日本明慧


親友に真相を伝える


 【明慧ネット2004年12月6日】私達大法弟子は正法時期の大法弟子で、師父の正法と一緒に存在し、これは歴史上で今までになかった誉れで、同時に私達大法弟子も偉大な歴史的使命と責任を担って、それはつまり大法を実証し、真相をはっきりと説明すること、衆生を済度することである。

 師父は『人心を放下し、世の人々を救い済度する』の経文で「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救いすることこそ、皆さんがやってきた時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大量の衆生は皆さんが救い済度する対象になります。」と、言われました。正法の勢いが急速に前へ進み、衆生を済度し、真相を伝える時間も非常に緊迫している。師父の一篇一篇の経文と講法はすべて大法弟子に法を分からせ、弟子に精進するように励まし、正法の道を正しく歩み、急いで衆生を救うためである。私は師父の講法を見ると、私の心の中はいつも非常に焦って、本当に私に目を覚まさせる警鐘がたたかれ、私は必ず出て行って真相を伝えなければならないと思う。同時に私は多くの明慧の文章を読んでも、とても大きい鼓舞と啓発をうけた。

 私が出てきたのは比較的に遅くて、法を実証する事と真相を伝える事などをしている。ここでは主に私が親友に対して真相を伝えた事を紹介する。

 私はまず最初に私の家族、子供達に対して真相を伝えた。私が法を学んだ後の自分の変化、体の浄化、性格上の昇華を彼らがすべて見たため、すぐに彼らの頭の中の誤解を一掃して、すべて法輪大法はよいと信じた。去年私の主人も法び始めて、糖尿病もよくなって、一年余り以来、師父の絶え間ない体の浄化によって、業が消えた。主人が法を学び、煉功して、時には私と一緒に出て行って真相を伝えた。子供達はすべて師父を尊敬して、法を尊敬することを知っていて、家族はみな仏陀の光はあまねく照らすもとで楽しい生活と仕事をしている。

 私の親友、同僚にすべて真相を伝えて、彼らはみなよく信じて、そして中から受益した。私の親族はみな遠くにいて、南は深センから、北は黒河までである。この何年間、私は南から北まで、東から西まで親戚の家にあまねく行って、目的は洪法して真相を伝えることだった。弟の家には何度も行き、最初彼らはみんなとても恐れていて、テレビで「座り込み」や「焼身自殺」、「殺人」を聞くと、恐ろしいと感じた。さらにもう一つは私が捕まえられることを恐れた。私は彼らにそれらはすべて誹謗中傷のものだと言って、これは江沢民による映画監督の劇の一幕で、目的は真相を知らない民衆に法輪功に対する憎しみを巻き起こすためだと説明した。また彼らに修煉する人は衆生を救うために生死を放下しているが、私自身も安全のことに注意している。ある日の朝起きて弟の妻が「お姉さん、私は一つのとても好くない夢を見た、あなたが捕まえたを夢に見た。」と言った。私はそれがあなたの心が恐れているからよ、大丈夫よ、と言ってあげた。親戚に話すから緊張しないで、私は少しずつ彼らに大法の受益を話した。私自身を例として、煉功した後に体はよくなって、一粒の薬も飲んでいなかった。心性も高まって、人と争わないで、個人の損得も言い争わなかった。私は彼らに師父の経文『淘』を読んで、彼らは真相が分かった。弟の妻は自分が大法がよいことを信じるだけではなく、その上まだ彼女の親戚、隣近所の人に教えて、私のお姉さんが法輪功を修煉するため、過去の病気は全部治ったと言った。2002年に彼らは深センの娘の家に行って、弟の妻は軽い風邪を引いて、外出すると病気があってはいけないと言って、二管双黄連の液体を飲んだ。まもなくしたら、たまらなくなって、一夜苦しめられ、吐きたくなった。翌日は良くなったが 、おかしいことに腰痛の病気がよくなって、昔腰の間に骨が突き出ておて、板のベッドに寝て寝返りをすると痛かったが、今は痛くなくなった。彼女は私にこの事を言って、私は彼女に法輪大法がよいことを信じて、また他の人に教えたから、師父があなたの病気を取り除いのです、と言った。今でも弟の妻はまだいつも他の人に法輪大法はよいと伝えている。

 去年11月、私の夫の甥が電話をかけて、彼のお父さんが癌になったと言い、私達に生きている間に見舞いに行ったほうがいいと言った。翌日私は夫と一緒に行って、お姉さんはずっと泣いていて、私達は慰めた。私は長兄に教えて、心の中で「法輪大法がよい」を念じてと言い、彼は承諾した。以前は私達も何度も彼に真相を伝えて、彼よく信じて、大法弟子が貼った真相資料も見た。今年5月、聞くところによると長兄の癌はなくなった、9月に彼を見にいった時、彼はいつも外に行っていた。みんなはみな自分の目で大法のとても不思議さを目撃した。

 私は少し真相を伝える事をして、そんなによい効果はなかったが、まったく師父の助けと、偉大な佛法のこの上ない神通力で、すばらしい効き目が現れた。私は比べることが他にないほど恩師に感謝し、大法に感謝する。

 私は本来文章を書きたくなかった。私はよく行っていなかったし、どんな雄大で勢いの多きい事もしていないし、同修との差は大きいと感じる。法を実証するためで、自分を実証するのではない。わずかな一滴も大法の威徳である。
                                             


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/12/6/90802.html