの五日目になったにも関わらずたくさんの人が参加してきました。そのときの師父はまるで二十代の青年のように見えましたが、いつも落ち着いて、慈悲に満ちながら、人々に尊敬されていました。功法の伝授される期間中に私は常に前のほうに座っていました。貫通両極法を学ぶとき、私は非常に不器用に見えたようでした。師父はそれに気付かれ、自らステージの上から降りられ、私の手をとってこの動作を教えてくださいました。そのときには、この先生は本当に親切だとしか感じませんでしたが、今から考えてみるとそのときはなんと幸運だったでしょう。

 伝授クラスが終わりかけているとき、私たちは皆自分の修練心得を書きました。私は自分が参加したこの伝授クラスでの収穫は非常に多いものだと感じました。その一つは、不思議なことに、私が伝授クラスに来る二日前に自宅で他の功法を修練していたとき、法輪が目の前で絶えず回転しているのを見ました。最後の伝授クラスを終えて師父の疑問回答を聞くとき、初めて師父がチチハル市に来る途中に、縁のある人が法輪を見て伝授クラスに来るように千もの法輪を打ち出したことを知りました。その二つ目の心得は、私がいろんな気功学習クラスに参加しましたが、何も得られずに、ただ、たくさんの金をかけて無益に終わったことです。しかし法輪功の伝授クラスは、時間が非常に長いのに、費用はとても安かったのです。私は、この先生こそが金のためでなく、大法を伝授されるお方だと心の底から感じたのです。会議の後に、私は会場の外の廊下で師父に会って、非常に敬意を払って書いた心得を師父にお渡しました。

 七月の終わりの気候は、運動しなくとも汗びっしょりになるほどです。東北の夏は酷く暑く感じるのです。私たちの師父はグラス一杯の水を持参しているのです。そのような尊敬すべき、そしてこれほどの偉業を成し遂げる師父なのに、見た目は、ごくありふれた普通の人のようでした。

 伝授クラスの最終日、すでに夜八時半を過ぎたのに、学習者たちは帰ろうとせず、皆師父のそばに残って、師父にサインを求めました。行列は正門まで続いていました。その時、外は雨が降っていたため、師父は正門の車寄せの下で微かな街灯の光の中で学習者にサインをしていました。人があまりにも多くいたため、随行する学習者は「師父はまだ急用がありますので、みなさんお帰りください」と声を上げました。師父が7月25日に北京の公安礼堂で2000人の伝授クラスに行くので、ミニバスが外で待っているのを私たちは知りませんでした。このときのこの情景を思い出すたび、私はいつも法を伝え、衆生を済度する師父の艱苦を思うと、涙が何時まで経っても止まりませんでした。今日、私たちがもし師父の言われた三つのことを成し遂げることができなければ、どうして偉大な師父に申し訳が立つでしょうか!

 大法の不思議、師父の慈悲を証明

 文/大陸大法弟子

 1994年に、私のある友人の娘が腰部椎骨の彎曲で、痛みに耐えることができなく、まっすぐ立つことができなかった。歩くことも、立つことも難しく、寝るときでさえも痛みを感じた。西洋の医学、中国医学を試したが好転をみなかった。その後、気功による治療を受けたが効果がなかった。そこで医師は彼女に「あなたは結婚することができません」と断言した(彼女にはすでに結婚する準備の整えている彼氏がいた)。非常に苦悩する中、私が法輪功を学ぶようになったのを聞いて、この友人が私を訪ね、彼の娘を連れて師父に会いたいと言った。私は受諾して彼に「私たちの師父は5月に重慶で伝授クラスを開きます、一緒に師父に会いに行きましょう」と答えた。このように私と彼ら父娘二人および他数名の同修たちと一緒に重慶行きの船に乗った。行く途中でさえ彼の娘は腰部の激痛で苦しんでいた。重慶について師父の九日間の説法を聞いて、自宅に帰って修練してから、椎骨は奇跡的にも治った。その年末に彼女は彼氏と結婚して、95年に彼女は奇跡的に双子の女の子を生むこともできた(一人は2300グラム、もう一人は2400グラム)。今でも健康に成長して、すでに小学校三年生になった。これは私の身の回りでおきた本当の出来事だ。この出来事で、私は法輪大法が人類にもたらした素晴らしさ、奇跡を感じ、そして師父の衆生に対する慈悲を感じた。

(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/23/87280p.html