日本明慧


60歳の老人はパソコンを勉強

 

 文/如願(法輪功学習者)

 【明慧ネット2004年11月9日】1人の60歳の老人は、現地の学習者が師父の経文と明慧ネットの文章をタイムリーに読むため、パソコンの技術を勉強することを決めた。固いたこがいっぱい出来ている両手は、小さなマウスをしっかりと握り……

 私は迫害により、やむを得ず路頭に迷った法輪功弟子で、今年60歳、無学のものです。私の郷里は大きな町ですが、真相資料の拠点は1つもなかったのです。数年来、真相資料はすべて他のところからもらうので、非常に不便でした。道のりが非常に遠いことを別にしても、ときに前の日に《明慧週刊》を取りに行ってきたが、翌日には師父の新しい経文が出ると、夜中にタクシーで再び取りに出かけました。自も不便だったし、他のところの学習者にとっても、大きな負担になります。明慧ネットで学習者は至る所に資料拠点を作ろうと何度も提案していたので、私達の地区の学習者も、1つの資料拠点を作りたいと思いました。しかしずっとできなくて、資料拠点を作ったらすぐ悪徳な警察官に破壊されたこともあります。

 私は故郷に戻り、小さな真相資料の拠点を作って、他のところの学習者の負担を減らそうと思いました。同じ大法弟子なのに、どうして私達は自分で解決することができないのでしょうか?!

 故郷に戻った頃、地元の多くの学習者は恐れる心を抱いていたので、私と接触したくなかったのです。私は毎日、部屋の中でシルクスクリーンにより真相資料を印刷し、時には心がとても苦しいと感じました。そのつど、流浪の時、身近に居た学習者が資料を作ったため、逮捕され、殴られ、甚だしきに至っては迫害され死に至ったことを思い出して、涙が抑えられないのでした。私の今のこれっぽっちの苦しみは比べ物にならないのではないか?!この時、先生の話が耳に響いてきました。「しかし大法があなたを円満成就させようとする時、あなたは人から脱皮することができず、邪悪な勢力が大法を迫害している時、あなたは表に出て大法を証明することができなかった。このように大法からメリットを得たにもかかわらず、大法のために何も貢献したくない人は、神から見れば最も良くない生命なのである。」(《精進要旨(二)》「提案」)

 私は一生懸命法を勉強し、「正念を固めれば何でもできる」と悟りました!学習者たちの協力で、真相資料の作成は順調に行なわれ、地元の需要を完全に満たすことができました。最初私と会いたくなかった学習者も、私と一緒に交流して、一緒に法を証明するようになり、故郷において法を正す情勢は好転してきました。私は「法はすべての執着、すべての邪悪、すべての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができるのである。」(《精進要旨(二)「妨害を排除せよ」》)という説法を真に体験しました。

 この時に私はまた考えた。もし私もパソコンを持っていれば、明慧ネットと他の大法ウェブサイトからの資料を印刷するだけではなく、更に自分でダウンロードして、本当に他のところの学習者に面倒をかけないことができるのではないか。私がこの願望を持ってほどなく、師父の加護のもと、本当にパソコンを手に入れました。

 しかしパソコンがあっても、問題が解決したわけではないのです。私はもう60歳だし、文化水準が低く、ハイテク製品を使ったことがなく、自信がありません。ただ、地元の学習者が明慧ネットの資料を手に入れる事は容易ではないことを見て、誰か教えてくれさえすれば、私はきっとマスターすることができると考えました。師父と大法は私に知恵を与え、「自分ができない」という考えは、自分の観念ではないか?その観念を取除かなければならないと決心しました。

 初めて、固いたこがいっぱい出来ている手で、小さなマウスをしっかりと握った時、手は思いのまま動かせないくらい震えていました。手のひらには汗が出てきて、心も緊張してぶるぶる震えているようでした。学習者が丁寧に、辛抱強く教えてくれたので、私はゼロから習い始めて、だんだんインターネットを覚え、ダウンロード、文章印刷などをマスターしました。(訳者注:中国では、敏感サイト(例えば、法輪功など)は閉鎖され、そちらにアクセスすることを禁止され、勝手にアクセスしたネット利用者は見つかったら逮捕され、さらに刑罰を下される——そのため、中国で敏感サイトにアクセスするのは結構厄介なことで、ネット上の閉鎖を突破する技術、セキュリティ技術を必要とする。)今では故郷の学習者もタイムリーに師父の新しい経文と明慧ネットの資料を見ることができます。本当に嬉しい!これは私達大法弟子にとっていかに大事なことでしょう!ある日、法を勉強する時次のように悟った。もっと多くの衆生を救い済度するため、「自分ができない、自分が駄目だ」という自分の観念を捨てることは、自己を考えずに無私であることで、本当に法の要求に従うことです。

 今、自分がシルクスクリーン印刷からパソコンを勉強する経過を思い出すとき、もっとも感じた事としては、自分が年寄りで、無学であることを思わないことでした。これ自身が障害で、突破すべきものです。そのため、ここで条件のそろった学習者は、パソコンの技術をマスターして、大法の資料拠点を至る所に置き、法を証明する事をしっかりと行うように呼びかけます。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/9/88739.html