日本明慧


正念を持ってしっかり翻訳の仕事をやり遂げる

 文/海外大法弟子

 【明慧ネット2004年12月1日】法を得る前に私は朝早く起きて、夜遅く寝ながら必死に英語の勉強をしました。師父は、この世の全ては偶然ではないと教えられました。今になって悟りましたが今までの英語の勉強は、真相を説明して衆生を救い済度する最適な言語環境を作るためのものでした。同時に、中国人学習者と西洋人学習者たちの法の交流に大きく寄与しました。私が住んでいる町には、中国と西洋の学習者が半々ですが、双方の交流は正法の進展状況に従って急激に増えました。だから、私は多くの通訳の仕事に携わることになりました。今日、ここで私は明慧ネットの一角を借りて、海外の英語ができる大法弟子と翻訳上で自分が経験したことについて交流したいと思います。

 1.中国と西洋文化の架け橋の役割を果たすべきである

 現在、全ての大法弟子は全面的真相を説明し、衆生を救い済度しています。これらの活動は、中国と西洋双方の学習者が互いに積極的に協力し合うことがきわめて重要なことになります。しかし、言語と文化の違いによって西洋人学習者と中国人学習者の間にはいつも障害が生じました。たとえば、英語ができる学習者がいない場合、双方の交流はできず、結局最後には二組に分かれて活動を行いました。ある年配の中国人学習者は、命令的な口調で若い西洋人学習者を扱ったりして一部の西洋人学習者は理解できないと言いました。西洋文化によると若者にせよ、年寄りにせよ、互いに尋ねるような話しぶりで、常に「どうぞ!」とか、「有難うございます!」を言います。このような問題が起きる度に私は顕示心などの執着に助長され、問題を根本から解決するどころか、かえって、問題を激化させたりしました。私は法の勉強と正念正行の重要性を意識しはじめました。再び問題が起きた時は、まず冷静であるようにと自分自身に言い聞かせ、如何なる常人の観念、執着を持たない状態で双方の言い分に説明を行いました。問題が突出していない時は、普段からよく双方間の文化の違いなどを注意深く観察し善意を持って、双方の説明にあたりました。このようにしてはじめて双方間の問題を減らすことができ、大法の仕事をする上で上手く協力し合うことができました。

 もう一つ、英語ができる中国人学習者は、積極的に西洋人学習者と交流し、適切に大法の情報と進展状況及び経験談等を紹介しなければなりません。ある時、空港で真相を説明していた時、海外からきた西洋人学習者に出会いました。彼は「私が住んでいる町には英語ができる大法学習者が少なく、多くの場合中国人学習者が何を議論し、また何をすれば良いのかまったく知りません。しかたなく、私はあきらめてひっそりと家で一人で煉功しています」と、言いました。彼の話しを聞いて、私はすぐ自分が良く行っていないところが意識されました。実は、私も周辺の西洋人学習者に対して責任を持って、一人ひとりに大法の情報などを教えたことがありませんでした。この出会いは、彼と私の互いの向上のために師父がわざわざ按配してくださったと私は悟りました。

 言語と文化の違いは旧勢力の按配であり、英語と西洋文化に得意な学習者は双方の架け橋になるべきです。同時にこれらの旧勢力の按配を全面的に否定しなければなりません。問題が生じた時、双方の学習者は内に向って原因を探し、言語と文化の違いにばかりこだわってはいけません。現在、近所の多くの年配の中国人学習者は積極的に簡単な英語の勉強を始めると同時に、できる限り英語で西洋人学習者と交流を行っています。一方で、西洋人学習者たちも積極的に中国語の勉強と中国の文化を習っています。一部の西洋人学習者は正確な中国語の発音で真相説明をする中、素晴らしい作用を発揮しています。

 2.「真」に修練することに重点をおいて、翻訳に対して責任を持つべきである

口頭上の翻訳にせよ、文書上の翻訳にせよ、翻訳に携わる学習者は「真」というところで努力すべきです。一つは、絶えず英語のレベルアップに努め、もう一つは、翻訳しにくい単語あるいは意味が理解できない文書については、著者に聞くかあるいは明確にしてから翻訳すべきです。勝手に自分の意思を翻訳に入れ込むとなると、本文の意思を正確に伝えることができません。
翻訳に携わっている多くの大法学習者は、プロではありません。だから「真」に達するためには基礎的な訓練を強化し、翻訳の正確性を強化しなければなりません。正確な言葉で西洋の学習者と順調に交流を行うために、また各種の翻訳仕事を成し遂げるためには、英語版の『転法輪』を通読することがきわめて重要なことです。『転法輪』の中の単語はすべて大法学習者たちの詳細な確認のもとで用いられたものです。だから、翻訳中に使われる言葉は正確で、ちょっとした油断も許されません。さもなければ、大法の本義を変えてしまうことになりかねません。

 3.翻訳を行う時、常人の心を切り捨て、強い正念を持つべきです

 一部の文書の翻訳をする時、私はいつもぎりぎりのところでやっと仕上げるような状態でした。心では翻訳の重要性をわかっているつもりでしたが、実はさまざまな常人の執着に邪魔されていました。たとえば、一日の会社の仕事で疲れ切っているのに他の大法の仕事もあるし、また英語のレベルの限界を恐れるなどの常人の執着が動くことです。これらの執着が一斉に浮き出ると翻訳がますます遅くなり、遅くなればなるほど心が落ち付かず、期間内に仕上げなくてはという不安で頭が硬くなってしまい、どうしても思った通りにうまく行きませんでした。その後、私はこれらの常人の執着が旧勢力に隙に乗じられ、持っている知恵が塞がれているのだと悟りました。そして、私は正念を発してそれらの常人の執着を放下し、無為になりました。その結果、思惟が明白になり、翻訳も順調になりました。夜中の2、3時までやっていてもまったく眠気がなく、疲れも感じませんでした。文書の仕上がり具合もとても良かったです。
またある時は、冷静で穏やかな心理状態で翻訳を始め、如何なる執着心も持っていないつもりで、翻訳のスピードも速く、質もまた優れたものでした。しかし、しばらくすると自分で自分の翻訳文を偉いと思うようになり、それに同修から二言三言褒められると歓喜心と顕示心がすぐ現れました。このような状態で翻訳を続けると頭は空っぽになり、非常に簡単な単語でさえ思い出せません。常人の執着に邪魔されていると悟り、素早く心の状態を整えて、正念を強化しました。すると次第にまた正常な状態に戻って翻訳に集中することができました。

 翻訳をやっているうちに私は、何度も正念の威力と大法の神秘さを体験することができました。少し前、私は20ページもある江沢民告訴資料の翻訳を頼まれましたが一週間内に完成するようにと同修に言われました。しかし、昼間は会社勤めなので夜の時間を利用するしかありませんでした。二日間、夜の時間を利用して4枚を訳しました。しかし、三日目になって同修から急いで翌日までに仕上げるようにという連絡が入りました。これを聞いて私は唖然としました。「できるわけがない。食べず、寝ず、出勤せずにやっても不可能なことだ」と思って、他の同修の助けを求めようとしました。しかし、翻訳の能力を持っている同修たちは皆、忙しくて時間がありませんでした。私は冷静になって考えを切り替えました。「これは、江沢民告訴資料である。言うまでもなくその意義は重大である。旧勢力は間違いなく全力を尽して妨害しようとするはずだ。心をしっかり構えて、旧勢力の按配を否定し、必ず資料の翻訳を完成させよう」と、私は強い正念を持って翻訳を決意しました。この一念が出た瞬間、奇跡が起きました。私の思惟はまるで泉水のように絶えることなく正確に働き始めました。昼休みの時間と他の零細な時間を利用して、仕事にも影響を与えず、当日なんと16ページもの資料の翻訳に成功しました。その夜、西洋人の同修に修正を頼んで期間内に仕上げることができました。

 またある日、ニュージーランド北島の同修と交流する時、中国語の資料を手に持って見ながら、直接英語に訳しました。あまりにも正確で流暢な英語に私自身もびっくりしました。西洋人の同修は私が英語版の文書を読んでいるとまで思っていました。実のところ、翻訳をする時私は、いつも頭のてっぺんの上方で法輪が回転していて、強いエネルギーが私の全身を包んでいるように感じています。

 4.大法が私たちに与えた特殊な使命に背くことはできません

 ニューヨークにいた時のことですが、「迫害展示会」 に出演する年配の同修と交替でやりましょうと言いましたが、彼らは英語が得意なあなたは人々に真相説明をたくさんやって下さいと代わってくれませんでした。英語が話せない同修は私の後ろで法輪功の横断幕などを広げ出して、一緒に町に出ました。私が看板を持ってあげようとしても英語ができるあなたは真相を説明し、たくさんの人々を救って下さいと言いました。私は涙が止まりませんでした。私は、偉大なる大法、偉大なる師父の慈悲と大法弟子の慈悲を深く、深く感じ取ることができました。同時に、私自身の責任の重大さをも強く、強く感じました。

 どうして、私たちは西洋の国に来たのでしょうか?どうして私たちは流暢な英語が話せるのでしょうか?私たちは大法の一粒であるからこそ、旧勢力が按配した言語と文化の弊害を突き破ることができるのです。私たちは、中国と西洋の大法弟子の間を結び付けて、大法弟子が一つになってもっともっと真相をはっきりと説明して、衆生を救い済度するのです。私たちは大法が私たちに与えた使命に背くことができないのです。

 最後に、師父の『洪吟』(二)の中の詩「無阻」を持って、同修たちと互いに励まし合いたいと思います。

無阻

修練の道は異なるが
みなが大法の中にいるのだ!
万事に執着せねば
歩むべき道は自ずとできるはず!


 みなさんの異なる次元の認識を書き出してみなさんと一緒に交流できればと思います。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/12/1/90360.html