日本明慧


大法を修煉して心身ともに受益し 真相を話して迫害に反対する(二)

 文/大法学習者 李和平

 【明慧ネット2004年8月27日】2000年元旦休暇中、私は政府と国家に対する胸いっぱいの熱意で再び北京に陳情に行きました。しかしまたもや連れ戻され、非法に拘留されました。こうして私はようやく投書・陳情によって意見を反映させることが完全に出来なくなってしまったと分かりました。

 幸運にも、新たに招聘に応じてくれたUTSTARCOM通信有限会社の部門の指導者は私の仕事を保留してくれていました。ただし責任者を設けて私を監視・管理させて、出張は許されず、私を“別種”扱いしました。仕事中も多くの制限を受け、思い通りに正常な仕事が出来ないこともよくありました。日常生活も安心して送れなくなりました。祝日と休日、あるいはいわゆる“警戒日”にはいつも、派出所から人が来て査探したり、電話がかかってきたりしました。新聞、テレビでも大法を誹謗する内容が繰り返し流され、憲法上の信仰の自由が侵されつづけました。これは政府が長期にわたって行ってきた“不宣伝,不反対,不批判”の政策に反するもので、人民の願望にそむくものです。これらのことで私は深く考えるまでも無く、明慧ネット上の学術性のある文章をいくつか読んだ後、私はそれらが私の観点に近いと思いました。そこでそれらをプリントアウトして政府関係者や友達に送りました。彼らに理性的に法輪功の問題を考えてもらいたかったのです。送った文章の内容は、古代の帝王や官吏の天災人災に対する態度を通して、人々の自然現象、社会現象に対する考えを啓発し、政治的宣伝の影響を排除して自ら法輪大法に関して理解するように求めるものでした。

 しかしながら、警察は法輪大法の資料を広めたのを理由に非法に私の自由を奪いました。私の娘が満一歳になった2日後の2001年8月27日、派出所の人が私を強制的に連行しました。20人近くの特別グループが一人一人違うグループに分かれて次々に私を拷問しました。二日二晩睡眠を許されず、極度の疲労の中、座って少し眼をつぶっただけで大声で脅されました。一つ一つのグループが繰り返し繰り返し同じ質問をして、私を精神的に拷問しました。その後、直接留置場に送られ、毎日トウガンの汁かけ飯しか食べさせてもらえず、油や野菜はありませんでした。同時に強制労働をさせられ、その間に家から送られた服や他の財物も刑務所の役人に取られてしまいました。時々看守が恐喝しに来ました。丸々二ヶ月間これに耐えました。私はできるだけあらゆる機会を利用して、法輪大法の捻じ曲げられた関連事実を明らかにし、自分の言動で大法を実証しようとしました。

 二ヵ月後、真相が分かった人たちと別れて、私は労働教養所に送られました。前期の半月間は“入教中隊”で強制的に整列の訓練と労働をさせられました。二四時間交代で犯罪者が二人来て私を監視し、人との接触を禁止され、毎日ダイコンの汁かけ飯を食べ、時々凶悪な警察とその仲間が恐喝、叱責に来ることがありました。

 半月後に強制的に洗脳班に送られ、毎日5時間の睡眠をのぞいてはいつも二人の犯罪者に監視されました。椅子に座らされて動けずに、耳をつく大音量で大法を誹謗するテレビ番組を繰り返し見させられました。大きさ十平方メートルの部屋のドアと窓はきつく閉められ、厚いカーテンで閉められました。時々、看守の凶悪な警察が来て叱責しました。凶悪な警察の言う通りにしない学習者はずっと拷問されつづけ、彼らの言う通りにして初めて、時々テレビを消すことを許され、大法を誹謗した書類を読むことに切り替えてくれることがありました。それを読む間にも強制的に繰り返し自分の認識を書かされました。それらに妥協して初めて体を洗い、寝ることを許され、“入教中隊”に送り返されるのでした。私は“材料”を全部読みましたが、人をだますトリックを見抜き、心を動かしませんでした。しかし安逸を求める心によって、私は本心に逆らって保証書を書いてしまい、入教中隊に戻りました。

 しかし数日も立たないうちに、凶悪な警察は私の思想が要求されるものに達していないと考え、新しい拷問を始めました。彼らは私が医者にかかろうとしないのを口実にして、強制的に私を禁足室に送りました。私は行こうとはしませんでしたが、凶悪な警察は大柄な犯罪者4人に指示して私の服を引っ張って持ち上げました。運動場と池を横切って、4平方メートルの完全に密封された禁足室に閉じ込められました。寒い冬は、犯罪者は指示を受けて私の上着、靴下を脱がせ、私を氷のように詰めたいコンクリートの床の上に座らせました。はだしで立たされ、少しも動くことを許されませんでした。寝ることも禁止され、少し目をつぶっただけで大声で恐喝されました。そして24時間強い紫の光を当てられました。看守にあたっている労教所の人たちでさえその部屋の中にいるのを恐れました。1日がまるで1年のように感じられました。長期間このように拷問され、私の精神は崩壊に近づき、意識が朦朧とし始めました。足を席台に運んで行こうとすると、凶悪な警察たちはそれを口実にして、禁足室の中でも煉功するのかと言って、私が極端に疲れきった後で、意識が朦朧とした情況で私に名前の分からない神経性薬物を注射しました。その後禁足室を完全に密封し、監視カメラで私を監視しました。私は扉の上の小さな鉄の窓を通して恐喝され、毎日砂の混じった大根の汁かけ飯を少しわたされました。極度に喉が渇いても水を少ししかくれず、しかも名前の分からない薬が水に入れられていました。よく凶悪な警察がすごい勢いで入ってきて叱責し、翻弄し、私は精神的にいつもかなり緊張していました。こうして何日が過ぎたでしょうか、拷問によって時間の感覚さえもなくなっていました。毎秒が数年間のように長く感じられ、瞬きをして目を閉じた一瞬が何百年、或いは何千年の長さのように思われました。精神は極度に疲れきり、ほとんど極限を超えていました。

 私のように若い人でさえ拷問されてこのようになるので、老年の方はなおさらでした。私の隣の部屋には寧波地区から来た定年退職した60歳の老年の学習者が閉じ込められていました。私よりも時間が長く、大体2、3ヶ月間入っていました。凶悪な警察たちはなんて無情なのでしょう! 私が入ってくる前にここにいた臨安新聞社の記者はこのように拷問されて心神喪失になり、家に送り返され、病院で強制的に精神治療を受けています。そして今度は、凶悪な警察たちは私を“走火入魔”だと言って監獄の全員大会で誇張して中傷するのです。恐喝、拷問による“精神がぼんやりした状態”を凶悪な警察たちが“走火入魔”そして“テロリスト”にしてしまうなんて誰が想像つくでしょうか。まさに“罪を着せようとするなら、どんな言い訳だってつくれる”なのです!このことからも、国内のテレビや新聞で宣伝、中傷された法輪功の嘘の“罪状”がどのように造り出されたかが分かります。

 “入教中隊”に戻り、その後は長期にわたって犯罪者4人に代わる代わる見張られ、他の人から完全に隔離されました。強制的に苛酷な労働をさせられ、ひどいときには2ヶ月間に渡って朝、昼、晩残業して急いで製品をつくり、一週間の7日間で日曜日の夜だけ少し時間があって洗濯物ができる、と言ったような生活が続きました。そして知識人として長期にわたり本を読んで知識を学ぶ権利を剥奪されました。家族との連絡は1年間近く完全に禁止されていました。家族がはるばる遠くから私を見に来ても労教所の鉄門の外で止められてしまいました。その後になっても、短い手紙を出すことしか許されず、しかも凶悪な警察に手紙の内容を検査されました。

 身体と生活に対する迫害よりも邪悪なのがひっきりなしに行われる洗脳迫害です。“入教中隊”にいた2ヵ月の間、私は洗脳班に9日9晩拷問され、8日8晩隔離禁足されました。その後四大隊の一中隊にいた6ヶ月あまりは主に苛酷な労働で、毎月1、2回思想の報告をしなければなりませんでした。それから四大隊の“直属中隊”に11ヶ月あまりいました。労働の強度は下がりましたが、洗脳の強度が上がり、1日おきに政治学習をし、ほとんど毎日いわゆる“転化材料”を繰り返し学習しなければなりませんでした。凶悪な警察はいたるところで常に学習者をののしり、抜き打ちで強制的に思想認識を書かせました。いったん凶悪な警察に思想が要求されるものに達していないと思われると、強制的に隔離、洗脳され、毎日が1年のように長くてつらいものでした。

 私は師父の慈悲ある教化のおかげで“転化材料”中のトリックを見抜くことが出来、心を動かしませんでした。毎日、覚えておいた分の大法の本の章節を心の中で唱え、常にいろいろな機会を利用して善念のある人々に法輪功に関する捻じ曲げられた事実を話してきました。本当のことが分かっていない学習者に、転化材料に潜む人を騙すトリックを教えてきました。そして自分の言動で大法を実証してきました。このように私は厳しい強制労働を経て労教が満期になってようやく家に帰りました。偽りの保証書に関しては、家に帰って何ヶ月間か法を学び煉功をし、法の上で認識がはっきりした後、友達に頼んで明慧ネットで“厳正な声明”を発表しました。私の精神に無理やり加えられた偽りの保証書を押し倒し、再び正法に溶け入るのです!

 家に戻ってから1年が過ぎましたが、依然として自由になっていません。特に前半の半年は、よく監視され、電話もよく盗聴されていました。さらには家の中にやってきて邪魔をし、旅行の自由も制限されていました。しかも違法に労教された経歴のせいで多くの会社が雇ってくれず、やっとのことで私営の会社を見つけて試用してもらったのですが、警察と警察に指図された地域の幹部がたびたび会社の支配人をかき乱し、ついに支配人は遠まわしに私を首にしてしまいました。しかし法輪大法の真相を理解してくれている人々の熱心な助けのおかげで、私は思いのほか順調にイギリスに留学にくることが出来ました。ここでの自由な環境のもと、私は自由な空気を胸一杯に吸い込みながらも、やはり国内の法輪大法学習者たちが経験している迫害のことが忘れられません。

 あのころを思い返してみると、2年近く続いた残酷な虐待によって私は心身ともにすごく大きな傷を受けました。運良く家に戻った後、私は圧力を排除し、法を学び、煉功することを続けることによって、すぐに回復し、正法に溶け入ることができました。しかし私が家に戻ってわずか半年あまりで、私の父が今年の3月に重慶でまた洗脳班に入れられてしまい、その後直接、残虐な体刑で悪名高い重慶の西山坪労動教養所に送られて労教を受け、それから全く連絡が途絶えています……

 私と他の法輪功学習者たちが受けた迫害は今も国内で続いています。私は、私とその他何千、何万もの法輪功学習者たちが受けてきた迫害を再びいかなる人が受けることも望んでいません。世界中の善良な人々がこの人間性に背く残酷な迫害に注目し、これを制止できるように協力してくれることを願っています!


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/8/27/82738.html