日本明慧


師父への堅信をもって関を次々と乗り越える(一)
中国における第一回書面による大法弟子修煉交流会より

 文/大連大法弟子

 私は老年の大法弟子です。法を得て以来今日まで、師父に対する感謝の気持は言葉に表現出来ない程です。私には多くの驚くべきことが起こりました。修煉の途上、師父と大法への堅信をもって、私は関を次々と乗り越えました。

 法を得る

 私は5才の時から癲癇を患っていました。発作が起きると、私の体は木の葉の様に震え、完全に意識を失うのでした。治療の為に私の家族は多額の出費をしました。針療法のやり過ぎで、ツボと手足の指を傷めましたが、何も治りませんでした。私の人生は実に惨めでした。30才を過ぎた頃、過敏性咽喉炎を起こし、1年365日咳をしていました。山のような薬物を取っていて、ついにはそれらにアレルギーになりました。法を得る前に、60才になるまでこれらの全てが私の苦しみでした。

 高校生の時、私は "何の為に人間は生きているのか" を理解したく、古代の修煉法を通じて心身を高めることを望んでいました。心底に隠れた佛との縁が、何時か出家修行するという想いを私に与えました。しかし私の路は何処にあるのでしょうか? 1997年6月29日、私はついにそれを見つけました。その日転法輪を入手して、午后三時から翌朝四時までかけて、それを読み通しました。私は迷子になった子供がついに家を見つけたかのように、読みながら泣きました。ついに60年もの夢から目覚めたのでした。内心私は法輪大法が、私が一生探し求めていた浄土であることを知っていました。その日以来、その本は私の側を離れたことがありません。

 法輪大法修煉を決心してたった数日後、幾十年も私を苦しめた病が全て消えて無くなりました。全身が軽くなったように感じました。私は新しい命を与えてくれた師父に感謝します。私は修煉において精進することによってのみ、師父の期待に沿うことが出来るのです。それ以来私は精進し続け、きっと師父と共に自分の家へ帰るだろうと、自分に言い聞かせました。

 法を正す修煉途上の話

 1999年7月20日迫害開始後、各大法弟子は、自分の路を歩み始めました。過去五年間私達は多くを体験しました。師父への堅信があれば、乗り越えられない障害物はない、というのが私が深く感じるところです。

 1) 派出所から17時間で出る

 ある夜の九時以後のことでした。私は一人の同修と共に眞相資料を配りに外出しました。CDを全部配ってしまった後、私達は多くのポスターを貼りました。ポスターを貼っている間に、暗闇に隠れていた二人の警官が、私達に気付きました。同修は多くの資料を抱えており、私は彼女と資料を保護したく、彼女に先に行くよう言い、私は一人で警察に応対しました。

 警察は私を派出所へ連れて行き、尋問しました。彼らは私にしゃがむよう命令しました。私は師父の教えを思い出しました。

 "如何なる環境においても、邪悪勢力の要求や命令、指図に従わないでください。皆このようにすれば、環境はこのようでなくなります" (大法弟子の正念は威力のあるものである、精進要旨)

 私は坐ることは出来るが、しゃがむことは出来ないと言ってやりました。彼らは師父の写真を逆さまに持ちましたので、私は厳粛に、真っ直ぐ持つよう言いました。彼らは私の命令に従い、師父の写真を机の上に置きました。

 派出所では、私は警察と応対するのに、大法修煉で得た智慧を使いました。彼らは多くの罠を仕掛けましたが、私はそれらを一つ一つ見破りました。結局彼らは私から何も得ることが出来ませんでした。

 翌日の午后、私を監視する若い警官と二人でいる時、彼は私に驚くべき話をしました。彼がある女性の同修を逮捕しようとした時、彼女に届こうとする寸前に、"彼女を逮捕してはいけない" という文字が彼の目の前に現れました。彼はそれが佛からのヒントであると気付き、彼女を逃がしました。私は彼に法輪功のことを話し、彼は眞相を知って大変喜びました。彼は言いました、「もしも彼らがあなたを午后五時までに釈放しなければ、私があなたを真夜中に逃がし、家に帰る為に200元を上げましょう。そしてその後の事は、私が大法弟子を良く扱う始まりとして解決してあげます」。午后三時頃、私は釈放されました。私は17時間で堂々と派出所を去りました。

 翌朝元気一杯で私は再び派出所へ行き、所長に眞相を伝えました。眞相を知った後、彼は非常に感謝しました。最後には、彼は私が派出所から出るのに付き添い、機会があれば又来るようにと言いました。

 2) 馬三家強制労働所から40日で出る

 (1)大連市の姚家看守所に入れられる

 2001年の夏、二人の同修が私の処へ来ました。彼女等は迫害を避ける為に流浪しており、あまり良い状態ではありませんでした。それで警察が彼女らを逮捕しに来た時は、私の家も荒されました。彼らは多くの講眞相用バナーやCDを見つけ、私を姚家看守所へ送りました。

 看守所では私は、師父の経文や詩を、それらを記憶していない同修達の為に暗唱しました。暫くすると、彼女等も皆それらを暗唱出来るようになりました。看守所には多くの囚人がおり、彼女等は度々同修達を口上で虐めました。ある日、看守が私達に看守所の規則を暗唱するよう命令しましたが、大法弟子達は拒否しました。それで大法弟子達と同室の囚人達は罰として、小さいストールに坐らせられました。囚人達は法輪功の眞相を知りませんでしたので、それを強制した警察を責めずに、代りに大法弟子達に怒りを示しました。一人の囚人が叫びました、「ここに居る者は皆囚人なんだ。だから看守所の規則を暗唱するべきだ」。私は想いました、 "私は大法弟子だ。環境を浄めなければならない"、そして彼女に言いました、「聞いて下さい。法輪功弟子達がどうしてあなた方と異なるか言いましょう。あなた方は囚人です、何故なら罪を犯して再教育の為にここに入れられたのだから。しかし私達は違います。私達は良い人間なのに、江沢民の迫害の為にここに送られて来たのです。もしも私達が自分達の良心に反して、法輪功の学習をしないと約束する "保証書" を書けば釈放されるのです。しかし私達はそのようなことはしません。私達は真善忍に対する信念を諦めない為に、ここに留置されたのです。私達は異なると想いませんか?」

 皆急に静かになりました。それから他の同修達も又法輪功の眞相を伝え始めました。

 その後私達は看守所の規則を暗唱することから免れたのみか、室内で煉功することも出来ました。囚人達が監視用カメラを自分達の体でブロックし、ドアの外を見張り、私達が煉功出来るようにしたのです。数人の囚人は私達と共に煉功し、師父の "洪吟" を共に暗唱することさえ始めました。私達の環境は浄化されました。それは次の師父の教え通りでした:

 "宇宙の心理への揺るぎ無い正念は、善良な大法弟子の金剛のように堅い体を形成し、一切の邪悪を恐れさせ、発散する真理の光は一切の生命の思想の不正要素を解体します。正念が強い程、威力もそれだけ強くなります" (又数語にて、精進要旨、非公式訳)

(続く)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/14/86370.html