日本明慧
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文/日本大法弟子 李雪松 【明慧ネット2005年1月19日】“節句につき親思いは強く募り”、お正月を迎え、母に会いたくてなりません!母は監禁されて既に10ヶ月が過ぎました。その監禁生活にはいかに耐えているのか、これを考えないように自分を押さえ込んでいます。拷問の悲惨さに苦しんでいる法輪功学習者の実態はネットから知る度に、同じ窮境に陥った母が身を全うできるかどうかと思いつつ不安に怯えます。だが、元気だった母は酷く衰えたようだという情報もありました。 母は孟紅と言います。小さい頃から農村での貧乏生活が苦しいため、学校の授業料に困った祖母が借金して払えるようにと母は泣きながら援助を求めました。こうして精一杯で都会の学校に受かり卒業し、就職まで落ち着いたのに、文化大革命の反乱において母は家庭構成に問題があると曖昧に判断されたため農村に追い出されてしまいました。その後、ハルビンに戻り、おっとりし純粋な性格を持つ母は平凡な生活を送りました。 母はある手術を経験した事をきっかけに、気功に興味を持ち始めました。1995年5月のある日、≪転法輪≫が母に渡ってから、母の修煉の道が始まりました。それ以来、寒暑にも関らず毎日のように戸外での煉功を続けており、更に法への勉学にも勤しむようになりました。そのうち、母はまるで別人に生まれ変わったかのように、健康で明るくて以前より頭脳明晰になった気がします。時々過ちを起こした時に母がいつも法に基付いて教育してくれました。わたしは母を抱き締めて“母さん、ますます若くなったですね。問題に対してもよく分析できましたよ”と日頃口にしていました。母もいつも笑いながら“師父に感謝しましょう”と返してきました。ここで、わたしは母を連行したあの人たちに“何故わたしのこのように優しい母親を捕らえたのですか?しかも、どう転化させるのですか?”と不思議に思いつつ聞きたくて仕方ないのです。 1999年7月20日以来、法輪功を誹謗軽蔑する多くの事件及び社会的誤解などが激しくなったため、法輪功のおかげで心身共に快適になり、明るい生活を手に入れることができた母は法輪大法が最も正しく、師父がまさに本当の被害者であるということがよく分かっているですから、いっそう不平を感じ心が痛みました。早速、外へ出かけて人々に真相を伝えようと母は決心しました。2004年2月28日、北京の西直門付近で“法輪大法は素晴らしい”と書いてある紙を張ろうとする時に、運悪く公安に遭遇し直ちに保健路交番の公安に連れ去られました。法輪功を修煉しないという保証書を書くのを拒否したため、再びハルビン第二看守所(別名:ハルビン鴨グループ)に移送され監禁されました。看守所の監禁期間に高血圧で2回も倒れた経歴がありましたので、その時ハルビン戒毒所に移送される予定でしたが、何故か受け入れられませんでした。現在はハルビン戒毒所で収監されています。 4年前、日本へ留学する時には、母が行かせないようにしているかのようで常にわたしのそばにいました。母は“日本語のさようならはどう言うのですか?”と聞き、わたしが“Sayonara”と教えました。次も“日本語の頑張ってはどう言うのですか?”とまた聞いてきましたが、“Ganbatte”と教えました。こうして呟きながら覚えようとしている姿がありました。日本で初めて母に電話をかける時、話が終わるとき、母は片言の日本語でゆっくりとした口調で“雪松、Ganbatte,Sayonara!”と言いました。意外にこんなに暖かい言葉をもらったわたしは“愛する母さんよ、あなたは娘のために随分苦労をしましたね”、と思いながら涙が出てしまいました。これ以来、電話中にいつもこの暖かい励ましの言葉を届けてくれました。もう一度母さんの“Ganbatte”を聞きたくてならないのですが、反対に、わたしは“Ganbatte!”という言葉を窮境に陥った母に届けたいのです。 わたしの母親は心優しい人であり、法輪功を学んでからもっと善をもって実践してきました。このような人がどうして捕らえられなければいけないのですか?ただただ彼女は一人のいい人間になり、更に更にもっといい人間になりたいだけなのにこういう酷い目に遭わなければいけないのですか。ここで、わたしは母親を拘束した関係者たちに厳正に呼びかけ、“今即、無条件でわたしの母親を解放せよ!!”。また、全世界の人々に母親を助けてくださいと願います。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/1/19/93831.html) |