日本明慧


最も貴重な記憶

 大陸の大法弟子 

 【明慧ネット2005年1月13日】私には永遠に忘れることのできない一つのことがあり、また永遠に深い感謝の意を抱き続けることがある。それは1993年の5月、幸運にも師父が長春で催した第五期功法伝授と説法クラスに参加し、また翌年の花の咲き誇る季節にも、第六期と第七期のクラスに参加したことである。

 記憶の中の師父は背が高く、大きく偉容であり、表情には柔和な微笑みが絶えず、眼光の中には慈母のような暖かい意が現れていた。私はいつも思案をめぐらしては、師父に接近した。今思い出すと恥ずかしく感じるが、師父の説法を真剣に聞いていなかった。寝入ってしまったり、漠然と師父を眺めていたりしたため、1つのクラスが終わってからも、師父が何を説いたのかが分からなかった。ただ「真・善・忍」という三文字だけは、しっかりと覚え、この功法は良いものであり、法輪功を学びたいということだけは分かっていた。かつて何種類もの気功を学んだことがあり、多くの功法の伝授クラスにも参加したことがあった。師父が講座を開くと同時に、他の気功師も講座を開いたが、それらの気功師に対しては、すべて敬遠した。どうしてだが分からないが、師父に会うと母親に会ったような感覚を覚え、師父の服の裾を引っ張って後に付いて歩きたかった。
  
 ぼんやりと考えていたところ、師父は法を説き終わり、舞台裏へ休憩に行かれた。私はこっそりと後を付いて行き、休憩室の戸の隙間越しに中を眺めた。師父は回りを囲んでいる実行委員の人たちと話し合っており、ある人は師父にサインをしてもらい、ある人は自分の家の仏像を捧げて、師父に開眼をしてもらうように頼んでいるのを目にした。私は彼らを羨ましくなった。なぜ自分が師父にサインをしてもらわないのか、また、自分の家にも仏像があるということを突然思い出した。

 翌日のクラスに参加し、師父が休憩される時間になるまで待っていた。急いで勇気を出して休憩室に入り、まず合掌してから、師父の著書である《中国法輪功》を取り出し、サインをお願いした。師父は何も言わず、本を受け取って下さり、扉の上で署名し日付を書き、私へと返して下さった。私は師父が一言おっしゃって下さることを切望しており、その場から離れられず、じっと立ったまま、期待をして師父を見つめていた。師父はやはり話をしてはくれなかった。依然として、慈悲深く微笑まれ、暖かく母親の様な眼差しであった。

 ようやく功法を伝授する時間になった。演壇の上では、ある学習者が動作を教えており、師父は演壇から下りて来ては、学習者の中に入り、一つ一つ動作を是正してくれた。私は根本的に功法を学ぼうとしていなかった。ひっそりと師父の後ろへ回っていくようしては、後に付いていた。師父が歩いたら共に歩き、師父が止まったら共に止まり、子供が母親にくっ付くように寸分も離れなかった。ただ手を伸ばして、師父の服の裾を引っ張る勇気はなかった。

 おそらく師父は、背後に人が付いてくることを感づかれたかも知れず、ほんの暫くの間、立ち止まられたため、急いで立ち止まった。師父は身体を回転させ、顔を下げて私を見て、微笑まれたが、やはり話をしてはくれなかった。しかし、はっきりと師父が目で尋ねられていることが分かった。「どんな用がありますか?」と。私は呆然とし、「そうだ。何の用があるのだろうか?何事もないのだ!しかし、師父は私の答えを待たれている」と思った。そして、自分でも訳も分からないような一言を言ってしまった。「師父、私は…恐れる」と。師父はまたお笑いになって、手に持っていた巻き紙で、私の頭をやんわりと叩きながら、軽やかに「恐くなどない、恐くない…」とおっしゃった。

 その時の私には、どんなにか貴重な時間であるのかが分からなかったし、決して「恐くない」という二文字の重さも分からなかった。

 1999年7月22日、テレビのニュースで、政府によって法輪功が、いわゆる不法な組織に決め付けられたことを見て、その夜すぐに北京へと向かった。夜行列車で一晩を過ごした。そして、連結器の側の隅に座り一晩中泣いていた。師父が無実の罪を着せられたということが、痛いほど分かっていたからだ。

 その後、再度上京して大法を証明しに行く際、逮捕された。派出所の中で煉功をしたことで、警官の電気棒による電撃を受ける際に、少し「恐怖」が芽生えた。この時、師父の声を耳にした。いや、耳にしたのではなく、「あなたは多くの耐えることを要らず、師父が、ただあなたの人心だけを取り除いてくれる。一つの人心があっても、修成することは出来ないのだ!」という、親切かつ厳粛な「声」が言ってくれたことを感じたのだった。私は呆然とした。

 その親切な「声」が、もう一度「師父はあなたの耐えを要らない…」と言った。私は立ち上がって、「死んでも、師父に付いて家に帰る!」と心の中の一念を強く固めた。そして、再び両手を挙げ法輪を抱いた(注:法輪大法・煉功動作の一つ)。背後にはまた電気棒があった。ぎりぎりの一撃が過ぎてから、突然背中に何か覆ったかのような感じがした。電気棒は「バキン!」という音を発していたが、既に何の感覚も無くなっていた。たちまち、涙が抑えきれず溢れてきた。師父が私に代わり、電気棒の電撃を受けていることが分かったからである!師父が私のために耐えていらっしゃるのだ!

 突然、理解することができた。なぜ天安門で、鼻が痣だらけとなり、顔が腫れ上げるまで殴打されたときにも、少しも痛く感じなかったかを…。師父!師父よ!私は泣いて、泣いて、心の中で「師父!師父…」と蕩々と呼んでいた。耳の辺りには、再び聞こえて来るものがあった。遙かであるが、宇宙全体に鳴り響き渡る声が「恐くなどない、恐くない…」と。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/1/13/93409.html