日本明慧


よくない考えを随時に取り除く体得感想

 文/大陸大法弟子 

 【明慧ネット2005年1月1日】ある晩、私は6時の発正念を終えて、真相資料を抱えると近くの村へ出かけました。

 その村には十数戸の家がありました。村の入り口に着いた時に、一人の男性が前の道に立っていて空咳をしました。私は、この男性は何故こんな寒い中、外にいるのだろうと考えました。そして、:まさか、この男性はここで待ち伏せしているのではないか:と良くない考えが頭に浮かび上がりました。私はこの考えは良くないと思い、この考えを直ちに否定しました。これは決して自分の考えではありません。誰にも、私が衆生を済度するのを阻止する資格はありません。私がここに来た以上、このままでは帰れないのだと考えを改めました。私はその男性の背後にある邪悪要素を正念で取り除き、更にこの村の全ての人々の背後にある邪悪要素をも取り除くために師父に加持をお願いしました。私は彼らを済度するために来たのだと考えました。更に、荒い息を出す全ての動物に対しても、「君達は大法に同化されるものなのだ、声を出さないように」と、一念を集中しました。

 私は村の奥から外に向かって真相資料を配り続けました。最後の一部の真相資料を持って村の入り口まで出て来た時に、そこに人が立っていました。その時、私の頭の中から又もや良くない考えが現れてきました。私は直ちにそれを否定しました。誰も私を邪魔する資格はありません。師父が我々を導いて下さった道は神が歩む道なのだと考えを改めました。私はその人に近づいてから、その人は電話をしていることが分かりました。そして、私が真相資料を全部配り終えた時に、その人もいなくなりました。

 師父は『転法輪』の中で「念を動じず静かに見ていれば真実が見えます。念を動じれば幻覚が見えます。これが自らの内側から魔が生じるということです。又は自分の考えに左右され幻覚が生じるともいいます。」と述べておられます。今回のことで、その時、もし私自身が恐れる気持ちになって、真相資料の配布をやめれば、まさに旧勢力の思う壺にはまり、旧勢力の按配した道を辿ることになります。従って、我々は難儀に遇う際、自分自身に現れてきた良くない考えを直ちに取り除けば、旧勢力の按配を破り、否定することになります。師父も常に我々の側におられ、見守って下さっています。

 以上が私個人のちょっとした認識です。不適切なところがありましたらご指摘ください。

(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2005/1/8/93056.html