真相を知り、修煉をはじめる
文/中国大陸の新しい学習者
【明慧ネット2004年11月11日】わたしは、中国大陸の新しい学習者で、「自由のブラウザ」により、インターネットを利用して2、3年が経ちました(注:中国では、法輪功に関するサイトなどは閉鎖され、アクセスを禁じられるため、アクセスするには、「自由のブラウザ」といった専用ソフトが必要となる)。インターネットを通じて、法輪功迫害の真相を知り、法輪大法の修煉をはじめました。人の心や社会道徳が後退しているこの時代に、本当の自分の家に帰るという道を探し当てることが出来ました。
数年来、わたしは多くの疑問に悩み、失望感にさいなまれていました。そして、2000年10月、発電所の仕事を辞め、孤独に各地をさすらい、このまま一生を終えようと考えました。流浪生活を送っていた数年間、中国社会に存在している様々な現状、特に国有企業の現状といったものが、あからさまに目の前に現れました。中国社会の現状については、既に皆さんに知られていることとは思いますが、この流浪生活を通じて、実感することができました。未来への望みが見えず、ただ人生の結末を待っていました。ところが、「自由のブラウザ」を介して、中国で起きている多くの事実、特に法輪功の関連について知りました。法輪功が1992年に伝えられた当時、自分は大学生であり、99年に法輪功が中国共産党によって弾圧されるまで、法輪功に対し、関心を持っていませんでした。
仕事もなく、毎日インターネットを見ていました。まず、「自由のブラウザ」と「ダイナミック」を最初に見ます。当初から、法輪功の関連サイトをよく見てはいましたが、内容について深く考えたことはありませんでした。ある日、大量の法輪功学習者が、殺害されたというニュースを目にした際、一つの素朴な疑問が起こりました。それは、「これらの学習者たちは、法輪功に何を見いだしたのだろうか?中国政府の“無神論政策”により、徹底的に洗脳された人々が、簡単に何かを信じることはないはず…。これだけ多くの人が、一つの気功功法のために献身し、命も惜しまないのはなぜであろうか?」というものでした。この疑問により、ネット上の法輪功関係の情報を専ら閲覧することにしました。また、李先生の書籍、経文を読む前に、予言に関するものを読んでおこうと思い、《格庵遺録》(解読)を読み、大きな衝撃を受けました。そして、半信半疑ながらも、李先生の《転法輪》をダウンロードしてみました。
《転法輪》の内容には強く惹かれるものがあり、また自分の疑問を解いてもくれました。読みはじめると、次々と読みたくなるものがありましたが、数日をかけ、一回読み終えました。その間に《普度》、《済世》といった法輪功の音楽も聞きましたが、この二つの曲にも感じるものがありました。《転法輪》の内容は、分かりやすいと感じますが、また分かったように感じても、その後思い起こしてみると、あまり覚えてはおらず、また読みたいと感じさせてくれます。
不思議に感じたことは、李先生が本に書かれているように、本を独学する人でも、講義を聞くように、体が浄化されるということです。わたしの身体も、本当に浄化してくださいました。本を読み、音楽を聞いていると、突然熱くなり、風邪を惹いたかの様に感じましたが、風邪ではなく、身体が浄化される状態でした。その後は、身体がすごく軽く感じ、精力が満ち溢れた感じがします。そして、驚いたことには、胃や肝臓の病気が完全に治ったことです。本当に不思議です。神が存在しているということを信じざるを得ません。少し前までは、神の存在など全く信じてもいなかったのに、正に青天の霹靂です。
李先生は、法輪大法が性命双修の功法であるとおっしゃいました。李先生の教えに従い、しっかり励んでいきたいと思います。人生の結末などをもう待つこともありません。最近《転法輪》をネット上から書き写しました。本は入手できず印刷も出来ませんので、書き写すしかないのです。本がないという状況下では、法を学びたいと思っても、法理を理解することもままならず、困難が伴います。
李先生は、わたしたちの多くの業力を引き受けてくださったことを思いますと、何を以って、このご恩に報いることができるのかと、涙が止まりません。今の思いは、とても言葉で言い表すことはできません。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/11/88876.html)
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