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シドニー・モーニング・ヘラルド(Sydney Morning Herald)が中国洗脳センターの内幕を報道する

 

 

 【明慧ネット2004年10月20日】(明慧記者謝文慧、周海倫が翻訳報道)シドニー・モーニング・ヘラルド(Sydney Morning Herald)は10月16日に記者Hamish McDonald氏が北京から送ってきた原稿を第一面に報道した。テーマは「中国洗脳センターの内幕」として、大陸法輪功学習者が受けた迫害についての取材を載せた。文章の中で、法輪功学習者は洗脳センターで残酷な精神および肉体におけるダブルダメージを受けながらも、法輪功の修練を放棄しようとしなかったと述べている。

* 労働教養所は常に“法制学校”の看板をかけている

 報道は初めに、ピカピカと綺麗に拭いてある金属の正門の横に、“広州法制学校”の看板が貼られている様子だった。しかしこの中国南方の大都市の郊外に位置するうす汚い工業区は全く学校の所在地には見えなかった。

 この中では、一人の学生をも見当たらない。唯一生命の形跡を示しているのは警備が非常に厳重の中を出入りする黒色の官用車およびパトカーであった。遠くないところにある珠江の対岸の壁および展望台の後ろにあるのは広州槎頭労働教養所の汚れている数列の兵舎にすぎなかった。かつてこの地に監禁された経験のある女性の話によると、学校は唯の飾りにすぎない、実は労働教養所である。警察はここで法輪功学習者に対して労働教養を科するところであると述べた。法輪功は座禅に基点を持つ精神運動であり、太極拳の功法に類似する部分がある。五年前に中国[江沢民政権]政府に“邪教”として禁止されていた。

 唐乙文女性は記者に「ここは洗脳センターです。このような洗脳センターは中国のいたるところにあります。凡そすべての区にあります。それにここは最も野蛮な洗脳センターの一つとして公認されているのです。」と述べた。今年37歳の唐女性は英語翻訳家であり、小柄な体型で、話す声も小さい。彼女は今年2月に町で警察に拉致されてこの場所に監禁された。

* “法制学校”の残虐な刑罰のため学習者の足が不自由になった

 唐女性は記者に、監禁されている大多数は法輪功学習者であり、これらの人たちは彼女と同じように、法輪功の修練を放棄しないため、すでに対岸の槎頭労働教養所あるいは他の労働教養所に3、4年間監禁されていた。

 法輪功学習者はこの洗脳センターで残酷な精神および肉体における虐待を受け、殴られ、長時間による尋問、睡眠を取らせないおよび[法輪功を謗る]録画ドキュメンタリーを見るように強制されていると彼女はのべた。

 洗脳センターはもっぱら法輪功学習者に対する高強度な“再教育”のために設けられたものであり、学習者たちがもし転向しなければ槎頭あるいは三水労働教養所に送られると彼女は述べた。唐女性本人も労働教養所で三年間も監禁されて、去年の8月に初めて釈放された。“広州法制学校”による残虐刑の虐待のため、彼女の片方の足が不自由になってしまった。

 報道によると、唐女性およびその他の人々が描写する手段は非常に怖く聞こえる。まるで毛沢東の紅衛兵が文化大革命期間中に“右派”に白状するように強迫する批評会のようなものだ。

* 労働教養所はまるで地獄だ

 唐女性は「父から中にはある著名な作家が労働教養所で自殺したと言うのを昔聞きました。その当時に私は彼らが何故頑張って生きていけなかったのかを不思議に思いました。しかし実際労働教養所の洗脳センターを経歴した後の私は、これは実に人間の耐えうるところじゃないと分かったのです。ここはまるで地獄そのものです」と記者に言った。

 報道によると、表面からみて、[江沢民政権]政府および法輪功の間にある闘争は、全く希望もなく一方的に倒れていて、まるで車輪で一羽の蝶々を引き砕くように容易い。一方は中央委員で、今年60歳になる劉京の指導する百七十万の公安部は、警察はなんの審判をも経ずに、何の弁護士による保護弁論なしに人を不法に4年間も監禁することができる。同時にヘビー級の国家宣伝部がある。彼らは法輪功に反対する敵意に満ちた宣伝運動を指揮している。

* 法廷、弁護士は法輪功学習者の訴訟を拒絶するように命令を受けた

 1999年7月の官方による禁止令が出された後、中国最高裁は、下級裁判所あるいは弁護士が法輪功学習者の訴訟請求を受諾することを禁止するように命令を出した。

 報道は続けて、法輪功方面には唐女性のような民衆はたくさんいると述べている。唐女性の足が不自由になり、彼女の好む教育の仕事を見つけることができず、随時に監禁され、残虐刑による虐待を受ける危険がある。彼女は夫と離婚するように強迫され、彼女自身もパスポートを取れずに出国することができない。

 彼女は8月初旬にオーストラリア総理オフィスからの手紙を受け、彼女の不幸、遭遇および彼女がオーストラリア政府に提出した政治庇護の伸請は許諾されたと書かれていた。唐女性は絶えず住所を変え、中国各地に暫時的な停留をすることで、警察による再度の拉致を避けていた。

 このようにして、この一羽の蝶々は破壊されなかった

 報道によると、人々は法輪功の修練を放棄しなかった。たとえ労働教養所に何年監禁されたとしても。唐女性は広州法制学校にいた三週間の意志試験の中で絶食を行い、彼女は危うく死ぬところだった。しかし彼女は最終的に道義上の勝利を得た。彼女は法輪功に違背した内容の保証書に署名せずに釈放された。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/20/87054.html