共産党が大法を迫害する中での役柄を掲示することは衆生を済度するためにある
【明慧ネット2004年11月28日】
明慧ネットは2004年11月27日に『江沢民が共産党と結託して行った法輪功への迫害についての評論』をテーマとする評論を掲載した。評論は法輪功を迫害する問題について、江沢民はいかにして共産党と結託したのかを論述している。文章の中で彼らが共通にもつ邪悪な根源、法輪大法を迫害する具体的なやり口、もたらした厳重な結果および彼らの必然的な運命についても述べられている。
文章は邪悪の首領についてだけでなく、また旧勢力が大法を迫害するために前もって作った共産党についても関連させたため、一部の同修たちはそれについて交流を行った。これより以下のように整理し、より多くの同修との交流を図る。
江沢民と中国共産党の結託および法輪功への迫害は事実である
同修A:正にこの評論の文章が述べているように、江沢民個人だけなら、どんなに邪悪であるとしても、どれほど“真、善、忍”の大法を敵視していたとしても、中国共産党の力が無ければ、全中国を総動員して、大法を迫害するように発動することは不可能であろう。
同修B:中国共産党は江沢民が法輪功を迫害するのに従ったということは、それらの本性と関係を持つことは確かである。中国以外において、人々は真善忍を提唱する法輪功が迫害に遭うことは信じがたいであろう。実際のところ、それは人々が無意識のうちに共産党が同じく“偽り、悪、争い”という本質をもつ現実を無視しているためである。
真相を伝え、邪悪を暴きだし、衆生を済度するのに変わりは無い
同修D:わたしたちはある問題に気づいた。それは常人というものは、中国共産党が直接大法を迫害していることを私達がはっきり指摘したことについて些か反感を感じ、私達が最終的に中国共産党に対抗するだろうと考えている。しかし実際のところ、常人の考え方は私達修練者の考え方とは異なっている。考え方どころが、基点、やり方および目的までも異なっている。私達が物事を達成するときの基準は衆生を済度するのに有益であるかどうかである。
同修A:共産党は数十年にわたって人民に対してあまりにも多くの悪事を働いてきた。常人は法輪功学習者が彼らと一緒に共産党に反対することを希望しており、そうすることは理解できるのだが、実際にはそれは不可能である。なぜなら私達大法弟子は常人ではないからであり、修練とは常人のすべてから超越することである。つまり、政治は人間世界のものであり、人間がそれをどれほど重んじようとも、それは修練者が超越し、放棄しようとするものである。
同修E:修練者は政治に参与しない、でなければ本当の修練ではない。これは大法の修練の原則に定められていることである。しかし私達は世間で起きたすべてについてはっきりと理解している。中国共産党はなぜ江沢民と結託して私達を迫害するのかということについても、私たちははっきりと分かっている。つまり衆生を済度するためであり、衆生に共産党の邪悪性を見せ、大法の素晴らしさを見せるためである。従って、私達が中国共産党の大法への迫害を暴き出すことは、常人が政治の目的で共産党に反対することとは、その基点が全く異なる。
同修D:その通り、私達の基点は衆生を済度するためである。修練者は常人社会の誰が権力を握ろうと、どんな政党が政治を牛耳ろうと気にしていない。しかし誰であろうと(個人、組織あるいは政党)、大法および大法弟子を迫害すれば、私達はその犯した罪を暴き出し、世人にその本質をはっきりと見させ、人々の心中に残されている恐怖を取り除くのである。師父は説法の中で一つの例を挙げていた。ある人が講義を聞いているとき、その目でたくさんの別空間にある厳かで美しい真実の情況を目の当たりにした。自分も喜んで他の人に言い聞かせた。しかし言い終えた後に、突然「私は共産党員だ、これらのものを信じない」と言った。共産党に対する愚かな忠誠心、幻想および恐怖、そして“共産党的感情”は、実にたくさんの人に真理を認識させ、真相を受け入れさせることを妨害している。
江沢民は一人の人間として、大法を罪に陥れ、邪悪集団を指揮して大法を迫害している。私たちはそれを暴きだし、全世界で彼を起訴することは、彼の流し出した毒を除去するためであり、彼に毒害された衆生を済度するためである。中国共産党に対しても同じことである。中国共産党は大法を迫害することは、すでに既成の事実となっている。もし中国共産党が大法を迫害しなければ、衆生に大法を恨む邪悪な嘘を散布しなければ、私たちは決してそれについて言及などはしない。しかし共産党が大法を迫害し、衆生を毒害したため、私たちはその罪悪を暴きだす責任を持つ。それが一つの政党組織であるが故に言及しないわけにはいかず、徹底的に整理しないわけにはいかない。
当然のことながら、大法弟子として正面から真相を伝え、私たちはただ迫害および迫害と関連のあることしか伝えない。これは始終変わっていない。実は修練の基礎があるため、私達個人が社会の一員として共産党について言及したとき、私達も同じように何の政治的訴えはなく、常人のように誰かに権力を握らせ、誰かを打倒するなどの政治的意図はまったくない。大法弟子は修練する者であり、人々に迫害の真相を分からせる責任を持っている。人々により素晴らしい未来を持つようにする義務がある。自分の心の中で政治に執着しなければ、情緒をも帯びないで、理性を持って問題の本質をはっきり見ることで、政治を超えて真相を伝える。共産党は結局どうなるだろうと、それは共産党が正法の中での選択によって決定されるものであり、善悪にはそれぞれの報いがくることは宇宙の法則で決定されたものである。
恐れる心、政治に参与しないことおよび根本的な執着について
同修A:明慧ネットの転載したこの文章を読んでから、理解できない同修もいる。一部の同修はやはり恐れる心がある。一つは共産党を恐れている。なぜなら学習者は皆共産党がどのように法輪功を残酷に迫害したかを知っている。自分の安全への不安のため、共産党に触れないほうがよいと考えている。もう一つとは修練しない家族に理解されないことを恐れている。さらにもう一つの恐れる心とは、政治に参与することを恐れているのである。
同修C:このような情況はありますね。私はある同修を知っている。彼は数年来迫害に反対し、真相を伝えることなどを積極的にやってきた。彼は大法が人は政治に参与しないと教えるところが素晴らしいと考えているためである。しかし“政治に参与する”ことについて、彼には人心による定義あるいは概念というべきものをもっている。例えば、彼が真相を伝える中でいつも他人に「自分たち修練者は政治に参与しない。邪悪を暴きだすことは個人に向けていることであり、例えば全世界で江沢民を起訴する。」といつも言っていた。それはつまり、彼は“個人に対するものであり、共産党に対するものではない”が政治に参与するかしないかの基準となったわけだ。しかしこれらはすべて形式上のものであることを忘れている。実際のところ、私達が江沢民などの迫害者を起訴することで、真相を知らない人および自分個人の政治観念を持つ人も、私達に“政治に関わっている”というレッテルを貼るのであろう。
これは正に私達がさらに放下すべき人心であり、正念を立たせ、さらに自ら正面から真相をはっきり伝えるべきところでもある。
自分の理想的な追求と共産党の人を迷わす嘘をはっきり区別すること
同修D:私はまたこのような学習者を知っている。彼は古い共産党員である。彼も大法が良いのを知っている。そして中国共産党が大法を迫害しているのを知っている。しかしあなたがひとたび中国共産党の大法に対して犯した罪悪を口にすると、彼はそれを受け入れなくなり、ひいては無意識のうちに共産党のために弁護する。本当の共産党とは今の大法を迫害するようなものではないはず、つまり共産党とは本来もっとよいものだと彼は考えている。確かに共産党の主張も悪くは無く、特に人を惑わすのはそれが人間天国にも似た共産主義を追求することを言い出したところにある。しかし現在の中国共産党の汚職腐敗および大法を迫害するこのような邪悪の事情について、彼はそれを現在の共産党員が変わったために、共産党を腐敗させたと考えている。明慧ネットで転載されたこの文章を読んでからも、彼はそれを受け入れることができなかった。
同修B:これは数十年間に渡る共産党の詐欺に満ちた宣伝と関係を持ち、そして個人の経歴とも関係を持っていると思う。すべての大法弟子は皆ただのありふれたものではなく、その生命の本質は素晴らしさを追及し、返本帰真すべきことである。そのため、彼が常人社会の中で、あれこれと求め、理想を追求しているが、中国共産党の環境の下では、この種の追及は容易にも中国共産党の宣伝に引き付けられ、共産党の一部の宣伝のスローガンこそが、自分の人生の追及する目標であると誤認させられている。しかも中国共産党の本質における“偽り、悪、争い”を知らない。ひいては中国共産党が絶えずその宣伝するスローガンに違反しながら悪事を働くことを個別の指導者の歪曲した綱領だと考えている。長期にわたって、彼は知らないうちに自分を共産党の一部だと看做すようになった。
同修E:中国共産党が大法を迫害するという事実を指摘することで、一部の同修の根本的な執着に触れたと私は思う。私は修練する前に、特に“大法における修練は政治に参与しない”という法理に賛成していた。今回こそ浄土を見つけ、汚れた政治とは別れることができたとばかり考えていた。この種の考え方の基点はまだ人間にある。それから絶えず自分を高める中で始めて、この種の願望は間違ってはいないが、しかし唯この種の追及に限られただけでは、ある時期になると必ず執着になり、絶えず昇華するための障害となるとわかってきた。
一部の共産党員を長年やってきた同修は、同じような心構えを持っているであろう。彼らも当初から唯一種の純粋な理想を追求するために、共産党の“人民のために幸せを謀る”“無私”などの宣伝を信じたことであろう。それで共産党に加入したのである。数十年間経ってもこれらの古い党員たちは変わらずに、依然として当初から抱いていたい美しい幻想を放棄しようとしない。たとえ共産党の一貫した邪悪な作為を見ていても、理性を持ってこれは共産党の本当の本性のためにもたらした事実であることを受け入れようとしない。未だ“正統”のマルクス・レーニン主義および共産党の思想こそが高尚で無私であり、そして現実に合わない“理論”を抱いている。つまり、一人の人間のように、一生のうち悪事をやりつくし、人を傷つけることをやりつくした人は、実際のところ自分が本質的に邪悪そのものであることを証明しているのではないか?
これらの学習者は当初から同じような追及する心を持って大法を修練するようになったのかもしれない。しかし一時期修練すると、特に正法が最後の最後にきた今となって、大法弟子として、修練の人として、常人社会に執着するあらゆる思想、感情を放下すべきである。共産主義の理想であれ、マルクス・レーニン主義の教育であれ、個人に対する感情(憎しみあるいは名残を惜しむ)などなど、これらすべては人間世界のものではないか?すべては常人の心ではないか?すべては物質の存在ではないか?大法の修練は人間社会の何かに符合するように執着するためのものではない。これらのものが心の中に留まることで、修練の妨害となり、“人”から出られなくなる。共産党の宣伝する無神論は宇宙に反し、世人を毒害するものではないか?学習者はすでに無神論を否定する大事な一歩を歩み出しているのに、なぜそれ以上前に進めないのか?なぜ人が神となる全過程を最後まで歩めないのか?新しい宇宙の正覚は必ず清らかで清浄なものであるときに初めて元に戻れるものである!
同修D:師父が説法の中ですでに述べられたように、私達のような今日の生命は、その本質まですべて変異していると。共産党の長期にわたる汚染された環境の中で、たとえ修練者としても、もし人の感情に左右されたら、自分自身からその汚染された痕跡を消すことは極めて難しい。一部の変異したものは自分でも長期にわたって意識しないものである。共産党の思想体系の中で共産党がいかに悪いのかを論じても、また共産党にコントロールされる表現にすぎない。また本当の現実をはっきりと見ることができないのである。
同修E:実に、中華5千年には深遠な文化の中で、どれほど道徳高尚な人物を作り出したことだろう。中国共産党が権力を握る前に、中国にはまたたくさんの仁義の士がいた。つまり“文化大革命”の前まで、たくさんの人はまたかなり高い道徳基準を持っていた。しかしながら、中国共産党はそれらのよい願望を持ち、道徳の高い人をそれ自体の中に入れて、共産党の教育の成果であり、彼らが高尚な共産主義の道徳を持っていると言いふらしていた。実際のところ、これらの人が共産党に自分の面子を飾るために引っ張ってきたものである。しかし共産党の“絶対的唯物論”、“無神論”および“偽り、悪、争い”などの本質こそが、正に人の道徳良知を腐敗させるものであり、正に中国社会に現れた、この種の道徳を喪失状態に至らせ、そして危機状態にさせた直接の原因である。だが一部のその本質を見破ることのできない人は、まだ騙され続けいている。善良な願望を持ちながら、共産党が“過ちを改正し”ひいては“混乱を静めて正常に戻す”ことを期待している。中国共産党のこの種の詐欺の手法は実に人を容易に惑わすことができるもので、また法輪功を迫害する中で十分に発揮され、たくさんの人を騙したのである。
大法は慈悲であり、一切の衆生を済度する
同修B:常人にこのように聞かれたことがある。即ちなぜ今になって初めて中国共産党が法輪功を迫害するという明らかな問題を提起するのだろう?それは法輪功の政略じゃないか?と聞かれた。私は政略の問題ではないと思う。私達の迫害に反する原則はいつも変わっていない。私は、これは真相を伝え、衆生を済度する際に自然に生じる現象であると考えている。なぜなら前の同修が言ったような共産党に忠誠心を持ち、現実を承認しようとしない人たちを除いて、また以下のような人がいるからである。
・ 一部の大法弟子から迫害の真相を聞き、それから迫害の存在および邪悪さを知ったが、迫害には賛成しないが、共産党にも反対しない人
・ たくさんの人は共産党が自分にもたらしたちっぽけな既得利益を擁護するため、また同時に“共産党に反対する”というレッテルを貼られて共産党の迫害に遭うことを恐れているため、擁護しないどころか、ひいては“真善忍”という世に普く認められる価値を排斥している
・ たくさんの悪徳な警察は、迫害されているのはよい人であるのをはっきりと知っていながらも、江沢民からやれといわれたから、共産党からやれといわれたからやっているのだと口にしている。共産党およびその権力を絶対的真理だと看做している。
・ 一部の迫害の真相を知っている常人は、迫害に反対しないどころか、却って共産党に対して感激の気持ちさえ抱くようになった。ある大法弟子はかつて文章の中でこのように書いていた「ある日、父は私が新しい経文を写しているのを見て、暫くの沈黙の後に、極力に自分の態度を落ち着くようにして私にもう同修と連絡を取らないようにと忠告した。また「あなたは職場を追われなかった。」から、共産党に感謝しなければなれないのだよ。彼らがあなたに対して非常に寛大ではないか、文革のときは違っていたよ」と言った。私はそれを聞いた後、心が非常に情けなく思った。言葉にできないほど辛かった。
同修E:はっきりと中国共産党および江沢民は法輪功を迫害する問題において相互に結託しあっていることを指摘することは、大法の慈悲であり、修練者の慈悲の体現であると私は理解している。
もし最初に天地を覆い隠すほどに邪悪が溢れている情況の下で真相を今のように伝え、つまり中国共産党および江沢民が結託して大法を迫害しているという事実を天下に示したら、その当時ではたくさんの人がそれを受け入れないであろう。ひいては共産党への恐怖心あるいは共産党的情緒のため、自分を誤った位置に置いたのであろう。それでは大法が衆生を済度する目的に至っていない。一部の根本的な執着を放下できていない修練者は、修練および真相を伝えるときもまたさらに大きな魔難にあうであろう。しかし今はもう違う。たくさんの衆生は真相を知るようになり、邪悪要素も極わずかしか残されていない。このようなときに、この真相を世人に伝えることは、正に慈悲の表れであり、また物事の勢いからいってもそうならざるを得ない情勢である。共産党が法輪功を迫害するこの政治運動の中でもたらした作用を人々がはっきりと認識するように助けてあげよう、最後の段階でより多くの世人が救われるように。
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/28/90247p.html)
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