日本明慧
|
【明慧ネット2005年2月8日】最新の統計によると、南アジアの大津波がもたらした死亡人数はすでに28万人まで達した。 南アジアの大津波のあと、多くの生存者は自分が大難を生き延びられたのは、神様が霊験を現されたことによって成し遂げられたのであると話している。津波が襲って来た時、スリランカのケエンさんは海底でもがいていた。頭の上にセメントの板があったので、体が絶えず大きな波で叩きつけられ、息が出来なくなった時に、彼は神様に助けてくれるように一心に祈った。ケエンさんは、「神様は直ちに私の祈りを聞き届けてくださった。」と言った。突然セメントの板が壊れて、彼は水面まで浮かびあがることができたのだ。あるスリランカの旅館業者はこのように彼の経験を述べた。周囲の数キロメートル以内の他のものはすべて破壊されたが、彼の旅館は奇跡的に軽微な傷しかを受けていなかった。これは、彼が過去10年来の善行によって積んだ徳のお陰だと話している。スリランカの3万人余りの人は津波の中で命を落とした。 激しく沸き立った津波の至るところで、旅館や、家屋などの建築物は瞬く間に壊されてしまい、至る所、雑然となったが、その中で、仏像はごうごうと激しく流れてきた洪水の中でそびえ立って動かず、全く損傷がなかった。(写真1を見てください) タイ南のプジ島のラライ砂浜のそばに、約2千人ほどの住民が住んでいる小さな漁村がある。ここの漁民は、毎年8月に海の神様を敬う儀式を催して、海の神様に漁民の平安を守ってくださるよう祈念する。今度の津波が襲ってきた時、年輩の人の指示によって、全村の人は皆この海難を逃れた。死傷者はいない。タイのプジ島に、完璧な木彫りの仏像が壊された潜水商店の前に立っておられる!潜水商店の悲惨な光景は、全く損なわれていない木彫りの仏像ときわめて鮮明な対比を成していた。(図2)これは無神論者にとってまったく不思議で、どのように釈明してもすべて無理があるだろう。神、佛を敬い慕う人にとってまったく釈明する必要はなくて、すべては道理にかなっている。 大災難の前で、人類はどうにも手の施しようがなく、どうすることもできないだろう。多種多様に変化する宇宙の中で、人類はその原因が分からない。3百年以来、西方の実証科学と近代の功利主義は、人類の目をくもらせ、人類が生まれつきの天地と通じ合う霊性を抑制し、人類の知恵をねじ曲げた。この浩瀚広大な宇宙の中で、人はどんなにちっぽけであろう。人類にどれほどの偉大な創造があっても、天地の間では一撃にも堪えない。道理で中国は昔から修煉の文化と伝統があるはずである。人生を十分悟り、生・老・病・死を超越することは、智者達が修煉を通して初めて達成することのできる境界である。 |