日本明慧
|
文/中国大陸大法弟子 【明慧ネット2004年11月27日】私は1997年に人に紹介されてから大法と出会えた。当時は第一回目に『転法輪』を読み終えてから、これは最も良い本だと気づいた。そのときの考えとしては、人間として生きていくのは大変辛いことで、自分の前世にどれほど苦しい目にあったのかも知らないし、今世の経験した苦難を想起するとぞっとしてくる。それに自分の体も壊れたし、腰に腕も痛いし、血圧も高い、常に頭痛に襲われるものだ。もし本当に六道輪廻から逃れることができたら、それこそ願っても無い話だ。その当時は、個人でも集団のときでも、法を学び煉功するときに、何時も一心不乱にやることができ、いつも神聖で厳かに感じていた。 1999年に邪悪が法輪功を迫害し始めるようになるとき、本当に天が崩壊するほどの勢いであった。一時期は迫害を恐れているため、師父の本を数冊燃やした。後になって自分を恨んでいた。最も罪の深いことをしたと分かったからだ。悔恨の中で自分の精神も極度の憂鬱状態が現れ、非常に悩まされた。そのときに何とかまた修練したいという一念があったためだ。後に同修が私を慰めて「本を燃やしたことは罪ではありますが、唯いまから発奮して、早く法を学び煉功すればやり直せますよ。師父は慈悲であり、必ず師父の後についていくのです」と言った。 励まされた後、私は毎日できるだけ法を学び、煉功していた。朝早くおきて資料を取りに行き、そして資料を送っていた。時に資料が足りないときは、夫と一緒に紙に写してから、夜になって付近の住民のドアに挟んでいた。真善忍、善悪にはそれぞれの報いが必ず来るなどの紙を貼っていた。これらのことは比較的にやさしいし、農村の大部分には電燈もなく、一部の村にあるとしても、夜の11時になると消えてしまうのだ。 一部の人とはまだ面と向かって真相を伝えることができる。あるとき真相を伝えていると、隣人が「何とか罪…何とか言葉の諺は?」と聞きにきた。私達はすぐに思い出して「これに罪を加えようとするのに、どうして罪を着せる言葉のないことを恐れることがあろうか」と答えた。彼も「そう、そう」と言った。またある人に「法輪功は何故焼身自殺するのか?」と聞かれて、私は「法輪功は人に良いひとになるように教えています。本当に修練する人は決して焼身自殺などしないのです。ましては自殺もありえないのです。彼は法輪功に悪い影響を及ぼすことは決してしません。三蔵法師はかつて蟻を見てこれを生かしたのに、何故自殺などすることがありえようか?」と言い返した。そのときこの人も「そうだな」と答えた。後に真相資料を見て、焼身自殺は邪悪の作り出したでっち上げであり、法輪功を陥れるためだと分かった。 2002年の1月に、私達は都市に引っ越した。初めてきて周辺は全くなれないため、長い間連絡が取れなかった。また師父の経文および大法の資料を読むため、150キロほど離れた昔の場所に取りに行かねばならなかった。もともと私達周辺地区の資料は足りないのに、私達がそこを離れることで、資料はさらに減ってきた。いつものように紙に書き写すことしかなかった。このような情況の下で、私達はほぼ二年間を過ごした。書き写した資料も同じ郵便局から出すことができずに、真善忍、善悪には必ずそれぞれの報いがくるなどの紙を貼るときも、普段以上に慎重にしなければならなかった。なぜなら都市ではいたるところに電燈があるため、夜中でも外は明るかった。 私の家にはまた80過ぎの継母がいた。私は彼女に功法を教え、師父の説法ビデオ、煉功ビデオを持ち出した。若い頃あまり頭を使わなかった彼女だが、年をとってからそれ以上に頭を使いたくは無かった。数年間功法を学んで、今日に至っても他人を見ながら煉功することしかできない。継母、私と夫三人とも怒りやすい性質で、継母の言い出す言葉はすでに夫の心を傷つけた。そのため私が継母と一緒に住むことを言い出すたびに、夫はすぐにカッとなる。このように別の借家で住むことしかできなかった。一日三食の料理は自転車で駆けつけて作らなければならず、往復するのに20分はかかる。時に彼女と一緒に煉功し、部屋の片付け、洗濯なども含めて、このように二つの家のご飯と家事だけで、日中の時間をほぼすべて使うようになり、体も極めて疲れてくる。心の中ではいつもこれらのことを放下することができず、法を学ぶときでさえも集中することができなくなり、妨害も極めて大きい。自分の関門はこれだと知っていながらも、どうしても乗り越えられない。地元の同修たちと連絡が取れるようになってから、師父の経文および明慧ネットの資料も見られるようになり、同修との切磋琢磨の中で、心も些か落ち着いてきた。 師父は『転法輪』の中で「真に修練を決意できた人であれば、私はかえってそれをよいことだと言います。トラブルがなければ、心性を高める機会を与えられなければ、人を向上してゆけないものです。和気あいあいとしていて、どうして修練できるでしょう?」と仰っていた。『転法輪』は100回以上も読んでいた。正に師父の言うように、心を静めて法を学ぶことができなければだめだ。今回師父のこの話を通して、心の中が急に明るくなってきた。精神も良くなった。どんなことがあっても決して私が法を学ぶのを妨害してはならない、何事も求めずに、自然に得ると心の中で考えた。私はまた心を静めて師父の『妨害を排除せよ』を読んだ。師父はその中で「法はすべての執着、すべての邪悪、すべての嘘言を破ることができ、法は正念を固めることができるのである」と仰っていた。私はこの心を着実に放下し、心を静めて法を学んだ。本当にすべては変わった。夫はちょうど善悪には必ず報いがくるという文章を書いているとき、ある日彼は私に継母をこっちに引っ越させてと言ってきた。今では私達三人一緒に住み、楽しく生活している。私はこれらが全部大法の威力だと知っている。 人の出会ったすべての問題は皆縁である。縁があれば千里離れているとしても再会するもので、縁無ければ咫尺(咫=18cm、尺=約22,5cm)離れていても会わないものだ。ただ真面目に法を学べば、師父の法力は異なる方法で人を変えさせるものだ。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/27/90126.html) |