遼寧女子刑務所における虐待を公表する
【明慧ネット2004年12月16日】時が経つのは走馬燈のようにはやく、既に2年近い歳月を刑務所内で過ごしています。わたしは、1999年4月に法輪功の修煉をはじめました。その後間もなく、江沢民氏による迫害が開始されたのです。同じ時期に修煉をはじめた学習者らと共に、真相を伝えたり、ポスターを貼ったりしていましたが、2002年7月20日に逮捕されました。以下は、遼寧女子刑務所における不法な迫害の実態です。
2003 年1月7日、わたしたちは、遼寧女子刑務所へと送られました。その日はとても寒かったのですが、衣服は全て脱がされ、ズボンをはくことさえ許されず、暖房設備のない小さい家へと入れられました。その後、八配置区へと送られました。警官は受刑者を利用して、わたしたちを監視させました。3人の受刑者が一人の学習者を監視し、動くことも出来ませんでした。 トイレさえも行かせてくれないため、やむを得ず彼らが眠った後、歯を磨く時に使うコップで、用を足しました。いつもこのようにしていました。
日中は、毎日朝の6時から夜中の12時過ぎまで、仕事をさせられましたが、これはまだ良い方で、頻繁に徹夜をさせられました。夜中になっても、警官らはわたしたちを眠らせようとはせず、反省文を書かせようとしました。毎日一日中働き、疲れ切って就床しようとしても、受刑者らの手により、掛け布団を頭に被され、呼吸が苦しくなるようにされました。さらに、殴られ、靴下を口の中へ詰め込むなどもされました。
警官らは、「学習者が反省文を書かないならば、貴様達の減刑はされない」と受刑者をそそのかしました。受刑者らは、狂ったように毎日わたしたちを苦しめました。夜は眠らせてもらえず、昼間は仕事をしなければならず、わたしたちは困り果てました。しかし、警官らはわたしたちに仕事を押し付けました。食事も満足に与えてくれず、そんな力はありませんでした。時には、一日一回だけの食事であるにもかかわらず、お金を徴収します。数百元も徴収され、トイレットペーパーを買うお金さえなくなりました。
しまいには、警官らは、高圧電気棒でわたしたちの口を電撃し、さらに口を殴りました。この酷い打撃で、誰が誰なのか分からないような状態となり、皆は床にひれ伏しました。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/12/16/91507.html)
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