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十月に:40名の法輪功学習者が迫害されて死亡した事案が実証された(写真)

 【明慧ネット2004年11月2日】(明慧ネット記者古安如による総合報道)明慧ネットの資料統計によると、2004年10月に、全部で40名の中国大陸法輪功学習者が迫害されて死亡した事についての情報が民間経由で実証された。1999年7月20日以来今日に至っても江沢民政権は法輪功を公然と迫害している。そして2004年10月31日までに、実証された迫害されて死亡した法輪功学習者の人数はすでに1099人に上る。

 *10月に新たに40名の法輪功学習者が迫害されて死亡した事案が実証された。28名は2004年に死亡し、その内の4人は10月に死亡した。

 40名の迫害されて死亡した事案件数は19の省、自治区および直轄市に分布している:吉林省6件、河北省5件、黒竜江省4件、遼寧省3件、四川省3件、湖北省3件、重慶市2件、天津市2件、陝西省2件、北京市、安徽省、河南省、広東省、広西省、甘粛省、寧夏自治区、新疆自治区およびモンゴル自治区に各一件ずつ。

 40名の迫害されて死亡した事案の中に、肉体による虐待および精神による虐待には普遍性が見られる。法輪功学習者は普遍的に各形式による殴打、残虐刑による虐待、洗脳による“転向”および経済上のゆすりが見られる。また法輪功学習者は看守所、労働教養所、監獄、精神病院、洗脳センターおよび地元の公安、610オフィス機構から強制的に“真善忍”への信仰を放棄するよう残酷な迫害を経験した。

 たくさんの迫害事実は非常に野蛮で残酷であった:陝西西安市の法輪功学習者周清田さんは十本の指の爪にステンレス製の針を刺される残酷な手段による迫害を経験した。唐山鋼鉄会社煉焦製気部の大法弟子である崔鳳?さんは何度も拉致され、町中を引き回された。吉林省通化市鉄道従業員の宋文華さんは悪徳な警察官にタバコの火で体をやけどされ、服を全部剥ぎ取られてめった打ちされた。新疆昌吉市の法輪功学習者麻継軍さんは、地元の610に拉致されて強制的に洗脳された。更に精神病院に送られてから薬物による虐待のため全身に浮腫みができ、最終的には死亡した。

 40名の迫害されて死亡した事案の中で、28名は2004年に発生した事案でその内の4名は先月10月に死亡している。迫害されて死亡した法輪功学習者の中で、最も年長のものは広西省桂林市の68歳の莫家英さんで、最年少は吉林省安図県白河林業局の高等学校の教師をしていた肖国兵さんである。

 *陳麗君さんは不法な労働教養から逃れた後、残酷な虐待を受け続けこの世を去った

 鄭州大法弟子の陳麗君さんは今年40歳になる女性弟子である。陳麗君さんはかつて鄭州市十八里河労働教養所に二度も不法に労働教養されたが、労働教養所にいたとき、ありとあらゆる残酷な虐待を受け続けた。邪悪な警察官達は彼女を縄で縛り、胸や腹そして陰部を強打し、さらに口に大便を塗りつけ、使用したトイレットペーパーを口に貼り、口の中に汚い雑巾を押し入れるなどの虐待を繰り返した。労働教養所の二人の隊長である周小紅と任遠芳は何度も薬物常用者に陳麗君さんを虐待するように命令した。

鄭州の大法弟子である陳麗君さんは
2004年9月29日にこの世を去った

 陳麗君さんが二度目に不法に労働教養された時、三名の薬物常用者は陳麗君さんが体操をしないことを理由に、隊長があなたと話をしたがっていると言って、彼女一人を十八里河の二階の室内に呼びし、順番に彼女の胸、背中、のどをこぶしで強く殴り、さらに足で蹴ったりした。これによって陳麗君さんは連続して一ヶ月以上も熱が出た。その後に陳麗君さんは病院で検査を受けが、検査結果は肺結核であった。鄭州市十八里河労働教養所の任遠芳は彼らと一緒に陳麗君さんともう一人の大法弟子の家から数千元の医療費用をゆすり取ろうとした。陳麗君さんは2004年9月7日に病院から逃げ出した。

 陳麗君さんが逃げ出すと、鄭州市十八里河労働教養所および関係のある者達は、自分たちの悪行が暴かれるのを恐れて、すぐに彼女を秘密裏に逮捕しようと行動を開始した。何も知らない陳麗君さんは?河の伯母の家に行った。ところが鄭州市十八里河労働教養所はすでにその親族の家を捜査していた。その上彼等は陳麗君さんの親族を都合の好い様に説得し、陳麗君さんが戻ったら彼女を送り返すか、あるいは自宅に帰るように言えと言った。そのため陳麗君さんの伯母は彼女を泊めようとせず、陳麗君さんに労働教養所に保証書を書くように、そして彼女に労働教養所に帰るように強要した。陳麗君さんは行くところが無くなり、他人に50元を借りるとかつて知り合っていた同修の家に向かった。

 陳麗君さんは身長165センチ、肌は白かった。しかし労働教養所から逃げ出した当時は顔色が悪く、目元が凹んでいて、おなかが大きく膨らみ、体は骨と皮とばかりになり、腕は子供のよりも細かった。何も食べられず、歩く時は助けを必要とし、記憶力も非常に悪くなり、金の額を識別できなくなっていた。更に身体も非常に衰弱し、いつも恍惚としていて、知らない人を見ると恐怖を覚えた。このように極度に衰弱し切った彼女は2004年9月29日午後4時過ぎにこの世を去った。

 陳麗君さんがこの世を去った後、鄭州市中原公安分局はその遺体を写真に撮り、そして彼女の住居を監視した。鄭州市中原公安分局、元中原区610オフィス、鄭州市十八里河労働教養所等は、陳麗君さんの死亡した責任を彼女の看護をしていた大法弟子に転嫁し、更にこのことに関わった一部の大法弟子に対して監視を行うようになった。

 *非人道的な迫害のため、李春文さんは心身ともに大きな打撃をうけて死亡した

 河北省井径県秀林鎮呉家庄の法輪功学習者李春文さんは、61歳の男性弟子、法輪大法を堅く信じ修練したため非人道的な迫害に遭い、2004年6月10日にこの世を去った。

 99年の7月20日以降に、尽きることの無い不法な尋問、威嚇、監禁に遭ったが、不法な罰金200元を払って釈放された。2000年正月5日に、李春文さんなどの学習者たちは法輪功の修練を放棄しなかったため、再び秀林鎮派出所に不法に拉致された。彼は室内に監禁されてベッドの端に手錠で縛られ、九日間そのまま放置されていた。寒い冬で、風が骨身にしみるほどだった。薄い服一枚しか着ていない彼は体の自由もなく冷たい室内に監禁されていた。

 このような迫害に遭っても、李春文さんは法輪功の修練を放棄しなかった。李春文さんが転向しないのをみると悪徳な警察はさらに狂うようになり、手段もさらに悪辣になった。十日目に、悪徳な警察は李春文さんをもう使用されていない会社のオフィス内の二階に連れて行って、残酷な迫害を始めた。

 悪徳な警察の一人は鉄棒を持ち、もう一人は電気棒を持ち、二人は縄で縛られてひざまずいた李春文さんのふくらはぎを力一杯踏んだ(注:これを上縄という)。六人の若い警察が一人の武器を持たない、全く無抵抗な老人を虐待した。暴徒らは一本の細い縄で老人の両腕の肩胛骨を縛り、二人で力いっぱい縄を引っ張り、もう二人がひざまずいているふくらはぎを踏んだ。このように上の力と下への力が逆方向に作用するため、細い縄はすぐに両肩の肩胛骨の肉に食い込み、血が溢れ出た。最初の5分で、老人はすでに汗びっしょりになった。それから十数分がたつと、非常に危険な状態になった。彼らは初めて手にとっている縄を緩め、李春文さんに水を飲むように強制し、飲まなければ電気棒で殴り、電撃した。水を飲み終えると又先のように繰り返したが、この行為は悪徳な警察が疲れ果てるまで続いた。

 このような虐待によって、李春文さんの体はすでにめちゃくちゃに傷つけられて血だらけになっていた。唇にも穴が開いて口の中が血だらけになり、立つこともできなくなった。悪徳な警察はこの情況をみて、もうこれ以上繰り返して迫害するのを止めて、李春文さんを灰だらけの室内に監禁した。ある警察官がこれをみて「なんと酷いことを!全く人間性のないことを!」と言った(彼は所長および副所長をさしていた)

 不法に働く警察官はこのように虐待しながら彼らから金をゆすり取っていた。多い者は一万元、少ない者は千元、金が無ければ続けて監禁の身となる。このような非人道的な迫害は正月の19日まで続けられた。李春文さんなどは交付される金がないため、悪徳な警察官達は彼らを仙台山に送り強制的に洗脳転向を行った。仙台山では公安局副局長の李忠勇が指揮を取り、千人余りの人を法廷、司法局、各村の派出所の人が監督していた。そして毎日彼らに重労働に参加するように脅迫した。このような虐待を20日続けたにも関わらず、秀林鎮は鎮に彼らを迎えにこさせ、また鉄の牢屋の中に不法に20日間監禁していた。鉄の牢屋は平素から犯人を監禁する場所であった。中は大小便が散らかっていて非常に臭い。寝る場所も無く、いつものように一日中おなかをすかしていた。不法な警察官達は虐待しながら、家族罰金3000元を払ったら釈放してやるなどと脅迫した。このように51日間の虐待を経ると、本来たくましかった李春文さんは顔色が悪く痩せてしまい、身体も極度に弱まっていた。

 帰宅してからも、県の公安、鎮の政府、派出所は二日三日おきに、昼夜を問わず、常に彼の家に行きかき乱し、彼を殴ったり、罰金したりする日々が続いた。そのため李春文さん夫婦の心身は共に大きな傷害を受けた。

 非人道的な迫害のため、李春文さんは心身共に巨大な打撃を受けた。自分の受けた残虐刑による虐待、家財の没収、罰金や監視、娘や親戚も巻き添えにされるのを見て、心身共にもうこれ以上耐えていくことができなくなった。虐待されてやせ細っていた李春文さんの体はまるで風に吹かれるたびに倒れそうだった。呼吸も難しくなり、内臓も痛んでいた。彼は毎日飲食することも、寝ることもできなくなり、体中に力が無くなった。このような状態が2004年6月10日まで続いて、李春文さんはもう起き上がれなくなった。

 *大法を修練することで新生を得た秦金秀さんは真相を伝えたため迫害に遭って死亡した

 法輪功学習者の秦金秀さんは、武漢市武鋼十五中学校の定年退職労働者である。家は武漢市青山区白玉山6街65門10番に在住していた。各種の迫害を受けて、2004年2月23日に自宅でこの世を去った。

武漢市法輪功学習者の秦金秀さんは
2004年2月23日に自宅で死去

 1998年の下半期に、糖尿病のため危篤に陥った秦金秀さんは、家族の者に白玉山の法輪功煉功場に背負い込まれた。そして二ヶ月足らずで、秦金秀さんは糖尿病が完治した。

 1999年7月20日に大法が邪悪な迫害にあってから、彼女は病歴検査報告書を持って北京に大法を実証に行った。彼女は何度も監禁され、拘留され、家財を没収され、あらゆる残虐刑による虐待を受け、さらにある党の党籍を除名された。

 秦金秀さんは法を学んでまだ短いが、大法を修練することについて少しも動揺したことがなかった。邪悪な環境の下で、白玉山地区の法輪功学習者たちが一度資料の出所を失ったとき、秦金秀さんは資料の仕事を担当するようになった。たとえ邪悪が彼女を不法に監視している時期でさえ彼女は資料の供給を一度も中断することはなかった。

 2003年3月1日に、秦金秀さんは大法を実証しに北京にいき、北京の悪徳な警察に不法に拉致され数日間監禁された。その後秦金秀さんはまた武漢に送られて、不法に青山分局および拘留所(610)に29日間監禁されて釈放された。秦金秀さんは自宅に帰ってからも街道の委員会に不法に監視され、尾行された。また毎朝指定場所の出勤簿に署名するように無理に要求され、人身の自由を失った。

 邪悪による5年間の迫害の中で、派出所の悪徳な警察官や白玉山街道委員会、保安などの悪人らは常に彼女の家をかき乱し、数回も不法に家財を没収して、拉致した。その中でも2003年の正月、秦金秀さんは他人に真相資料を提供したために検挙された。邪悪な610オフィス、分局、警察などは不法に秦金秀さんを連行して、北湖派出所にある特製の残虐刑用の牢屋に監禁した。拉致される当日、一部の同修は白玉山地区に綿のような雪が降っているのを見た。これは真に神の怒りである。

 このような寒い真冬日に、悪徳な警察官は秦金秀さんを裸足で鉄の牢屋の中に立たせ、食事も睡眠も与えず、座ることも、大小便をすることも許さなかった。3時間毎にメンバーを換えて尋問が続いた。そのため彼女は極度に身体が衰弱した。悪人には派出所、分局、610オフィス、省庁のリーダーなどがいる。数日の非人道的な虐待の後、彼女は全身が浮腫み、歩けなくなった。

 秦金秀さんは来たすべての人に面と向かって真相を伝えていた。また正念をもって悪人が指紋で真相資料を制作する同修を迫害する陰謀を見抜いた。長期にわたって裸足で鉄の牢屋に立たされたため、秦金秀さんは全身に浮腫みができ、両手足は自由に動けなくなった。このような情況の下で、悪徳な警察官は責任を取ることを恐れ、また家族が強烈に釈放するように要求していたため、彼女を自宅に送り返した。自宅に帰った秦金秀さんはすでに骨と皮とばかりになっていて自己管理の能力を失っていた。心身ともに大きな打撃を受けた彼女は、2004年2月23日に自宅でこの世を去った。

 *“命が危なくても決して釈放しない”宋文華さんは迫害の中治療を受けられず死亡した

 吉林省通化市鉄道の従業員である大法弟子の宋文華さんは2004年10月に長春市朝陽溝労働教養所により迫害されて死亡した。

 2003年5月16日に、宋文華さんは通化県瓢箪套郷(通化市の近郊地区)で真相を伝えていて悪人に検挙され、通化県看守所に連行された。監禁されている間に、悪人らは悪辣な手段をとり、タバコの火を彼女に押し付けたり彼女のパンツの中に入れたりした。また何度も彼女の服を全部脱がして殴った。

 2003年8月8日に、宋文華さんは不法に二年の労働教養に処せられ、長春朝陽溝労働教養所に送られた。朝陽労働教養所の確かな情報によると:2004年3月から宋文華さんの体はすでに悪くなり、労働教養所はすでに宋文華さんが肺結核などを患っていることを知っていた。さらに宋文華さんの片方の肺に80%の水が溜まり、いつでも命を落とす危険があった。しかし労働教養所の医師である李飛曾は「たとえ死んでも労働教養所は責任を取らない」と高言した。

 2004年6月に、家族は重病のため、保証人を立てて一時の出所を要求したが、労働教養所は上部からの許可が取れないと言った。ところが労働教養所の上層部に行くと、それは労働教養所の問題だと言った。このようにお互いに責任を擦り合い、最終的に労働教養所はこの問題を一掃するため家族との面会、栄養補給などを停止した。また司法部長は「随意に釈放してはならない、命の危険が無い限り、決して釈放してはならない」と言った。彼女の体がここまで弱まっているにも関わらず、薬も栄養補給も与えず健康な人と一緒に毎日重労働をさせた。

 その後、宋文華さんは連続10日以上も39度の高熱が出て、連続4、5日間も飲食出来なかった。最後には目がはっきり見えなくなり、耳もきこえなくなった。それでも労働教養所は何の処置をとらなかった。家族が再び彼女と面会したとき、すでに彼女の身体は骨と皮とばかりになっていた。2004年10月8日に、(迫害されてから1年半足らず)労働教養所はすでに治療出来ず手遅れとなった宋文華さんを釈放した。釈放後九日目の夜に(2004年10月17日に)、宋文華さんはその冤罪を晴らせないままこの世を去った。

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 すべての事案は皆血でできた債務である。すべての血の債務には必ず善悪の報いがあるが、債務は必ず返済しなければならない。天理がこのすべてを制約している。江沢民政権が法輪功に対する絶滅的な迫害の中で欠けていたすべての血の債務は、必ず返済しなければならない。そしてこの日はますます近づいてきている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/2/88143.html