劉宗英さんが2001年の遂寧市での不法な「公判」を暴露
文/遂寧市法輪功学習者 劉宗英
【明慧ネット2004年11月16日】私は四川省遂寧市の法輪功学習者で、女性、今年55歳になります。遂寧市中区仁里町老街45番に居住し、96年7月に法輪功の修煉を始めました。
法輪功に正義を取り戻し、憲法の与える権利を履行し、政府部門に私達学習者の真実な情況を説明するため、私は2001年元旦北京へ陳情に行きました。結局逮捕され、遂寧市北京駐在の警官に故郷に連れ帰られ、遂寧市呉家湾留置場に不法に拘禁されました。その後、霊泉寺留置場に移送され、他の犯罪者と一緒に拘禁され、人身の自由を剥奪されました。また同時に家宅捜査され、大法の書籍などを没収されました。2月中旬、私はまた強引に仁里の町中を、引き回され見せしめにされました。仁里町派出所の警官は何度も家に恐喝にきて、2001年2月9日に家に来たときは、お金を払えば、妻を釈放すると夫の王孝弟を騙しました。8000元をゆすられた後、釈放してくれないばかりか、1年の労働教養を下されました。
2月23日に遂寧市の邪悪な警官などは、不法に留置場、拘置所に拘禁されている約30人の法輪功学習者をがんじがらめに両手を後ろに縛り、死刑囚を乗せるような車に無理やりに乗せました。すべての法輪功学習者は2人の凶悪な警官に両腕を支えられ、胸に1つの大きさ2尺ぐらいの札をかけられました。札には「法輪功頑固分子」と書かれていました。彼らはパトカー20、30台を出動し、遂寧市テレビ局を留置場の入口に集め、撮影させました。またその時群がる人々でいっぱいでした。
邪悪な警官は私達を遂寧市体育館に護送し、法輪功学習者を迫害するいわゆる「公判大会」を開きました。スタジアム内には多くの消防車と救急車が止まっていて、スタジアムの中も外も警官がいたるところにいました。30人以上の法輪功学習者の中、最も若い人は20歳ぐらいで、最も年上は70歳でした。50代、60代の人は6、7人もいました。70歳の老年学習者の許素容さんは髪の毛が真っ白でもう歯もありませんが、まったく人間性のない凶悪な警官は、彼女さえもいわゆる「裁判台」に立たせました。
遂寧市の高校、中学校、小学校の教師と学生、企業・国家機関、下部の幹部から政府の要員まで、合わせて2万人近くが参加させられました。スタジアムの周りいる人たちは水も漏らさぬほどでいっぱいでした。邪悪な警官たちはまたスタジアムの近くにある7、8階の高いビルの屋上に大法を誹謗する大型の黒い横断幕をかけました。高校、中学校、小学校のクラスごとに数枚の暗いスローガンを挙げていました。彼らは30数名の法輪功学習者をそれぞれ裁判台に上らせ、不法に労働教養を「公判」しました。多くの法輪功学習者を迫害し、更に多くの嘘にごまかされた民衆を毒しました。悪人はまたすべての参加している人を、法輪功に反対する署名活動に参加するよう動員しました。正義感のある何人からの傍観していた人たちは「これはいったいどんな時世でしょう、このような60、70歳のおばあさんを悪人と扱いするなんて。法輪功を修煉するぐらいで、メリットがないと誰も修煉しないのに! これはなんと罰当たりなことだ!」と言いました。
その後知ったことですが、邪悪な警官は法輪功学習者を迫害した「公判」をCDに制作し、家族に見せました。私の夫の王孝弟は見た後、この大きなショックに耐えられず、長い間食欲がなく、極度に悲しみました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/16/89339.html)
|