日本明慧


今生、法を得て本当に幸運である

 文/武漢の大法弟子

 【明慧ネット2004年12月19日】私は1994年武漢にやって来た。家族は三輪車(運搬用三輪車』の運転に頼って生活を維持している。三輪車を踏むのはとても大変で、このため私は全身至るところ病気になってしまった。或る時、病気がとても重くなり、或る小さな病院で一週間点滴注射をしても好転しなかった。医師は大きい病院で検査を受けるようにと言った。三輪車の収入はとても少なく、その上二人の子供は学校へ行っており、まったくお金は無く、大きい病院へ行くことはできなかった。私は兄にお願いして、病院で受診できるよう手伝ってもらった。兄は病院に連絡をとってくれる一方で、私に法輪功を修煉するように勧めた。しかし、私はその時はまだまったく信じていなかった。兄は以前体がよくなかったため、多くの気功を修煉していたが、すべて効果はなかった。病院から家に帰った時、兄は私に2冊の本をくれた。一冊は『転法輪』、一冊は『転法輪』(巻二)で、兄はとても丁寧な言葉使いで、これは経書であり、本を読む時は先に手を洗ってからと、とても恭しく扱った。

 私は本を読むのが好きで、以前は周易、八卦などの、占いの類の本を読んだことがあった。今回病気になり暇で、『転法輪』(巻二)を読み始めた。そして、手放すことができなくなるとは、思いもしなかった。読めば読むほど続けて読みたくなり、すぐに元気になってきた。昼からずっと翌日の昼まで、二日間で夜僅か二時間寝ただけで、一気に『転法輪』(巻二)と『転法輪』を読み終えてしまった。すぐに、人がこの世の中に来る本当の目的が解かった。修煉のためで、「返本帰真」が目的である。

 第一冊目の本を読んでいる時、師父は私の体の調整を始められた。3日目、家のプロパンガスを使いきり、夫は私の弟をガスボンベの交換に来させると言ったが、私は呼ばなくていい、自分で交換すると言った。ガスボンベを持ち上げた時、私はとても軽く感じた。自転車に乗った時も誰かに押されているようだった。何日かが過ぎ私は煉功したくなり、兄に5セットの功法を教えてもらい、家に帰って煉功しようと思った。兄はどうしてと聞いた。私は三輪車で仕事をしており、また農村から来たので、他の人に言うと見くびって教えてくれないかもしれないと言った。兄は法輪功は「真・善・忍」を修めるのだから、人を軽視しないし、例え、あんたが乞食であっても、本当に修煉したいのであれば、煉功点の補導員は教えてくれると言った。私は煉功点の場所を教わり、翌日探して行き、補導員に法輪功を修煉したいと言うと、とても親切に5セットの功法を教えてくれ、一分のお金も払わなかった。それから、私は法輪大法を修煉する道を歩み始めた。

 8年余り修煉して、私は自分の目で多くの奇跡を見て来た。印象が最も深かったのは、武漢の青玉の湖花園で開催された法会である。その日は天気がとても悪く、朝行った時から黒い雲はすきまなく広がり、法会の会場に入った時、辺りはすでに稲妻が走り、雷鳴が轟き、雨が降り始めた。多くの人はレインコートを着て、雨傘を開き始めた。法会で第5セットの功法中、私の横にいた大法弟子のおばあさんが、「師父がいらっしゃった!」と言って、彼女の孫に歓迎の言葉を叫ばせた。私は気にかけていなかった。私は天目が開いてなかった。彼女が三回目に言った「師父がいらっしゃった!」 突然、太陽が空に現れ、雨は急に止み、師父が空から下りていらっしゃった! 会場全体が金色に煌めき、法輪は会場の至る所で輝き、学習者の体も法輪が一杯で、会場全体に歓声が湧き起こった。会場の外にいた一般の人々もこの光景を目撃した。師父のご加護の下、私達は法会を円満に終え、家に着いて上へ上がろうとした丁度その時、どしゃ降りの雨が急に降りだし、一日中降り続き、晩まで止まなかった。師父は私達を保護してくださり、雨に遭うことはなかった。

 私の娘はホテルで働いている。今年5月、娘は師父の保護のもと災難から逃れることができた。普段、娘たちは毎日昼ごろ寮に帰って休憩していた。しかし、娘はその日眠くなく、寮に帰ってこなかった。結局二時間足らずの間に、寮は火事になり、10数人が焼死し、数十人がやけどをした。娘は「真・善・忍」を信奉していたため、師父は彼女を保護してくださった。

 8年余りの修煉の道で、私と私の家族はたくさんの難に出会ったが、師父はすべて一つ一つ解決してくださった。今生、大法を得ることができて、本当にこれ以上の幸運は無い。慈悲深い師父に済度されたご恩に対し、感謝の気持ちで一杯である。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/12/19/91763.html