日本明慧


蘭州大法弟子の楊学貴は、不当な判決を下され、極度に残酷な迫害を受けている

 【明慧ネット11月23日】楊学貴は蘭州市第二人民病院総務課の幹部でした。1995年、彼は病院でも診断不能の病気にかかって、身体だけでなく、精神面でも非常に苦しんでいましたが、家族もそんな彼のことを非常に心配していました。彼は病気を治すために多額のお金を使いました。家計の負担も大変でしたが、やはり病気を治すことができませんでした。そのため、楊学貴は自分の病気に絶望感を感じていました。しかし、法輪功を修煉してから、彼の病状はだんだん軽くなり、最後には完全に治すことができました。法輪大法が彼の命を救ったのです。楊学貴は健康な体がどんな感じであるかを身に沁みて味わいました。また、彼の家族も健康になった彼と一緒にその幸せを喜びました。
 
 1999年7月22日、江沢民集団は歴史上で一番卑劣な手段で法輪功を弾圧し始めました。この弾圧は、より良い人になることを目指して道徳を守る人々に対しての弾圧であり、人々に新しい命を与える希望に対しての弾圧であり、人類の最も本質的な良知と道徳に対する弾圧だったのです。楊学貴は、道徳と良知ある公民として、“憲法”が公民に与えた合法的な権利を履行するため、2000年北京に行って陳情しました。しかし、不法にも捕まえられ、蘭州市七里河公安分局に15日間監禁されました。その間、悪警察は、楊学貴の家族に彼の生活費を要求しました(これは完全な違法行為です)。楊学貴が2回目に北京に行って陳情した時、また不法にも蘭州市桃樹坪に15日間監禁されました。警察は2回目の監禁の時も、楊学貴の家族に不当な金銭を要求しました。

 勤め先に戻って仕事を続ける楊学貴に対して、蘭州市第二人民病院は彼の党籍を除去し、毎月180元の生活費しか払いませんでした。また、警察と結託して、毎日楊学貴の生活を邪魔しました。しかし、楊学貴は “真・善・忍”の信条を固く守り、法輪功の修煉を放棄すると言う嘘は付かなかったのです。そのため、楊学貴は勤め先から理不尽にも解雇されました。

 2001年、楊学貴は、周りの人に自分が法輪功を修煉して心身がどんなに良くなったかということや、 “真・善・忍”の信条を放棄しなかったことでどんなに不公正な目に遭ったことなどを話しましたが、このことで省公安庁から秘密裏に指名手配されました。楊学貴は仕方なく、路上生活をし始めました。楊学貴が金昌に到着した時、蘭州市安全局は秘密裏に彼を拉致し、監禁しました。その後、明慧ネットでは、楊学貴が悪警察に拉致され、一カ月も不当に監禁されたことを報道しました。自分の悪行がばれたことを知って、悪人達は楊学貴を彼の元の勤め先へ護送し監禁して、どんな情報も漏れないようにしました。

 2001年11月、楊学貴は悪警察に秘密裏に蘭州市第一看守所(西果園)へ移送されました。その期間中、警察は楊学貴の家族にも彼の行方を教えず、だれにも楊学貴の行方が分からないようにしました。楊学貴は看守所で非人道的な迫害を受け、手錠と脚錠を付けられ、冷たくて湿気がある所に寝かされました。更に、毎日十時間以上奴隷のように労働をさせられました。楊学貴は極度に迫害されて、身体全身に疥癬が出ました。看守所の悪警官は楊学貴の疥癬が重すぎるのを見て、彼の家族に電話し治療を受けさせるようにしました。そこで、楊学貴は蘭州市労改病院に送られましたが、彼が入院している1カ月で、警察は不当に1450元も彼の家族に要求しました。楊学貴が入院している全期間中、警察は彼の家族から3万元以上の金額を要求したのです。

 七里河法院の悪人達は、病院の中に法廷を私設し、病床で横になって歩くことさえできない楊学貴に秘密裏に判決を下そうとしました。しかし、楊学貴の正しく厳しい追及に答えることができなくなり、自ら逃げ出しました。入院期間中、かれは病院で全ての人身の自由を奪われました。病院の邪悪な許課長は、楊学貴が持っている“転法輪”を強制的に奪いました。楊学貴が“真・善・忍が良い”と大きい声で言うと、病院の邪悪な悪人達は彼の手と脚に錠を4日間も付けました。入院期間中、かれは再び警察に強制的に蘭州市七里河法廷に運ばれ、秘密裏に懲役8年と言う不当な判決を受けました。法廷で、悪人達が大法弟子である楊学貴に真相を訴える機会を全然与えなかったので、楊学貴は “法輪大法は良い”と大きい声で叫びました。警察は、楊学貴の口にタオルを入れた後、数名の警官達が彼の回りを取り囲み、立つことができないようにし、急いで開廷しました。その後、体調がまだまだ完全に回復できていない楊学貴は、蘭州客車場監獄・獄政科の7,8人の警官によって、強制的に蘭州監獄に送られました。監獄で、警察は、身体が極度に弱くなった楊学貴に対して、更なる迫害を行いました。

 監獄で、警察は他の犯人に楊学貴をめった打ちし、部屋に閉じ込めて監禁するように指示しました。当時、蘭州は11月で、気温は零下にも下がっていましたが、楊学貴に肌着で過ごさせました。警察は、楊学貴の手と脚を一緒に絞り錠を付けた後、寒くて湿気があり暖房施設が一切無いところで10日間も監禁しました。楊学貴が身につけていたものは犯人に全部奪われました。警察は、楊学貴の体調が生きられない状態になっていることを見て、病院へ連れて行きました。蘭州監獄の7人の警官たちは、楊学貴が入院してから三月経った後、再び彼の手と脚を一緒に縛り錠を付け、蘭州客車場監獄の暗くて湿気がある部屋に一昼夜監禁しました。体調が極度に弱くなった楊学貴は再び一昼夜の迫害を受けたのです。翌日、7人の警官たちは、楊学貴を秘密裏に臨夏監獄に移送しました。臨夏監獄は蘭州からずいぶん離れているところですが、警察は楊学貴の家族に彼の行方を一切言いませんでした。楊学貴の母親が、ご飯を持って病院へ見舞いに行った時点で、楊学貴が数日前から病院にいなかったことが知らされたのです。楊学貴の母親が一所懸命息子の行方を捜して、ようやく息子が蘭州市からずいぶん離れている臨夏監獄に監禁されていることを知りました。楊学貴は、臨夏監獄で、獄吏から更なる迫害を受け続けていました。楊学貴は、再び5平メートルもない寒くて湿気た暗い部屋に監禁されていました。現在まで、彼は湿気た地下室で7カ月も監禁され続けているのです。監禁されていた7カ月間、楊学貴は部屋から半歩も離れることができませんでした。

 楊学貴が不当に監禁されている期間中、警察は楊学貴に“真・善・忍”の信念を放棄するように脅かしましたが、楊学貴は “真・善・忍”を自分に要求し、良い人になるために努力することは間違い無いと自分ではっきり認識しました。転化を拒否した楊学貴は、甘?省の臨夏監獄で更なる迫害を受けているのです。楊学貴の家族は彼のことを心配して、面会を要求しましたが、悪警察は公民の正常な面会権利を奪い、現在、彼との面会は全然できない状況です。中国の労働矯正所、監獄および洗脳班でのいわゆる転化とは、食事をさせない・体罰を加える・眠らせない・家族との面会の権利を奪う・奴隷のようにこき使う・労働時間の延長・酷刑で迫害する、などです。これが、江沢民の統治下と独裁暴政下での中国の人権が一番良い時期だというのです。江沢民犯罪集団は、最終的に恥ずべき不名誉な判決を受けるのは間違いありません。そして法輪大法の真相は、必ず世界中の人々に伝えられるのです。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/23/89838.html