日本明慧


幸せな追憶

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年11月10日】1994年1月25日、山東省で先生が済南青年科学技術センターで催す8日間の法輪功講習会に、私は幸運にも参加できた。その時約600数人が参加した。

 私は、3人の湖南、大慶から来た若者と一つの寮に宿泊した。会場の入り口でチケットを検査する任務を私達が担当した。25日に先生は第一回の報告会をして、私達4人で担当した、学習者は順次受講証を見せてから入場した。私達はずっと頭を下げてすべての人の受講証を検査して、8時頃、先生は娘さんを連れて、黙々と学習者に従って表門から入場しょうとした。私達は先生が手に受講証を持っていないことを見て、聞いた、「受講証は?」この時先生はとてもやさしく小声で「私は講義しにきたのだ」と言われた。その時になってやっと、みんなは先生だとわかり、みんな恥ずかしくて笑った。先生は見たところ20数歳にしか見えなく、高くて大きくてハンサムだった。

 講義が始まってから、先生は単手を立て学習者達に向って挨拶された。今思い出して、先生はとても気さくで、やさしく、全く威張ったところがない。先生の生活は非常に慎ましくて、普段はいつもシュロ黄色のジャンバーだが、授業する前に青いスーツをお召しになるだけだ。

 報告会上で先生は、みんなに法輪を体験させた。みんなは手を伸ばした。その時私が手に回転しているものがあると感じ、手は発熱して、体の周囲ですべてものが回転していると感じる。先生はまた、みんなの体を調整してくださった。病気が右足から出て行くことを思うようにと、みんなに言って、先生の手に従って下を向いて振って、みんなは引き続き号令で一緒に右足を踏み鳴らして、それからまた左足を交換して病気を排除した。先生は「あなたはどこにいても私はすべてあなたにとどく」と話された(遠く座っていた学習者のことを言っていた)先生が学習者達の体を調整する時、時には手印はとても速くて、一連の動作で、目に留らぬほどだった。

 更に、私にとって忘れ難いことは、報告会が終わった後に、ただ年を取った学習者が10数人、演台の前にいて、師父は一人ひとりと握手して、それからお嬢さんを連れて外へ歩いていった。私ともう一人の学習者の側を通る時、師父はやさしく私を見て、手を伸ばした。その時、私は頭が空白になり、知らず知らずに両手で合掌して師父に向ってお辞儀をした。師父は軽く私たち二人の腰を支えて、歩いて行かれた。その時、私は体がとても楽で心地よいと感じた。今思い出すとその日々は本当に幸せな日々で、師父の大きい慈悲の済度の中で沐浴しているようだった。

 第一回の授業で第一式の功法を学ぶ時、私の身の回りの一人の女性の学習者がひっきりなしに空えづいて、吐いてもなにも出てこなかった。師父は講台の上から下りてきて、彼女の体に早く何回かたたいて、彼女はすぐに壁の隅で吐いてきて、空えづきしなくなった。毎回授業を聞き終わった後に、私達はみな非常に感動して、寮に帰った後にみんなは当日に講義した内容を交流して、夜遅くまで交流してやっと寝た。どんな疑問があっても、翌日師父の講義する時に疑問はすべて解答を得た。私達は本当にどんなことを考えても師父はすべて知っていると感じた。

 師父の済南で第一回講習会からすでに10年過ぎた。この10年の修煉と法を実証する中で、私は法を実証するために拘禁されたことがあり、執着心を放すことができないため過ちもして、曲がった道を歩いたことがあった、しかし私は師父に対して、大法に対する固く信じる心はこれまで動揺したことがなかった、いつも10年前の情景を思い出すと、ありありと目の前に浮かび、昨日のことのように思え、思わず涙を流してしまう。師父の慈悲深くて優しい容貌が私の脳裏に浮かび、私に法を実証し、衆生を済度する道にしっかりと歩き続けるよう激励してくださっている。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/10/88848.html