日本明慧
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文/大陸大法弟子 蓮ル 【明慧ネット2004年11月7日】数日前に、私がいる県の一人の同修は自家用車で真相資料や真相VCDを配ったため告発されて、県の査察大隊は彼女の自家用車を没収した。同修は正念で逃げられた。私がこの情報を耳にした時に、まず、他の空間で同修を迫害する邪悪な要素を滅しようと思った。考えているうちに、私はこの前彼女と話していたときの事を、ふと思い出した。私は善意から彼女に理性でもって、しっかりと行うように教えた!(彼女は以前に私に車上でのやり方を話したことがある)さもなくばこのようになることはなかったでしょう?考え直して私自身に聞いた。同修が衆生を救うのは間違いがあるか?私の回答は“間違いない”だ。間違いないなら、つまり邪悪を徹底的に滅するべきだ。そこで一時間ごとに正念を発しはじめた。 発正念する時私は師父の法の「相手の事は即ちあなたの事だ」(『2002年ワシントンDC法会上での講法』)を思い出した。私は自分に問うた。私は同修の事を自分の事としたか?同修が迫害されたのは、私自身が迫害されたのと一緒じゃないか?真剣に発正念したか?回答は「しなかった」。私はあの時の状態が間違いだと思った!私達の大法弟子は一家族なのに、どうして本気でしないのか?そこで発正念する時師父に対して話しかけた。「師父、師父は話されたでしょう。私達の大法弟子は一家族なので、私はその一員だから、誰の按配もすべて要らないのです。師父の按配された正法の道を歩くので、弟子を加持してください。弟子を抑えつけるすべての邪悪を滅するために力を貸してください。」私は発正念する時自分が本当に宇宙の防衛者であることと感じて、厖大な神で、宇宙の中ですべての正の要素のために責任を負って、すべての邪悪を滅し尽くしている。 翌日、私が同修の家に行こうとした時、同修が私にその同修も大丈夫だと教えてくれた。私はこれが私達全体がその他の空間の邪悪な要素を一掃したからだと知っている。この時、私は突然師父の新経文の『棒喝』に新しく悟ることがあった。師父は話されました。「家族が迫害の中で拘束され、迫害されているにもかかわらず、あなたは皆さんと一緒に早く迫害に反対し、迫害を制止し、家族が受けた迫害を軽減するなどのことをせず、家で法を勉強すべきだと言って、学習者が行ったことに不平不満だらけです。あなたの家族が拘束中、受けた迫害が軽くなったり、または止まったり したのは、大法弟子が邪悪と危険を顧みず、迫害に反対する中で、邪悪を暴露し、制止したからだということを知っていますか? 家族が釈放されたら、あなたは彼らに会わせる顔があるのでしょうか? 彼らのためにあなたは何をしたのでしょうか? 修煉している人は修煉している神ではなく、修煉の過程には誰にも誤りがありますが、肝心なのはどのように対処するかということです。誤りを認識できる人もいれば、できない人もいます。また、恐れる心など各種の要素に執着しているから、認識したくない人もいます。」以前を考えてみると、ある同修が迫害された時、まず同修の不足を探して、どこが漏れがあったとか、どこが自分の観念に合わないとか、どこが執着があるとか、この迫害が当然のようだった。思うにあの時自分はなぜ立ち上がらなかったのか?なぜ邪悪に立ち向かわなかったのか?いつのまにか同修が迫害される要因を強めたのではないか?あの時は法の理に対して本当にあまりにもはっきりしていなかった。本当にとても恥ずかしく思う。 ある同修と交流している時また師父の『棒喝』の中の法を悟った。「皆さんもご存知のように、私が何かを言ったり、書いたりすると、魔の首魁は大法弟子を迫害するならず者の集団のほぼ全員を率いて、昼夜を問わず、まず「学習」しなければならないのではありませんか?」そうです!同修達!私達すべての大法弟子は邪悪を滅すると思えば、邪悪は滅されるじゃないか?私達は本当に能力があるのだから自分をばかにしないでくたさい。私達が法の中一粒子であることを忘れないでください。法にできないものはなくて、私達にもできないことはない。その上私達には師父がいらっしゃる。同時に私が悟ったのは、師父の法はすべて私達全員に対して言われたので、いつも他の人の事を言われていると思わないでください。 更に新経文の『棒喝』を読む時、師父が話された「法を正す中で、宇宙の最後の全ては解体と作り直される中で、再び生成されます。法がこの世を正す時はますます近づいてきています。」に対してもう一層深く理解した。以前は他の宇宙だと思っていたが、今は私達一人一人の大法弟子を指していると悟った。私たちが一つ一つの宇宙であるため、私たちの宇宙の中で大法に同化されていない部分は解体と再造の中で更新されている。私たちの執着心、古い宇宙のすべての要素は本当にすべて取り除くべきで、取り除くのは早いほど私達の衆生を済度するのに有利だ。まさに師父が言われたように「法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない」。 同修達、私達は最後の正法時点まで更に勇猛精進しましょう、衆生の望みに背かないでください。 以上私の次元で悟ったことです。不適切なところは、同修の慈悲の指摘をおねがいいたします。 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/7/88615.html) |