日本明慧


西洋人学習者の修煉体験——明慧ネットの重要性

 文/西洋人法輪功学習者

 【明慧ネット2004年10月26日】過去の2年半で、私はほとんど毎日明慧ネットの文章を読んでいる。多くの人は驚くかも知れない、ほとんどの人は、毎日明慧ネット上の文章を読むことはないだろうから!

 3年間ずっと他の学習者と離れて一人で修煉していたので、明慧ネットは私が世界の法輪大法と、大法を実証するために学習者がなにをしているのかについて知る一つの窓なのだ。一、二ヶ月に一回の現地の学習者に会うことしかできず孤独だが、私はずっと明慧ネットを頼りにできると知っていた。

 だから、過去3年間、明慧の文章を読んで、私は更に深く法を理解できると感じるし、正法の全体の流れについて行くことができる。その他の学習者と遠く離れているので、苦痛と孤独を感じるが、明慧を読む時、いつも一種の親切感を持つ——明慧を読むと、私はもう孤独でないと感じる。世界で特に中国大陸の大法弟子がどのように大法を実証しているかという壮挙を読むと、もっと良く自分の力を尽くして衆生を救うように激励されているかのようだ。

 私が言いたいのは、明慧ネットの重要な部分の一つは“迫害事実”であるということだ。そこの文章を読むことは、私の修煉の中でとても重要な作用を果たしている。二年半休まずそこの文章を読んで、私は正しいやり方で完全に、生命と思考の方式に対する見方を変えた。

 私が最初に明慧を読み始めた時、私は中国の江沢民集団が法輪功学習者に対する迫害の残酷さに驚かされた。文章を読む時私は耐えられず涙を流した、しかし私は自分に読み続けるように言い聞かせた。中国での情況を本当に理解したいためだ。

 迫害関連の文章を読む過程で、私は自分が変わったことを発見した。もちろん学法が第一位だ——明慧の文章が私の法を学ぶ上で役に立ち、そして更に法を深く理解する手助けになった。特に中国に関する情況の文章はそうだ。

 今、私が迫害と反迫害に関する文章を読む時、私はもうそれが苦痛だと思わなくなった。私は大法弟子が中国で大法を実証する偉大な壮挙を見る。私は前に言及したように、彼らも私の思惟の方式を変えた。たとえば、今日私が何かをする時、私は中国の情況を思うことができ、そして中国にいる学習者たちのことを考えて「中国にいる学習者はどのようにこんなことを処理するかな?彼らは直接こんなに邪悪な迫害と残虐な、いわゆる試験に対して、彼らは高尚な人徳を表しているのではないか?」私の生命観はますます清らかになることを発見して、ますます高尚になって、私は大法がどのように中国大陸の弟子が困難な環境の中でこのようで高尚な尊厳を以て事を行うのを見ることができる、これらのことは私に大いに励みになっている。

 もちろん私もよくその他の文章を読んで、例えば師父が中国で法を伝える初期の話、および学習者の体験談、世界各地での大法を実証する活動。師父が『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』の中で言う「人類、将来の人類は今日の法を正すことを代々伝えていくのです。(拍手) 今回の迫害の真相はまだ全面的に人類に明かしていません。人類は驚いてしまうのです。大法弟子の圓満成就、人類に信じられない全てが現れ、人類の変異した全てが全部正され戻される過程は、人々を驚かせ、驚くと同時に大変恐ろしいことでもあります。全てが現れてきます。ですから、この歴史を人類は永遠に伝えていきます。」

 明慧がこの歴史を記載していることに感謝する。また、この歴史が私達の目前で発生しているこの段階で、明慧のおかげで私はついていくことができることに重ねて感謝したい。

 (2004年10月16日法会原稿)


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/26/87642.html