日本明慧
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文/中国大陸邯鄲大法弟子 袁停 【明慧ネット2004年10月20日】ある日、私はある学習者と一緒に法を学び、交流を行いました。分かれる時、彼女は「法輪佛法大円満法」を勉強したいと言って、私は彼女に貸すと承知しました。数日後、午後の仕事が始まる前に他の学習者からその本を借りましたが、時間が無かったので、すぐに送ることができず、それを持って仕事に行きました。しかし、午後の間この本のことが心の中にいっぱいあって、気持ちが落ち着かなくて、すぐ法の内容を見て、師父が説いた法理を知りたいという気持ちばかりでした。仕事中なので、法を勉強することができないので、その午後は不思議に長いと感じました。 やっと退勤時間になって、急いで家に向かいました。食事を作る前に、数行でもちょっと法を読もうと思いましたが、帰ったばかりで主人と夜間学校をに通っている子供も帰ってきました。先に晩ご飯を用意しないと、子供が学校に行くのは間に合わないと思って、早速食事を用意しました。そして、自分の部屋に入って、丁寧にかばんの中から「法輪佛法大円満法」を取り出しました。その時、心の中に雑念が一切無くなって静かになり、外の部屋でテレビを見る子供のことや学法や煉功のために、私をしばしば罵り殴る主人のことさえもすっかりと忘れました。その瞬間は、周囲の環境が言葉で表現できないほど静かでした。 そして、私は本を見たら「法輪佛法大円満」という7文字の後ろに、明るい光が3回閃いていました。始めのきらめきで「法輪」という2文字が見え、2回目のきらめきで「佛法」という2文字が見え、3回目のきらめきで「大円満」という3文字が見えました。3回のきらめきでちょうど「法輪佛法大円満」が見えました。もう一度みると、その7文字は真っ白の銀色の光で格別に綺麗でした。 私はとても感動して、もう一度師父の無量な慈悲なる加護と大法の神威を感じました。感動しすぎて歓喜心が生まれたためか、神の光はなくなりました。その時初めて部屋の中はもう真っ黒で、なにもかも見えないはずだと分かりました。法を勉強する気持ちがいっぱいで、電気をつけることを忘れました。この真っ黒な部屋では、師父の慈悲なる神の光がなければ、本を読むことはまったく出来ないはずでした。おそらく師父はこの方法で私を助け励ましてくださったのだ!と思いました。これによって、法をよく学び、修煉の道を正しく歩む決心や自信が強まりました。その夜、一気に読み終わりました。たくさんの法理が分かり、正確でなかった動作を直し、思想の境地が昇華しました。 個人の浅はかな認識ですが、不適当なところがあれば、ご指摘ください。 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/20/87071.html) |